クラウス・シュルツェって誰?
クラウス・シュルツェは、ドイツ・ベルリン出身の作曲家、キーボード奏者。電子音楽、シンセサイザー音楽のパイオニア。タンジェリン・ドリームの1stアルバムに参加し、マニュエル・ゲッチングと共にアシュ・ラ・テンペルの1stアルバムも制作。その後も、ソロ活動を続けており、現在、ドイツではワーグナーの後継者という見方もされている。
クラウス・シュルツェが音楽活動を開始した1960年代末のドイツは、アンダーグラウンド・ミュージックの黄金時代だった。後にクラウト・ロックと総称されるこのシーンに名を刻んだミュージシャン達には、クラウス・シュルツェ自身が参加したタンジェリン・ドリームとアシュ・ラ・テンペルの他、アモン・デュール(I, II)、カン、グルグル、ディウッセルドルフ、ノイ!、クラフトワーク、ポポル・ブー、エンブリオなどがいた。クラウト・ロックは、前衛的、非西洋文明的という点のみが共通項で、音楽的な方向性は、それぞれに様々でバラエティに富んでいた。
タンジェリン・ドリームとアシュ・ラ・テンペルへの参加後、ソロに転向したクラウス・シュルツェの完成度の高い斬新で緻密な音楽は、前衛的な実験が数多く行われていた当時のアンダーグラウンド・シーンでも異彩を放っており、クラシック音楽界にもシンパを持つようになっていた。クラウス・シュルツェのソロ2作目「サイボーグ」(1973)に参加したオーケストラは、クラウス・シュルツェの音楽には共感を寄せつつも保守的なクラシック音楽界での立場を考慮して匿名とならざるをなかった。
現在とは違い進歩的な音楽に集中していた当時のヴァージン・レーベルに、クラウト・ロック・シーンからスカウトされたのが、タンジェリン・ドリームとクラウス・シュルツェだった。クラウス・シュルツェは、名作「ブラックダンス」(1974)と「タイムウインド」(1975)等をリリースし、マイク・オールドフィールドと並んで初期ヴァージンを躍進させる原動力となった代表的アーティストとして、世界的に知られるまでになった。その後の「ミラージュ」(1977)を皮切りとする名門アイランド・レーベル時代を経て、観念的、哲学的、そして重厚なクラウス・シュルツェの音楽に対する評価は揺ぎないものとなった。以後、クラウス・シュルツェは現在に到るまで膨大な作品を精力的に制作し続けている。
日本に関連する活動としては、ファー・イースト・ファミリー・バンドのアルバム・プロデュースと、ツトム・ヤマシタのGOプロジェクトへの参加が挙げられる。この時に、ファー・イースト・ファミリー・バンドのメンバーで、クラウス・シュルツェの操るシンセサイザーの可能性に着目したのが、喜多郎とヒーリングの大家となり累計100万枚を売り上げた故・宮下富実夫の2人だった。一方、世界のポピュラー音楽界スーパーバンドというコンセプトのGOプロジェクトには、クラウス・シュルツェの他にスティーブ・ウインウッド、アル・ディメオラが参加し、アルバム3枚を制作した。





