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2005年4月22日

ショーン・オブ・デッド

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 観たいなぁと思う映画だったのだけど、劇場公開してくれず、やっとDVDで観ることができた。とにかく、このジャケットを見て欲しい。よくできたロメロ的ゾンビの群れ。その左に気まずそうな表情で花束をもった主人公。これだけでどんな映画かわかるだろう。

 基本的に登場人物は真剣。だけどポカだらけ、でも憎めない。迫るゾンビにレコード投げて応戦。それも投げるレコード選んでたりする。ゾンビの性別で武器を変えてみたり、ゾンビの真似でゾンビの間を通り抜けてみたりして、その度に笑わさせられる。

 そして、そこここにロメロの「ゾンビ」のパロディやオマージュがあってニヤリとさせられる。テレビから「地獄に余地がなくなると...」の台詞が聴こえてきたり、「ゾンビ」の音楽が聞こえてきたり。そしてなによりも、「最近のセオリーと違って」スローなゾンビというのが一番のロメロへのオマージュだろうか。

 ゾンビ映画定石の篭城、危機の中での対立と和解、親しい人がゾンビになってしまうというエピソードもしっかり盛り込まれていてドラマもある。リメイクと言いつつ駄作になったり、パロディと言いつつ単なるドタバタに終わる映画とは違うといえそうだ。

 純粋にコメディとしては、今一のできかもしれない。しかし、せめて「ゾンビ」だけでも観ておけば、楽しみは数倍になるだろう。仲間でわいわい言いながら、主人公たちにつっこみをいれながら観るのも楽しいはずだ。ただしゾンビ映画としての残酷な描写もあるので、小さなお子さんとは観ない方が良い。

 なお、安価版が7月に発売の予定である。ご購入されるのなら、そのからでもいいのではないだろう。

投稿者 黒川鍵司 : 2005年4月22日 12:29

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今日の深夜1時くらい、久しぶりにホラー?を見た。 まあこれはホラーではなく ホラーコメディ。 ゾンビの動きは遅くてロメロ監督のゾンビのパロディな... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年4月 4日 22:35

コメント

紹介文読んでたら見たくなってしまったので、つい借りちゃいました。
コメディとしてイマイチというのは何となく分かります。でも、茶化しまくって破綻するよりは、あれくらいで丁度良いのかもしれないですね。愛の在るパロディですよ。対照的に見たとき、ゾンビより人間の方が滑稽に見えるのとか。
ただ、小さい子供はゾンビ以上に残酷だと思いますよ。人食いごっことか好きだし(笑。暴力的空想は子供にとって割と普通な気がします。想像の支配力が強いから、トローマになったりもしますが。『ニコラ』って映画がありましたね。
恐怖を同化する手段として暴力に向かう面って人間にあると思います。ユーモアで消化するのも一つの手段だから、ああいう志向って意外と紙一重なところもありそうですね。

そういえば、ロメロの『ゾンビ』って伏線もなく最初から恐慌状態なんですよね。あれ微妙に不思議です。

投稿者 クォンタムID : 2005年4月28日 12:53

 コメディということであればスティーブ・マーチンの作品が好みなんです。サボテン・ブラザースなんて大好きなんですが、どうも日本では彼はちょっと評価が低いような。笑わせるだけでない演技のできる逸材だと思ってるんですけどもね。

 ショーン・オブ・デッドは、題名のとおりゾンビあっての作品ですので、なんの先入観もなしに文句なしに笑えるとはいいがたいものがありますよね。もちろん、よくできてるし、ゾンビが好きな方には彼らの原作への愛情にたまらないものがあるのですけども。

 小さな子供の件ですが、そのとおりです。しかし、映像を伴う経験の影響というのは非常に大きなものがあります。夜泣き、悪夢の原因、暴力行動への動機付けとなります。佐川さんの食人願望が、子供のころの人食い鬼ごっこにあったなんてことも言われておりますし。なので、現実と仮想の区別がつき、善悪の価値観が出来上がるまで、コメディであっても、この手の映画は見せるべきでないと考えています。

投稿者 黒川鍵司 : 2005年4月28日 13:29

世間や大人が押し付けがたる価値観を子供がどの程度受容れるかと言っても、多くの子供は親の言うことに反発を感じるし、場合によっては殺意すら抱く訳で、善悪の観念は自己分裂を引き起こすし、寧ろタブー故に惹きつけられる事だって往々にしてある訳で、暴力衝動もある程度は自然な部分があると思います。過度な躾でエド・ゲインになることもあれば、放任の結果ジェフリー・ダーマーにもなる可能性もある訳で、個人的資質がどういう方向に転ぶのかは、予めどうのって断言するのも危険なんですよね。
だから、犯罪問題なんかはどうしても結果論的に議論されてしまうし、ヘンリー・ルーカスみたいに鬼畜な親の元に生まれてしまう不運な子供にとっては教育論なんて無意味になる可能性が大な訳ですよ。
まあ、トローマから生まれた傑作もあるでしょうし、芸術家のモティベーションが芥川みたいにネガティヴな強迫観念であることも少なくは無いですからね。父親を悪魔だと思い込んで殺害したリチャード・ダッドなんて天才画家も居ますし、天使と悪魔は同族であることを止められないのじゃないかとか思ったりもします。
まあ、確かに現実問題としては、どこまで見せて良いかってのは線引きが難しいですよね。当たり障りの無いものばかり見せてたら退屈のあまり自殺するんじゃないかとか(笑……いや、笑えないか
今のディズニーのカマトトぶり見てると、自動小銃乱射してた昔のミッキーマウスの方が健全に思えて仕方無いです。僕自身は『ジャックと豆の木』を怖がってる様な子供でしたけど。

投稿者 クォンタムID : 2005年4月28日 18:44

 自分を振り返ってみても、おそらく大人の意図していた部分と違う部分を見ていたということはよくあります。戦隊ものだのも、今見ればストーリーに目が行くんですが、子供の頃は戦闘シーンと、敵の行動(主に暴力)しか見ていませんでしたね。

 テレビや映画の残酷なシーンや、暴力的なシーンにちょっとした危惧をいだくのは、それが視覚と聴覚に対しての刺激でしかないという点と、ストーリーの一部でしかない、単なるコメディだといって比較的それが容認されてしまいやすいということです。子供が現実の世界で小動物を虐待したとして、それが悪い行為であると本当の意味で認識するのは、年長者に怒られる(時には体罰もあり)行為によってだと思います。怒られる、もしくは褒められるという経験なしに、行為の善悪を判断する価値観を生み出すのは非常に困難なのではないかと思います。もちろん過度に叱ることばかり行い続ければエド・ゲインやシュレーバーのようなことになってしまうでしょうけども。

 上記理由から、そのような経験がないと思われる幼少の子供には、例えコメディであるこの映画も見せるべきでないかなぁと思うわけです。

 しかし、何でもかんでも暴力・残酷シーンは規制しろ、という意見には乗りたくないですし、また、少年・少女の犯罪の原因を映画やネットに押し付けるのも嫌いです。むしろ現実世界での善悪の基準を、彼/彼女の中に生み出せなかった理由、家庭の教育の問題なのか、教育機関の問題なのか、気質的な問題なのか、それ以外なのかということを明らかにすべきではないかと思っています。

投稿者 黒川鍵司 : 2005年4月29日 09:59

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