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2006年7月13日

いまだにシドの事を考えている

 ほとんどノンフィクションの文章にまとめもしたのだし、昨日も記事にしたのだから、もうこれ以上書く必要はないはずだと思いつつも、納得していない部分がある事も間違いない。

 有り体に言ってしまえば、シド・バレットの音楽は好きではない。グニャグニャと気持ち悪く思う。フロイドを評価するのも「原子心母」以降で、ロジャーの影が色濃くなるにしたがってだ。フロイドがそこに辿り着けたのはシドのお陰だと言う人は多い。確かにそうかもしれない。シドのリタイアという事がなければ、ロジャーがあそこまで強迫観念的な、カタトニーめいた思想性に突き進んで行く事はなかったろうし、その志向がギルモアのポピュラーさと上手い具合にバランスをとる瞬間がなければ、「狂気」は生まれなかっただろうし。

 しかし、それではシドの音楽はどこへ行った? いまどこにそのかけらが? 私にはそれが見いだせない。私の中で、シドの死をサイケデリアの終焉と片付ける事ができないのは、そのあたりだろうか。

 結局、彼の音楽ではなくて、彼が残した傷痕めいたものだけが、皆に影響を与えたように思える。彼を直接知るものにとっては、その傷は大きくて、それゆえフロイドは化け物になったのだし、いまだにシドに対する愛情と哀れみと無念さをもった人が多いわけだ。そうでない人は、あまりに伝説化された、フロイドからソロ、隠遁に至る過程に、ペシミステックな幻想にとらわれる。 ミック・ロックの撮った写真に涙する私などは、その典型だろう。

 こんな事を書いても、自分の中で何も静まる気がしない。祈りも、言葉も虚しく思えるだけだ。志半ばで、もしくは才能を十全に発揮出来ないまま消えて行ったアーティストなど星の数程いるはずなのに、どういうわけかシドの残した傷痕だけは、恐ろしく深かったということだけはわかった様に思えるけれど。

投稿者 黒川鍵司 : 2006年7月13日 22:01

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コメント

やっぱり似たようなことを考えていますね。
わたし自身、シドの音楽そのものはほとんど知らないといってもいいのですが、「シドの空白(痕跡=不在)がフロイドを伝説化し、けっきょくわれわれは、シドの存在にはけっして行き当たらない」ということでは、黒川さんよりも世代が上のわたしでもまったく同じです。
自分のところでも書いたように、その狂気のあり方が、あまりに現実的だったのかもしれません。

投稿者 Waldstimme : 2006年7月13日 22:45

すみません。私は祈ってしまいました。

投稿者 まやちー : 2006年7月13日 23:42

>Waldstimmeさん
 彼がもし、そのまま在籍していたとしたら、その後のフロイドは今のような姿を見せる事はなく、「狂気」も「狂ったダイアモンド」もなく、結果として今よりも価値の低いバンドになっていたかもしれないということが頭にあるのですが、そうなると、シドのリタイアを肯定しなきゃならなくなるという。もちろん、「等身大の」生々しい彼の無惨さを肯定したいわけはなく、それなのにというジレンマに襲われます。
 シドが残した傷痕の大きさというのはこのジレンマゆえなのかなぁ。

>まやちーさん
 私個人がそう感じたという事であって、他の人が祈るのを否定するという意味ではないです。ご不快な思いをさせて、申し訳ないです。

投稿者 黒川鍵司 : 2006年7月14日 01:44

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