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2006年9月24日

戯言

  • 彼岸ともお盆とも無縁の生活は、もう何年目だろう。選択として、それを選んだのだけど、墓参りをしている家族をみたりすると多少思うことがないわけでもない。

  • バタイユが古典として文庫に収録される。何となく違和感。そしてあの物語の題名が「目玉の話」。いや、確かにそうなのだけど。

  • クーデターという言葉だけきくとえらく物騒なわけだが、タイのそれはえらく平和的というかなんというか。タイのことで思い出すのはプミポン国王への信任のあつさ。知ってるタイの人は皆自主的に国王の写真を家に飾っていて、どこかの北の国とは違い、本当の意味で尊敬を集めているということが、彼らの言葉からも伺えたものだった。そういうわけで、なにか政治的なもめ事があっても、国王が出てくると収まってしまうというのがタイの慣例だった様に思う。今回、国王が黙認しているという状況は、タクシン政権への国民の不信を認識しているということなのだろう。つまり、今回の出来事は半ば予定調和の事件で、これはクーデターと呼ばすに「政変」くらいの言葉で表現されるべきなのかもしれない。それにくらべると完全なる予定調和のはずの日本の政権交代のほうがドロドロしてたりして。

投稿者 黒川鍵司 : 2006年9月24日 11:59

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コメント

北の国を見ていると、DV被害者を思い出すこの頃。逆らう気力さえも亡くなってしまうということは恐ろしいことだなぁ・・と。

投稿者 rabbitmoon : 2006年9月24日 18:18

タイのクーデターは緊張感とか悲壮感とか何も無いですね・・・(^^;

ただ、これが当たり前になると軍の改革を政治主導でするのは、凄く難しそうですね。

投稿者 ゴーヤ : 2006年9月24日 18:38

>rabbitmoonさん
 どこかで聞いた話ですが、子供の頃から鎖に繋がれた象は、たとえ大きくなって、それをちぎるだけの力をつけても、鎖から逃れようとしないのだとか。彼の国がどのようになっているのか、客観的と思える資料がないので何とも言えませんが、共産主義国で世襲という公の事実からしても、ある種のカリスマ性に頼るしかない共産主義の極端な例とも言えるかもしれませんが、異常であるとは思います。

>ゴーヤさん
 マルコス政権を倒したときのフィリピンのような熱気もないですよね。これはタクシンさんが、プミポン国王にも相手にされず、引っ込みがつかないみたいだから「クーデター」という形で引導渡してあげたってとこなのかなと穿った見方をしたりしてしまいます。

投稿者 黒川鍵司 : 2006年9月24日 19:17

お盆もお彼岸も、望めばお参りする対象はいつでも手に入るんですよね。家族だって作ることはできるのですよね。でも思うことってそういうことじゃないのでしょうね。その思う心の弦を少し弾いてみたいです。その音を聞きたいです。

投稿者 まやちー : 2006年9月25日 15:25

「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」

投稿者 黒川鍵司 : 2006年9月25日 19:46

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