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2007年10月 9日

オーディオと音楽鑑賞についての立場 − その3

 米国のハイエンド・スピーカー・メーカー「ウィルソンオーディオ」の社長、デヴィッド・ウィルソン氏はステレオ・サウンド誌のインタビュー(159号掲載)において、次のように語っている。

世界中に無数のスピーカーメーカーがあります。おもちゃのようなものから非常に素晴らしいものまで。でもどんなスピーカーであっても、、ベートーヴェンはベートーヴェンですし、モーツァルトはモーツァルト、ビーチボーイズはビーチボーイズに聴こえますね。

 仮に、再生している音楽に徐々にノイズを加えて行ったとしても、ある閾値までは音楽そのものの鑑賞は可能なはずである。また、ステレオで収録された音楽をモノラルで再生したとしても、その音楽そのものがガラリと様子を変えることはない。音楽全体の概要は、細部を切り捨てていっても存在する。それは聴き手の閾値を完全に下回ってしまわない限りは保証され、そして、その概要がもつ、感動の原動力も保証されるはずである。

 故に、例えば夜中の屋台のラジカセから流れてきた女性の歌声に感動することもありえるし、逆に数千万のオーディオセットで奏でられた交響曲の名演でも、その音楽の全体性を破壊してしまっていたら感動を生み出せない結果に終わりえる。

 私にとっての原音忠実性とはこのレベルになる。つまり、その音楽の全体概要をできるかぎりくずさないようにするという程度である。悲しい音楽が悲しく聴こえ、楽しい音楽が楽しく聴こえれば原音忠実性というレベルはクリアしていると考える。そして、再生機器が、これがクリアできていれば、人に感動を与えることもありえると考える。つまり、ほとんどの音楽再生機器は、それによって再生された音楽によって人を感動させる可能性を十分に持っていると考えているのだ。

 では、それなのに安価な再生装置ではなく、それなりの金額をオーディオに使う意味とは何なのかという疑問がわく。それは、これまで述べてきた細部を味わうためだということになるのだが、これだけではどうにもわかりにくい。

 オーディオと比較されるものに車がある。どちらも価格帯が幅広い点が共通点だろうか。オーディオが「記録メディアを再生する」ことが主たる目的なのに対し、車は「移動する」が主たる目的である。タクシー、貨物トラックなのでは「移動させる」がメーンとなるが、これは「移動する」の派生であると言える。

 仮に普通運転免許を持つ人物が、東京から京都に車で移動するとする。軽トラックを利用したとしてもたどり着けるだろうし、高級外国車を使ってもたどり着ける。どのような車種を使用するかは、その人物の判断次第となる。ある人物は万が一の事故を考えて安全性が高いとされる車を選ぶかもしれない。別の人物は長距離の運転でも疲れない乗り心地をもとめるかもしれないし、コストパフォーマンスで選ぶかもしれないし、デザインで選ぶかもしれない。それによって価格差は数倍から数百倍になる。

 オーディオも同様である。「記録メディアを再生する」だけであれば、ほとんどの機器はその条件を満たしているのである。リップノイズが聴こえるとか、色気があるとか、定位感が抜群であるとか、再生可能な高域が40kHzを超えているとかいったことは、主たる目的からすれば、微々たる差でしかないとさえ言い得る。

 冒頭のインタビューの続きでウィルソン氏は次のように述べている。

どのようなスピーカーを求めるのかというのは、リスナーの要求で決まる。私はその中で、非常に高い質を要求する人たちに向けた音の製品を開発しています。

 つまり、この微々たる部分にこそ、聴き手の要求が反映される訳であり、それゆえに多様なスピーカー、プレイヤー、アンプが存在し、幅広い価格帯が存在している。

投稿者 黒川鍵司 : 2007年10月 9日 22:25

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コメント

はじめまして〜
オーディオ初心者のLyn2と申します。

黒川さんのブログ、前から読ませていただいていました♪
『オーディオと音楽鑑賞者としての立場』の記事、なかなか興味深いですね〜

確かに機器を選ぶのは、その人次第ですよね。
どういった選び方をするのかという基準は、かなり曖昧なトコロが難しいですが^^;
そこを本人が分かっているか否かでも、またかなり違ってくると思います。

最後の『高い質』という部分も、人によって解釈が分かれそうですね^^;

また遊びにきますね(^▽^)/

投稿者 Lyn2 : 2007年10月11日 01:49

 はじめまして。コメントありがとうございます。お名前はLINTOからでしょうか?

 さて、私の言葉の足りないところを補っていただけるコメント、ありがとうございます。
 その通りで、結局、自分を見つめることになってしまうのですよね。「私はなにを選ぶのか?」って。でも、それが一つに決められない。フェラーリは好きだけど、ミニ・クーパーも好きってことだってありえますし。そこで、どう自分の志向を見極めて行くかという苦しくも楽しい道が生まれてくる訳で。

 また、「高い質」の部分ですが、ウィルソン氏は同じインタビューの中で、ソナス・ファベールのフランコ・セルブリン、アヴァロンのニール・パテル両氏を「素晴らしいアーティスト」と賛嘆し、自らもアーティストでありたいと言っています。そして、「インダストリアル・アートであるスピーカーには、設計者の個性が表現されるべき」としています。

 作り手の個性に聴き手がどのように魅せられていくか、そして作り手の手を離れたスピーカーをどのように鳴らして行くか。これがオーディオの力学かもしれないですね。

投稿者 黒川鍵司 : 2007年10月11日 21:39

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