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2006年8月28日

今日のことば

 私たちは、しばしば「この音楽はわからない」という言葉に接しますが、その場合はほとんどすべての人は、自分の中に、その音楽にぴったり合うような心象を描き得ないという意味のことを訴えるのです。この心象は、その人によって異なり、哲学、宗教、文学といったものから視覚的なもの、とにかく、音楽ならざる一切のものが含まれております。
 もし、そうだとするのならば、その人たちが音楽を理解し得たと考えた場合は、実は音楽の本来の鑑賞からは、極めて遠いところにいることになり、理解し得ないと感じた場合、逆説のようではありますが、はじめて真の理解に達し得る立場に立っていることになるのです。
伊福部昭著「音楽入門」(全音楽譜出版社)34ページ

投稿者 黒川鍵司 : 2006年8月28日 20:35

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コメント

ごきげんよう。

伊福部さん、難しいこと仰いますね。
でも、伊福部さんの音楽を聞いていると、やはり同じ日本人だからか余計に風景を浮かべてしまいます。特にタプカーラは。

ときに、タプカーラの聞き比べはなさらないのですか?

投稿者 テンスケ : 2006年9月 2日 13:29

上記の本の中で幾度か、このような内容が繰り返されるのですが、何か社会的な問題との絡みがあったように思えなくもないです。でも、今の自分を振り返るとたしかに視覚化、特にクラシックにおいては顕著にそれを求めているような気がして、そこを突かれたような気がしました。聴くこと忘れて、見ようとしていたといいますか。

 シンフォニア・タプカーラの聴き比べは、実は何度か行っているんですが、まだ記事にしていません。むしろサイトのほうに掲載するかもしれませんね。

投稿者 黒川鍵司 : 2006年9月 3日 09:23

レスが遅くなりました。すみません。

> 何か社会的な問題との絡みがあったように思えなくもないです。
伊福部さんの場合は映画音楽をやっていましたからね。視覚という面では、ことさら意識されやすいのでしょうね。

タプカーラの聞き比べ、楽しみにお待ちしています。ちなみに僕のフェイバリットは、ヤブロンスキーの盤(NAXOS)です。演奏の良さもこの盤を気に入っている理由のもちろん一つですが、それ以上にNAXOSの選択を評価しています。
日本人であるからこそ伊福部さんの音楽により感じ入るものがあるというなら、その要素を除去したなら伊福部さんの音楽はどういったものに聞こえるのか。外国人指揮者・オケで演奏しているこの盤は、その答えだと思います。

投稿者 テンスケ : 2006年9月 8日 02:45

 同書には「音楽における民族性」という章がありまして、そこでは伝統というか、血統というか、そういうものによってはぐくまれる審美感の存在について述べています。戦後、「日本」というものから離れたがった人々への彼なりの回答だったのでしょう。
 その意味で、日本人であるから、タプカーラに感じるものがあるということを否定することはないと思います。
 伊福部が言いたいのは「音楽」として作られたものを、それ以外のものによって理解しようとする態度、結局、付加物扱いされかねない状況に対する異論であったのではないかと思います。この態度が進んでいくと、音楽ではなく、その哲学性、思想性といったものが問題にされるようなり、衒学的に音符を並べただけの音楽、音楽ではなく、高踏を気取っただけのファッションが生まれてしまうということを危惧していたのでしょう。

 NAXOS盤のことは、かなり昔に、どこかで書いた記憶があります。タプカーラとしては異色で、スピード配分、楽器間のバランスなどが、他の録音とまったく異なるんですよね。これが指揮者の国籍の違いなのでしょうかね。
 ここまで異なっていると、指揮者とは楽譜から作曲者を理解する作業を行う人なのか、それとも、楽譜という制限の中で自分をどう発揮させるかを試みる人なのかという、取りとめのない考えが頭をぐるぐると回ります。
 指揮者にありがちなナルシシズム、熱狂、気難しさ、客観性などなどをちりばめるとこれをネタにひとつ文章が書けそうですね。
 といっても、それができる程、クラシック、そして指揮というものがわかっていないのですけれど。

投稿者 黒川鍵司 : 2006年9月 9日 10:57

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