2009年5月16日
先週の試聴会
前述のとおり、先週「SACDで聴く『JAZZ On Borderline』 BY 山口孝」に参加させていただいた。これだけの時間をおいて、やっと感想が書けそうな気がしてきている。まず、外面的なことから書こう。
使われた機材は以下のとおりだ。
プレイヤー:Mark Levinson No512
スピーカー:JBL K2 S9900
プリアンプ:Mark Levinson No326S
パワーアンプ:Mark Levinson No53
次にセットリスト。
・Herbie Hancock「フューチャー・ショック
」より、「Rockit」
・Weather Report「ヘヴィー・ウェザー
」より、「Havana」
・Allan Holdworth「All Night Wrong
」より、「Alphazallan」
・Steely Dan「ガウチョ
」より、「Gaucho」
・The Gadd Gang「ライヴ・アット・ザ・ボトムライン
」より、「My Girl~Them Changes」
・Deep Rumba「A CALM IN THE FIRE OF DANCES
」より、「Cantar Maravilioso」
・Super Guitar Trio「ライヴ!
」より、「地中海の舞踏」
以上、すべてSACDが再生された。音量は、普通の試聴会ではありえないほどの大ボリューム。一般的にあれをやられると騒音と感じるものだが、そうならなかったのは厚木氏の力量というやつだろう。ただし、SACDというフォーマットのことを考えると、もう少し小さくして、微細な空気感を漂わせる方が良かったのかもしれない。
曲目は確かに「On Borderline」、いや、私としては「On Edge」としたいところだ。一般的なJAZZを期待した人にはつらい試聴会ですらあったかもしれない。「Borderline」もしくは「Edge」であったからこそ、JAZZの輪郭が浮かび上がることにもなったのだが。
さて、個人的なことを書こう。
それは一言に尽きる。
「私はJAZZの文脈の中にいない」
大きくそれを感じたのはアラン・ホールズワースの曲でだ。山口氏は彼のストイシズムを語っていたが、私には「上手いが、どのようなジャンルでも同じようにしか弾かない」としか感じられなかった。スティーリー・ダンの完璧さは確かに凄いと感じたが、それゆえに入り込めない気がした。その他の楽曲に関しても、乗れはすれど、どこかで「違う」という齟齬感を味わっていた。例外的に私が違和感を持たなかったのは「Rockit」と「地中海の舞踏」だ。
どこに差があるのかと考えると、この2曲はJAZZの側から、その他のジャンルへ向かうベクトルがあり、その他の曲は別のジャンルからJAZZに向かうベクトルにあったように思える。その境界線上でのベクトルの差が私の好みのを分けたのではないだろうか。
つまるところ、私の嗜好性というのは、JAZZへは向かっていないのだと思う。CD棚のJAZZの枚数が増えないことが以前から気になっていたのだけれど、そういうことだったのかと思い至った試聴会だった。
プレイヤー:Mark Levinson No512
スピーカー:JBL K2 S9900
プリアンプ:Mark Levinson No326S
パワーアンプ:Mark Levinson No53
次にセットリスト。
・Herbie Hancock「フューチャー・ショック
・Weather Report「ヘヴィー・ウェザー
・Allan Holdworth「All Night Wrong
・Steely Dan「ガウチョ
・The Gadd Gang「ライヴ・アット・ザ・ボトムライン
・Deep Rumba「A CALM IN THE FIRE OF DANCES
・Super Guitar Trio「ライヴ!
以上、すべてSACDが再生された。音量は、普通の試聴会ではありえないほどの大ボリューム。一般的にあれをやられると騒音と感じるものだが、そうならなかったのは厚木氏の力量というやつだろう。ただし、SACDというフォーマットのことを考えると、もう少し小さくして、微細な空気感を漂わせる方が良かったのかもしれない。
曲目は確かに「On Borderline」、いや、私としては「On Edge」としたいところだ。一般的なJAZZを期待した人にはつらい試聴会ですらあったかもしれない。「Borderline」もしくは「Edge」であったからこそ、JAZZの輪郭が浮かび上がることにもなったのだが。
さて、個人的なことを書こう。
それは一言に尽きる。
「私はJAZZの文脈の中にいない」
大きくそれを感じたのはアラン・ホールズワースの曲でだ。山口氏は彼のストイシズムを語っていたが、私には「上手いが、どのようなジャンルでも同じようにしか弾かない」としか感じられなかった。スティーリー・ダンの完璧さは確かに凄いと感じたが、それゆえに入り込めない気がした。その他の楽曲に関しても、乗れはすれど、どこかで「違う」という齟齬感を味わっていた。例外的に私が違和感を持たなかったのは「Rockit」と「地中海の舞踏」だ。
どこに差があるのかと考えると、この2曲はJAZZの側から、その他のジャンルへ向かうベクトルがあり、その他の曲は別のジャンルからJAZZに向かうベクトルにあったように思える。その境界線上でのベクトルの差が私の好みのを分けたのではないだろうか。
つまるところ、私の嗜好性というのは、JAZZへは向かっていないのだと思う。CD棚のJAZZの枚数が増えないことが以前から気になっていたのだけれど、そういうことだったのかと思い至った試聴会だった。
投稿者 黒川鍵司 : 2009年5月16日 09:52
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.ashrization.com/x/admin/mt-tb.cgi/596
コメント
私も、JAZZに対して同じことを思っています!
私はJAZZに対して無知ゆえ、まだ「おもしろくない」の烙印を押すのは早いと思っていますので、今デアゴスティーニで頭に叩き込んでいるところですが(笑
どのジャンルにも言えるのかとは思いますが、JAZZって演奏者と向き合ってその場にいてナンボの音楽のような気がしています。
投稿者 upy : 2009年5月18日 12:57
JAZZが嫌いというわけではないようなんですが、なにか一寸、部外者のような気持ちがわいていたのです。でも、昨日、厚木さんとも話したのですが、例えばベイシーの全盛期ライブなんか聴くと燃えるし、コルトレーンの切実さにも共感するところはあるのですよ。いや、むしろ、彼らには、部外者であるところの私さえも引っ張りこんでしまうだけの凄まじいパワーがあるのだということなのかもしれません。
投稿者 黒川鍵司 : 2009年5月18日 21:10

コメントする