2006年2月 9日
ご冥福をお祈りいたします。
このブログでも様々な形で取り上げさせていただいた、伊福部昭氏が8日午後10時23分、お亡くなりになりました。「次は白寿コンサートだなぁ」と思っていたのですが残念です。一度だけですが、お姿を拝見できたことが、私にとっては、せめてもの救いです。今でも、ゴジラから花束を受け取られた際のお顔を思い出すことができます。
どうぞ、やすらかにおねむりください。
投稿者 黒川鍵司 : 2006年2月 9日 09:28
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コメント
伊福部さんがなくなられたこと、先ほどヤフーニューで知り、ただただ驚きました。
ご冥福をお祈りします。
投稿者 三浦申太郎 : 2006年2月 9日 10:11
もう一度、あの屈託のない笑顔を拝見したかったです。
現在の不当と思える伊福部さんの音楽への評価が、今後変わっていくことを希望したいと思います。
投稿者 黒川鍵司 : 2006年2月 9日 11:33
ある意味、変拍子を日本に定着させた功労者かも。
ご冥福をお祈りいたします。(−人−)
投稿者 rabbitmoon : 2006年2月 9日 16:39
思い出させた、そしてむしろ自然だと教えてくれた人ですね。<変拍子
サイトに文章ものせさせていただいているので、ここで繰り返したもしょうがないのでしょうが、私に日本人であることの自信をもたせてくれた音楽家でした。いつかはこういう日が来るのは分かっていましたが、それにしてもやはり悲しさは隠せません。
投稿者 黒川鍵司 : 2006年2月 9日 19:41
ジェリー・ゴールドスミスが亡くなった時も、
深い悲しみを感じたが、とうとう伊福部先生まで
鬼籍に入られてしまいました。
意外と知られていませんが、サティの日本初演など
この人がいなければ、現在の日本音楽界は
今とは少し違う形になっていたかも知れません。
巨きな人でした。
投稿者 masamiadachi : 2006年2月 9日 21:54
「巨きな人」という言葉に共感いたしました。バルテュスが亡くなったとき「これで絵画で巨匠と呼べる人はいなくなったな」と思ったものでした。映画においてはテオ・アンゲロプロスぐらいでしょうか。
伊福部さん亡き後、私の知る限り日本の音楽界には「巨きな人」はいないようです。
「これが時代というものだ」
と言われてしまえば、それまでなのですけれど。
投稿者 黒川鍵司 : 2006年2月13日 15:00
とうとうお亡くなりになりましたね。
巨匠という言葉が現実的な意味を持つには、全てが相対化され過ぎている気もします。
成功と才能、偉大さと知名度が単純に混同されるような世界だから、傑出した芸術家は沢山埋もれていると思いますけどね。
タルコフスキーとか詩的な映像美のある映画は好きなので、アンゲロブロスの『霧の中の風景』も結構嵌りました。マルティン・シュリークの『ガーデン』も中々良かったです。
http://www.discstation.co.jp/VSShop/cgi/DS_goods_item.aspx?PID=&ns=ULD-166
最近某所で見た中嶋莞爾という方の作品にもかなり惹かれました。
http://www.din.or.jp/~kn-film/
誰が巨匠と言われても、その定義を穿り返すような状況なのでせめて鑑識眼だけでも磨いておきたいです。
投稿者 クォンタムID : 2006年2月18日 15:05
絵であっても、映画であっても、音楽であっても、それを美しいと思えると同時に、即時に作者がわかる、そしてそれが広く認められているというのが条件ではないかと思います。
そういう人自体いらっしゃるのだと思うのですが、個別化と均一化が同時進行のここ最近では、見えてこないですねぇ。
投稿者 黒川鍵司 : 2006年2月18日 20:41

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