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2004年10月16日

土曜日はだらだらと

 土曜日はゆったりする、というよりだらだらするというのが習慣化している。洗濯は明日でいいや、食事も簡単でいいや、買い物も明日にしよう、といった具合です。

 あんまりだらだらなのも何なので、今日はDVDでも見ようと思い立ち、以前、2枚で2980円というので買った「サイコ」と「キャリー」を見ることに。

 まず「サイコ」。ソール・バスのオープニングとバックの音楽。やっぱりかっこいい。シャワーシーンの殺人は、やっぱりよくできてる。そしてラストの椅子に座るアンソニー・パーキンスは、やっぱり怖すぎる。本編を見た後で、特典映像を見て、公開当時はけっこう扇情的な売り方をしていたんだと知りました。今でこそ名作ですが、きっと当時は際物に近い感感覚だったのではないでしょうか。その特典映像を見ていくとこんなこぼれ話が。

 「オープニングはヘリを使った空撮にしたかった。町を遠景に撮り、通りを進んでいき、ホテルにたどり着く。でもその頃は技術的にできなかった」

 あれ? そんなシーンをどこかで見たような......。「サンタ・サングレ」の鷲の視線で町を飛んでいくシーンじゃないか!ヒッチコックがやれなかったことを、自分の「サイコ」でホドロフスキーがやったってことなのか。う〜む興味深いなぁ。

 お継ぎは「キャリー」。確か小学生のときに、テレビで放映されたのを見たっきりで、主人公の顔しかおぼえてない。怖いのはキャリー本人よりも母親。あれ? この映画も「サイコ」と同じで厳格すぎる母親が問題なんだ。効果音も似てたり、学校名がベイツ高校だったりする。期せずして似た映画を同時に買ったんだなぁ、と思いに耽りつつ見ていくと、ラスト近く、母親が逆手にナイフを握る。
 あれ? こんなシーンもどこかで見たような気が......。「サンタ・サングレ」で母親がアルマに向かってくシーン!それも髪型までそっくり。

「う〜む、ホドロフスキーって、本当に映画が好きなんだなぁ。」

 そう思っていてところで、はたと気がついた。今日はリチャード・シンクレアとデイヴ・シンクレアのライブに招待されていたではないか!現在、21時。もう終わりの時間だ。ライブというと日曜日って気でいたよ......。

 土曜日はだらだらというが染み付いてしまっておりました。反省します。

投稿者 黒川鍵司 : 2004年10月16日 22:10

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トラックバック時刻: 2006年11月23日 12:09

コメント

『サイコ』良いですよね。あれは僕も好きです。原作にある「仕掛け」を損なうこともなく、上手く料理してると思いました。ヒッチコックは技巧的名手という感じです。
僕はロバート・ブロックの原作を先に読んでいたので、ネタを知っていたのですが、文章の映像化で生じる問題を逆手にとった演出がショッキングでした。敢えて何処とは言いませんが。
作品を別メディアに移し替えるのは、ネタバレが絡むと或る意味、難問だと思っているんですが、それがなくても気楽なメディアミックスやリメイクが多過ぎる気がします。
特に名作映画のリメイクが失敗作だとげんなりします。『バニラスカイ』見た時は、『オープン・ユア・アイズ』を汚された気分でした。巧妙な演出をそのまま流用している割に、新たな切り口も感心出来なかったです。
『キャリー』って、虐待される超能力少女の話でしたよね。母親もアレですが、彼女の置かれた状況は何重もの抑圧で悲惨ですよね。まあ、そんなに好きな映画でも無いのですが。
先日、ダリオ・アルジェントの『ゾンビ』借りてみました。ゾンビものって常に集団感染で食人行為が絡んでますね。必然的に孤立の恐怖が生じる訳ですけど、「カミュの不条理」というのも言いえて妙ですね。
ホラー手法の起源を辿ったりするのも面白そうです。シミュレートとモデルの関係を考えるのにも、原型や定型化は重要な問題かと。
ところで、ラヴクラフトって小説家ご存知ですか?或る意味、最も重要なホラー作家だと思ってます。

投稿者 クォンタムID : 2004年10月20日 12:48

ラストで車が沼から引き上げられる直前、アンソニー・パーキンスの薄気味の悪い笑顔と、ミイラ化した母親の顔が微妙に重ね合わされてるんですよね。B級の雰囲気でありながら、実はA級のつくりをしている作品だと思います。「サイコ」は読んでいないのですが、「無人の家で発見された手記」「妖蛆の秘密」「アーカム計画」は読みました。内容は微妙にしか覚えてないですが......。
 その師匠(と呼んでもいいですかね)H・P・ラブクラフトの作品では「幻夢境カダス
を求めて」がよかったですね。トリックスターとしてのナイアルラトホテップ(ニャルラ〜とするのが正式なのでしょうか? でも「ナイル」という音を連想させる、この呼び方のほうが好きなのです)がすごく好きでした。ホラーとしてのラブクラフト作品では「エンリッヒ・ツァンの音楽」「冷気」といった短めの物が好きでした。
 でも、ラブクラフトを好きだと思い込んでいた頃は、実際にはヒロイックファンタジーが好きだったと、今は思います。なので、彼の周りの作家ではC・A・スミスの「白蛆の襲来」が一番のお気に入りでした。

