2010年2月 7日
GOLDMUND MIMESIS 21D 試聴
普段からお世話になっているダイナミックオーディオさんのご好意で、GOLDMUND MIMESIS 21Dを自宅試聴させていただいた。
同じくGOLDMUNDのMIMESIS 20.6の音を、私が気に入ったが、価格的に無理だという話から「それならこれを聴いてみては?」ということになった。現在の実売価格では20.6の半額程度になるので現実性はあるといえそうだ。それでも私が自宅で聴いたことのあるDACの中では最高額なわけだが。なお、試聴の環境についてはこちらをご覧いただきたい。お店で聴かせてていただいた際に感じたのは、現在使用している4715に比べ、瞬発力、ダイナミックさが優れており、描かれる空間も広く、それらがオーディオ的快感に結びついているというものだった。今回、自宅で聴いた時、まず頭に浮かんだのは、クラナッハが描くところの貴婦人の姿だった。肉感からかけ離れたスリムさ、高貴さを具現化した視線と肌の質感、それでいながらどこかしらに淫靡さが滲み出たあの女性たち。これに比べると4715の、あの淡い耽美さは、初めて口紅をひいた10代の少女程度のものかもしれない。
まず、情報量について。描かれるものに不足はまったくない。それでいて、バラバラな印象とはならない。しかし、これは価格を考えれば当然のこととも言えるだろう。次に高域。よく伸び、その最高点でキラリと艶がきらめくように感じられる。その瞬間には、一種の焦燥感、恍惚感、切なさが感じられ、ある種の快感をもたらしてくれるといえるだろう。しかし、この快感、官能美は、上述のクラナッハの描く婦人の妖艶さが、彼女たちがまとう高貴な冷たさに密接に結びついているのと同様に、秘められた硬質な冷たさと結びついている。この冷たさは、日本製の西洋楽器がもっているあの冷たさとは異なり、もっと鋭角な、鋭利なものだ。例えば、ぎゅっと強く抱きしめてくれるはずの力強いサックス。例えば、ふわりと包み込んでくれるはずの女性たちのコーラス。そういうものの影にひっそりと現れる。GOLDMUNDの音を「良し」としない人は、きっとこの冷たさを良しとしない人なのだろう。
続いて中~低域。このDACの試聴において、私が最も意外に感じたのは、この帯域だ。中域にはかなり厚みがあり、男性、女性を問わず声、そして、それらに似た帯域の楽器の音色にも十分な存在感がある。低域は広がるのだが、決して余計な膨らみは持たず、かなり低いところまで芯のある音を聴かせる。耳ではなく、身体で感じる低音が、私の使用しているPENAUDIO CHARISMA+CHARAから出てくるなどとは思ってもみないことだったし、それがDACの変更によってもたらされたという事実には、ただただ感嘆するしかなかった。GOLDMUNDといえば「クラシックには良いが、その他のジャンルには......」というイメージだったのだが、充実した中~低域、緊張感やスピード感を与えてくれる高域によってジャズやロックもかなりの高得点といえる音であった。そして、これは言うまでもないことなのだろうが、クラシック、特に編成の大きなものについては、スケール感、ダイナミックレンジ、各楽器の描き分けと、その能力が存分に生かされる結果となった。
総じて、定価のことを考えても、満足感を与えてくれるDACだといえる。現状では、その定価の半額前後で購入できるのだから、さらに満足感は高いといえる。しかし、高域に潜む鋭利さを、一種の「美」とできない場合、そこがウィークポイントになると思う。自宅で聴いたわけではないが、最新の20.6では、この鋭角なものが、もっと受け入れやすいものに変わっていたように感じる。いや、しかし、この秘めた鋭さ、冷たさこそGOLDMUNDという気もしてしまったりもする。
ハイエンドと呼ばれる世界に近づけば近づくほど、こういうダブルバインドが眼前に現れる。そして、聴き手、使い手は、この二律背反を「お前はどう思うのか?」と機器に問われることになるわけだ。その意味で、この21Dもハイエンド機器の一つ、ということになるのだろう。
最後になるが、このような機会を与えてくれたダイナミックオーディオ5555 天野氏に感謝したい。ありがとうございました。
投稿者 黒川鍵司 : 10:25 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年2月 2日
Gianni Leoneからのメール
イル・バレット・ディ・ブロンゾのリーダー、Gianni Leoneからメールが来ました。なんだろう? と見てみるとタイトルは「Osanna/Jackson/Leone in Japan and Corea (April 2010).」え? 来日??? それもオザンナと??? まじで??
