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2005年7月11日

備忘メモ

・食人行為・・・イメージ:野蛮、未開、猟奇、犯罪
・医療行為・・・イメージ:先進、科学、理性、技術


食人と聞けば嫌悪を催すが、医療行為としての臓器移植などには美談と科学的な清潔さがつきまとう。

しかし以下のような共通の結果をもたらすことがある。
・クールー病
・医原性クロイツフェルト・ヤコブ病
(病名は違えど同一の病原体による症状だといわれている)


※ちなみにニューギニアのクールー病の遠因は、比較的近年、死亡率の低下による人口の増加したことによる模様。タンパク源が不足したことによって始まった習慣。つまり、これも実は医療の進歩とかかわっている。
--
 考えてはいるのだけど、いまいちまとまらない。

 別に医療批判をする気もないし、手術などについて嫌悪感をそそろうという気もないのだけど、死体の利用という意味ではどちらもあまり変わりがないのに、なぜこうもイメージが異なるのか? というところに突っ込みたいわけですが

投稿者 黒川鍵司 : 2005年7月11日 13:12

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コメント

http://www.asyura2.com/0403/gm10/msg/170.html
http://gtm.cool.ne.jp/eizuhatomoguikara.htm
お勉強になりました。共食いは良くないぞ!っとφ(..)メモメモ...。
人食と聞くと、楳図かずおの漫画を思い出してしまいます。トゲトゲの噴出しは相変わらず。今日も吉祥寺を闊歩しているのかなぁ。

投稿者 rabbitmoon : 2005年7月11日 14:20

 狂牛病騒ぎで、プリオンについて見聞きしているうちに、ある種の医療行為は食人的なんだなぁと思わされたんですよ。

 医原性クロイツフェルト・ヤコブ病の直接の原因は、乾燥硬膜の移植なのですが、こう書かれると何が何やらわからんのですよね。よくよく考えると脳の手術をしたときに開いてしまった脳の周囲を覆う硬膜というやつを、死体からとった乾燥させた硬膜で穴埋めするっていう作業なんですよ。

 プリオンのことがあって、初めてほとんどの移植手術というのが死体を医療用具として利用している行為なんだと気がついたわけです。これと死体を食べる行為にどれほどの差があるのだろうと、考えあぐねているのですが単に技術的差異、つまり利用方法が物理的に単純か複雑かしかないように思えています。

 いや、もちろん人命が救われることに異論はないので、私自身死後はドナーとして臓器の提供を行ってかまわないと思っているのですが、

食人=野蛮・猟奇
医療=先進・理性

という図式のもとに同じ行為が別物として、不快感を感じさせないようなカラクリで行われているというのが納得いかないなぁと思ってみたりしていたりして。

 こう書いていても、自分でもようわからず、整理がつきません。なんとか文章化したいのですけども。


 楳図かずおさんは、私も2度ほど見かけたことがあります。見かけたというよりもすれ違っただな。例のボーダー柄の服と、きついパーマの髪の毛だったのですが、外を歩いていても意外と違和感がないですよね。

投稿者 黒川鍵司 : 2005年7月11日 14:46

痛みを伴う殺戮は蛮行だと、思い込みを盾に動物愛護を謳って肉を食っている人たちみたいなものですね。過程を問題にして結論は一緒。動物が殺されることに変わりはない。騒いでいる人間ほど感謝していないし、自分との関わりを肌で感じていない・・・と思っています、個人的に。

ちょっと話がズレましたね(^^;

科学が進めば当然今の移植に変わる手立ては確立されるものと思いますが、現在における医療では移植は最先端。過渡期であるが故に矛盾や相克を孕むのは仕方ないのではないかと。自分が与えられる立場に立ったときに、受け入れ感謝すること以外には、今の自分には想像出来ないです。

投稿者 rabbitmoon : 2005年7月11日 17:30

 こんにちは。
 食人と移植は全く違う物だと思いますよ。少なくとも僕のイメージの中では。

 それは「違わなければいけないこと」と「同じでなければいけないこと」の違いですかね。
 人間が食べる対象は「人間であってはいけない」、人間に移植する臓器は「人間の物でなくてはいけない」。
 例えば、ブタの皮膚を人間に移植したら、それは「科学の暴走」と評されるでしょう。

 また、食べる対象は人間以外にいくらでも存在するけれど、人間に移植できる臓器は人間の物だけ、という事もあるでしょうね。(もちろん例外もあるでしょうが)

 このテーマは面白いですね。相違とは何か、差別とは何か、捕食とは何か、移植とは何か、死体とは何か、うん、面白い。
 しばらく楽しめそうな話題です。提供ありがとうございました。

投稿者 LSTY : 2005年7月11日 18:52

>rabbitmoonさん
 何かを犠牲にして存在するっていうのは、生き物、というよりも、この宇宙に存在してもの全てに当てはまることなのかなぁと思います。そういうことを埴谷雄高がいってたんだと思うんですけどね。惑星であっても質量の大きい方が小さいものをひきつけて、自分の一部にしてしまうって言うようなことを。
 それはいろいろ言い訳せずに受け入れるしかないかなぁと思っているのですけれども。

>LSTYさん
 常食するものとしては仰るとおりなんだと思います。ただし、食べるという行為には自分の弱い部分、もしくはかけている部分を補うといった意味合いが含まれるように思われるのですね。卑近ですが精力を増強するためにトラやオットセイのペニスを薬と称して食べるとか。
 食人にもそういう部分ってありますよね。強い相手を食べて自分が強くなるといった。以前、宮崎勤容疑者が誘拐し殺害した少女の手を食べたというのも、彼の手の不自由を考えるとそういう行為だったのかなぁとか。

 そのような形での食人は、医療行為とにてるなぁと。

 人肉がもし市場に並んでいたら皆驚くだろうし、嫌悪感をむき出しにすると思うんですが、医療用具として人体が並んでいることには、それほど嫌悪感は持たないのではないかと思います。両方とも値段のついた死体に違いは無いわけですけど。

 死体は嫌悪だけど、標本と言葉が変わると興味の対象になるというような図式といえるでしょうか。そういう延長にあるからこそ、「人体の不思議展」にあれほど人が殺到するのかなぁと。実質上の意味は墓場やカタコンベと大して変わらないと思うのですけれど。

 啓蒙、教育のためといわれて開かれた、いわゆる衛生博覧会もそれですよね。自分の中の怖いもの観たさみたいなものを、教育という名でごまかしているという。良質なドキュメンタリーという名目で「世界残酷物語」を見る視線もそれかな。

 そういう言葉のイメージというか、偽善というかそういうものを取り上げたいと思っているのですかね、俺は。それとも医療そのものへに何か言いたいのかな。ここら辺がまとまらないので、話がまとまらないという気がします。このネタはもうちょっと考え込む必要がありそうです。

投稿者 黒川鍵司 : 2005年7月11日 20:19

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