 正直言って母親役は演技過剰だと思います。<キャリー
 そのせいでキャリーに目が向かないのですよ。悲しさや悲惨さが、母親役のやりすぎで死んでしまっているように思えます。また、他でも視点が定まらない部分が多く、ホラー映画としては失敗していると思います。怖がらせるのはラストのあのシーンだけですし。内容も今だったら2時間ドラマかな。良くも悪くもデ・パルマらしいといえなくもないでしょうけども、ぎこちない映画ですね。

 ご覧になりましたか!<「ゾンビ」
 共食いに対する嫌悪感の部分ももちろん重要な要素だと思うのですが、それ以上に、例え自然死したとしても、安らかに死を迎えることができないというのが、あの映画の大きな不条理なのだと思います。

投稿者 黒川鍵司 : 2004年10月21日 12:08

レス有難うございます。
ラヴクラフトに関して言えば、単純に小説家としての腕ならば先達のポオが遥かに上でしょうし、雰囲気も洗練されていると思います。ラヴクラフトの魅力はもっと物語の背後に大きな世界像を感じるところにあるのだと思います。この点に関しては、他人の手になるの神話物や、他の小説(怪奇に限らず)と比べると際立って見えます。
高校の頃は僕も物語としてはコナン・シリーズとかの方が好きでした。ラヴクラフトの場合、人間の位置が非常に否定的で妙な歯がゆさがいつも残った気がします。北欧のサーガとか読み漁りたいのですけどね、今の出版業界見ていると自主的に文学伝統を守る気概が感じられなかったり。
ファンタジー回顧にしてもどうせなら『指輪物語』や『アーサー王』だけでなく神話の源流まで探って欲しいですけど、ハリウッドのムーヴを後追いしてる感じがミーハーだなとか思ってます。80・90年代の『ユリイカ』みたいな雑誌はもう出ないんでしょうか。
ラヴクラフトの怪物の名前については色々説があるみたいですが、読める表記自体が既に見当違いなのではと思います。「CTHULHU」なんて英語圏の人間でもすんなり読める筈が無いし、それは恐怖構造の核に重なると思うのです。ロゴスにカオスが侵入してくる時、人は覚束無くなる訳ですけど、解釈を押付けるのも不当な気がするのです。丁度カフカの『変身』が何の虫になったのか分からないのと同じ様に。
「這いよる混沌」に限らず怪物は混沌の仮象な訳で、作家の実存不安から生まれたと思っています。だから妙に自己喪失的な寓意が物語に入り込むのではないかと。「ナイアルラトテップ(仮)」はトリックスターとも言えますけど、二面性を持たず、人を破滅に導く性質はアンチ・ヘルメスと呼べるかもしれないですね。
長くなってすいません。

投稿者 クォンタムID : 2004年10月23日 11:13

 確か中学生の頃に読んだきりで、内容をすっかり失念しているので読み直そうとたくらんでいたところです。<ポー

 あの頃は「赤死病の仮面」にしても「黒猫」にしても何が面白いのかさっぱりわかっておりませんで、やっぱり、子供の単純な思考にはラブクラフトの一種のあざとさがあっていたということでしょう。わかりやすいんですよね。「化け物怖い」が基本になっているので。もちろんそれだけでないのはわかっているのですが、「世界観」とか「背景」よりも、その単純さが受けの理由なのかなぁと思っております。

 先日、Benoit Moerlenと話していたとき、「神話」の不在という話になりました。日本人やアメリカ人ならまだしもフランス人である彼が、そんなことを言うのに驚いたのですが、たしかに先進国の共通病なのかも知れません。もう、自民族の由来を語るような古の神話には惹かれないようになっているということなのでしょう。

 新たな神話に求められるのは、一種の平和で、もちろん戦いはあるのですが、むしろ異種族(異人種)が協調して、何かに立ち向かうという構図がメーンなのだと思います。うぶな内容ですが、それうぶさ、わかりやすさが神話的なのですね。「スターウォーズ」「ロード・オブ・ザ・リング」にしろ、その条件を満たしているがゆえに神話を求める人々に受け入れられているのではないかと思います。

 ラブクラフトの(その言い方が正しくないのは承知ですが)「神話」は古の神話によって生まれていたはずの基盤が崩壊していく物語なのではなのだと思います。ラブクラフト自身の国粋主義的アイデンティティが、次第に開明化していくアメリカの社会によって崩壊してく、移民などの外部から流入する力が彼の基盤を揺るがしていくという状況、自らの基盤を置くことができないという不安定な状況ゆえに「恐怖」でありうるのですね。

 彼のいわゆる神話からの派生が、一風変わった伝奇物になりがちで、結果として邪神への一致協力した戦いを描くことが多いのは、上記の求められる神話像への接近と、国粋的アイデンティティへの反発があるのではないかと思っています。

投稿者 黒川鍵司 : 2004年10月25日 17:53

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