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2004年9月12日
今日は

ロード・オブ・ザ・リング コレクターズ・エディション トリロジーBOX セット
本来の予定がキャンセルとなり、このDVDボックスの最終巻「王の帰還」を観ることとなった。このシリーズは時間的に長い作品であり、なかなか見始めることができなかったが、3日かけて全作を観た次第だ。
最初の「旅の仲間」が上映された時、私は映画館には行かなかった。あの原作を少しでも知っている身には、満足できる映像化は不可能だと思えたし、監督がピーター・ジャクソンときいて、さらにその思いを強くした。私の知るピーター・ジャクソン監督の映画と言えば「バッド・テイスト」と「ブレインデッド」だ。確かに2作品とも愛すべき映画とは言えるが、「指輪物語」のスケールには不似合いとしか言いようがない。
そういうわけで、1作目は17インチのPC画面で見た。最初のガンダルフ登場シーンで、既に私の認識が間違っていたことがわかった。ピーター・ジャクソンが十分に「指輪物語」を理解していることが、ほんの数シーンからもわかったのだ。ガンダルフ、フロドともに、この俳優しかありえないという選択だし、その台詞まわし、シャイアの風景、その他全て完璧だった。
そしてモリアの坑道のシーンでは、燃えさかる炎に包まれた巨大なバルログとガンダルフの戦いに、劇場に赴かなかったこと、そして17インチのちっぽけなモニターでこのシーンを観てしまったことを後悔した。
そして、その後の2作は近くの映画館で観た。大きな映画館とは言いかねるが、17インチのモニターとは比べるまでもなく、音響についても十分に満足でき、3時間に及ぶ上映時間はまったく苦にならなかった。
もちろん、今回の映像化が本当の意味で完璧であるとは断言できない。あまりに戦闘シーンに重きが置かれすぎているように思う。それは巻が進むほど顕著だ。映画のエンターテイメント性を3時間も保つために、これは必要だったとは思うのだが、あまりにもという気もする。
しかし、どうあっても実写では不可能と思われた「指輪物語」を、十分満足できるクオリティで映画化したピーター・ジャクソンには感謝するとともに、彼をみくびった私の浅はかさを恥じたい。
3作をほぼ連続して見終えて思うことは、「この指輪」とは何だったのか、ということである。「力の指輪」と訳されているが、この「力」は「政治的権力」もしくは「制覇の力」だろうか。この指輪が、何かの会議の席上のジョージ・ブッシュの指に輝いているというコラージュをどこかのサイトで見て大笑いしたのだが、考えてみれば彼の指向と指輪の意味を上手くとらえていたと言えるだろう。トインビーだか、トフラーだかが言っていたが、国家の政治的安定のためには3つの力が必要だという。武力、技術力(これは情報の収集という面を含む)、財力だそうで、日本神話の三種の神器、草薙の剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉は、それぞれ、この3つの力を象徴しているのだとか。そういえば、最初にいくつかの指輪を与えられた種族はエルフ、ドワーフ、人間の3種族だった。トールキンによる3種族への意味付けが理解できている訳ではないので、どれがどれとは言えないが、もしかしたら、この3種族は前述の3つの力を象徴しているのかもしれない。
「王の帰還」特典DVDにおさめられた裏話にビートルズが「指輪物語」映画化を計画していたという話がでている。これと直接リンクするかどうかはわからないが、ジョン・レノンからの資金援助をうけていたというアレハンドロ・ホドロフスキーが、レノンから自らと妻であるオノ・ヨーコを出演させた「指輪物語」製作を持ちかけられたとインタビューで語っていた。もちろん、この映画化は実現しなかった。
ホドロフスキーにはダリ、オーソン・ウェルズをキャストとし、ギーガーやメビウスに美術を担当させた「砂の惑星」の映画化という話もあった。これも頓挫しているが、共にホドロフスキーの元に映画化の話が持ってこられたことに、この2作品の映画化がいかに困難と思われていたかの証明をみる思いがする。
投稿者 黒川鍵司 : 2004年9月12日 19:57
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