とクエッションマークだらけになりつつ、Webを手繰っていると確かに来日です。詳しくは下記のページをご覧ください。
投稿者 黒川鍵司 : 22:56 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年1月27日
例えば
ご飯を"作り"に来て欲しい、といわれたら、多少の食材や調味料はもっていくかもしれないし、場合によっては調理器具も持っていくかもしれない。でも、ご飯を"食べ"に来て欲しいと言われたら、デザートくらいはお土産くらいに持っていくかもしれないけれど、調味料だの器具だのはもって行かないよね。まして、「あなたの家のご飯を食べさせて欲しい」と頼んで伺うのだったら、相手の料理にけちをつけるなんてありえないでしょうし、礼儀を忘れず、敬意を持って伺うよね。
逆に「あなたのおうちのご飯を食べてみたい」と言われたとして、招いてみたら、相手が、せっかく作ったビーフシチューに、持参したケチャップをぶっ掛けて「こうするとおいしくなる」なんて言ってきたら、普通、ぶちきれるでしょ?
投稿者 黒川鍵司 : 21:38 | コメント (5) | トラックバック (0)
2010年1月26日
バロンに関する覚書
テリー・ギリアムは、いつもどこかでタブーに挑みかかる姿勢が映画に見えるが、「バロンそこで、その原作であろう「ほら吹き男爵の冒険」を振り返ると、なんどか映画がされている。その初回はナチス政権下のドイツでの映画化だ。映画化の年は1943年、戦争のまっさなかだ。そんなときに、このような映画が作られていたのは、ゲッペルスの映画に対する態度の表れかもしれない。
そこで、ギリアムの「バロン」に戻ろう。冒頭、トルコ軍に包囲され、半壊しつつある劇場で演劇がかかっている。もちろん、出し物は「ほら吹き男爵の冒険」だ。43年の映画化を思い起こさせはしないだろうか? とすると、あえてナチズムとの関連に触れ、そのタブー視をあらわにした上で、そのタブー視ゆえに、触れにくくなっているこの物語の映画化をあえて行ったということを冒頭で宣言しているのではなかろうか?
なんて穿った見方をしたくなる。それだけ魅力のある映画だということなのだけどね。
投稿者 黒川鍵司 : 22:03 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年1月20日
戯言
- 「テキサス」と言われた次の瞬間に、私の頭の中には「Texas Chain Saw Massacre」が浮かんでいて、到底、食欲には結びつかない。
- デヴィッド・シルヴィアンの「Pulling Punches」には、こんな歌詞がある。
「息をひそめ、質素に暮らす人々が、新たな宗教の下にともに集まる」
これを聴くたびに、イエスの方舟を思い出す。 - そういうわけで、ここを読んでいた。確かに、偽りの、もしくは幻想の「幸せな家族」像なるものはあったし、今もあると思う。それはソニーやパナソニックのビデオカメラのCMが提示する家族像と同一に思える。しかし、イエスの方舟が提供する、家族なり、人生像が真実かというと、これも共同幻想だろ? という気がしてしまう。ヒトラーだったか、ゲッペルスだったかが言ったという「嘘も百回言えば真実となる」がそのままという気がする。
- どうあっても、信じるということは、教育、学習、広告、その他の名前で呼ばれる洗脳によって、何かを真実と思い込む、ということでしかないのかと思えなくもない。きっとグルジェフなら「それが眠りって奴だよ」としたり顔で言うのだろうな。
投稿者 黒川鍵司 : 22:43 | コメント (2) | トラックバック (0)
2010年1月16日
戯言
- 醜さも、客観性と想像力の欠如から生み出されるのだと、知ることができただけでも、十分な収穫といえるのかもしれない。
- スピーカーは楽器か? 変換器か? という論争があるのだが、私は後者を支持している。楽器というものは、演奏者の身体の延長上にあり、身体のリアルタイムな動きによって音を出すものだ。鍵盤を"弾く"、弦を"爪弾く"、ペダルを"踏む"といったことによって音は発生している。それゆえに一回性のものであり、演奏者の個性、身体能力が個々の差を生む。それに対してスピーカー駆動ににおいて、リアルタイムに身体動作と同期するものといえば、ボリュームコントロールくらいなもので、身体の延長上にあるとは到底言いがたい。ゆえに、もちろん楽器の共鳴を取り入れるという手法の有用性は認めるが、スピーカーは楽器ではないと考えている。
- ほとんどの人間にとっては、余暇が増大しようが、労働から解放されようが、暇つぶしの時間が増えるだけなのだ。疑問に思うならナウルを見よ。
投稿者 黒川鍵司 : 00:01 | コメント (2) | トラックバック (0)
2010年1月 7日
戯言
- うちのPCのアンチウイルスソフトを、某社の製品から、Panda Cloud Antivirusに変えた。クラウドベースで軽量というところに引かれたのだけど、名前もパンダ、アイコンもパンダなんて素敵じゃない。ちなみに社名がパンダである理由はこちら。
- 来月か、再来月、竹中英太郎記念館に伺いたいと思っている。それにしても、このサイトの館長さんのブログは、Webの世界には珍しく、素晴らしくほのぼのとした気分になれる。
- ESOTERICによる「ニーベルングの指輪」(14枚組み)を購入。今日、「ラインの黄金」から聴き始めたが全て聴き終わるのはいつになるやら。
投稿者 黒川鍵司 : 21:56 | コメント (2) | トラックバック (0)

