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2006年3月28日
戯言
- 結論としてそこに辿り着くのはわかっていたわけだけれど、そこまでに多少なりとも実りある議論はあったのだろうか? このような近道に納得する人はいるのだろうか? 何もかもうやむやなままならば、その死が神格化につながっても不思議じゃない。
- 消費物としての神。消化も代謝もないままに貪り続ける餓鬼は、どれ程それを喰らおうと空腹を持て余す。
- 今夜は華宵を眺めつつ、忘れた歌を思い出す。
投稿者 黒川鍵司 : 2006年3月28日 21:02
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コメント
Ωですか。あれはなぁ・・・(−−;
高畠華宵ですか。見ながら何を思い出したんですかねぇ〜。(^^
投稿者 rabbitmoon : 2006年3月28日 22:13
本日はありがとうございました。しっかりと受け取りましたよ。
思い出していたのは昔、NHKラジオの深夜放送で戦後直ぐの流行や、明治、大正期の演歌師の歌でした。必ずしも華宵の時代とシンクロするわけでもないのですけども、僕の中の擬似的なノスタルジアという奴が一致した次第です。
この間の宮崎さんの件もそうなんですが、結論として死刑になるだろうことについては、納得できるんですが、じゃあ、裁判を通して何が学ぶものがあっただろうかということになると......。結果よりも過程に重きを置くべきじゃないかなぁと。
投稿者 黒川鍵司 : 2006年3月29日 22:05

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