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2004年10月17日
復刊・夜想 第2号/特集#ドール
復刊2号目。特集は「ドール」ということで、以前、「球体関節人形考」という文章も書いたし、それ以上に「夜想」には恩義を感じていて、発売当日(10/15)に購入しようと画策した。今の職場は新宿なので、近所で手に入って当然と高をくくっていた。まずは駅ビルの書店。ここは前回、「夜想」復刊フェアをやったところだ。あの時はバックナンバーもおかれていて、買い損ねていたベルメールの特集号も購入できた場所だ。あって当然と思ったのだが見つからず、店員さんに聞いても「ないですねぇ」といった具合。経営母体が変わったせいかもしれないな、他に行けばあるだろうと思い、東口の大型書店にまで足を伸ばすが、ここにもない。ここで昼休みは時間切れとなり、あとは終業後となった。
定時でさっさと退社し、もう一軒行ってみるが、やはりない。「発売はされてるんですが、まだ、入荷してないんです」という店員さんの言葉に、ふと思い出した。15年位前、メジャーでない本は発売当日には店頭に並ばず、1ヶ月位してやっと入荷するなんてことがあった。書籍の流通の不思議さというか、不条理さというかに初めて気がついた出来事だった。今も状況は変わらない、いや、さらに悪化しているのかもしれない。しかし、この書店では奢霸都館の「ピエール・モリニエの世界」が手に入った。ここには一条の光があるかもしれない。
それにしても。ここまで手に入らないと意地になってくる。なんとしても今日買おう。そこでフェアを開催しているという青山ブックセンター本店に向かうことにした。
JR渋谷駅から向かったのだが、金曜日の駅前の込み合い方は凄まじく、ものの5分で疲れきってしまった。何度行っても嫌いになるばかりの街である。それでも何とか国連大学が見えてきて、目的の書店にたどり着き、やっと手に入った。一冊のためにここまでしたのは久々だ。それにしても、たいした距離ともおもえないのに、なぜここにはあって、新宿にはないのだろう。やはり不条理だ。中間卸の問題とはわかっているけど、やっぱり不条理だ。そんなことをぼんやりと考えながら、渋谷駅に戻る自殺行為を避け、地下鉄表参道駅から自宅に戻った。
さて、内容だが、2号目にして、これが「夜想」ではなく「yaso」だということが明確化されたように思う。以前のような、硬質な、ときには晦渋な文章を中心とした書籍ではなく、写真と作者のインタビューをメーンとしたヴィジュアル誌、ちょうどサブカルチャー版の+81といった具合のものが、今の「yaso」である。前回、私が「インパクトが落ちた」と感じたのは、これのためかもしれない。「言語で考える」というダンディズムに浸っていた以前からのファン(もちろん私を含む)には、反感を持たれかねないつくりなのである。しかし、当然ながら「yaso」はノスタルジアであってはならず、今の読み手(多く読者は"ゴス"という領域にあるのだろう)に印象を与えるものでなくてはならない。その意味で、このつくりは正解ということなのだろう。
掲載された人形で興味を惹かれたのは、フローリア・シジスモンディ、タデウシュ・カントル、四谷シモン、吉田良。ルイズ・ブルジョアについては人形ではなく彫刻と判断、やなぎみわと井桁裕子については、もう少し時間をかけて判断したいと思う。そのほかの人形については、その表情、とくに視線に媚のようなものを感じてしまう。ちょうど自分の心の病を書きつらねて、憐憫をさそう人物のウェブサイトのような媚だ。どうもそれが鼻について好きになれない。
そんな話を、ある女性にしてみると「その媚が球体間接人形の要素になってるのかもしれない」という意見をもらい、なるほどと思った。私が人形にたいして持つ興味というのは、それそのもので完結、もしくは閉じているものが構成している世界を覗き見たいというものなのだろう。その意味で、独特なロマンティズムに満ちた空間で、人形そのものが動き回るクエイの世界はまったくもって理想的な興味の対象だ。それとは対照的に現代の球体間接人形は、それそのものが主体なのではなく、それを動作させる誰かが主体として存在しており、その主体の操作、参加を求めている。ゆえに、その表情に媚、という単語に問題があるとすれば、愛嬌とでもいうべきものが浮かんでいるのではないだろうか。球体間接というもの自体も、外部からの操作を要求しているとも考えることができる。それゆえ、あの表情は、その介入をさらに誘うものなのかもしれない。しかし、逆にあの表情を浮かべない球体間接人形には、それそのもの主体性が備わるようにも思える。それがあるのがベルメールの人形に思えてならない。
とすると外部からの操作を求める今の球体間接人形の多くは、ベルメールの直系というよりも、天野可淡の影響下にあるように思える。
これ、もう少しまとめて、まともな文章になったらサイトにアップしよう。
とにかくも、これだけ考えさせてくれる雑誌は少なくなってしまった。そういう意味で今後も「yaso」には期待したい。
投稿者 黒川鍵司 : 2004年10月17日 22:45
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