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2010年1月26日

バロンに関する覚書

 テリー・ギリアムは、いつもどこかでタブーに挑みかかる姿勢が映画に見えるが、「バロン」においては、一見それが感じられない。夢がすべて絶望に終わる「ブラジル」と、夢がすべて叶う「バロン」。そんな単純な図式だけなのだろうか? どうも、そうは思えなかったりする。

 そこで、その原作であろう「ほら吹き男爵の冒険」を振り返ると、なんどか映画がされている。その初回はナチス政権下のドイツでの映画化だ。映画化の年は1943年、戦争のまっさなかだ。そんなときに、このような映画が作られていたのは、ゲッペルスの映画に対する態度の表れかもしれない。

 そこで、ギリアムの「バロン」に戻ろう。冒頭、トルコ軍に包囲され、半壊しつつある劇場で演劇がかかっている。もちろん、出し物は「ほら吹き男爵の冒険」だ。43年の映画化を思い起こさせはしないだろうか? とすると、あえてナチズムとの関連に触れ、そのタブー視をあらわにした上で、そのタブー視ゆえに、触れにくくなっているこの物語の映画化をあえて行ったということを冒頭で宣言しているのではなかろうか?

 なんて穿った見方をしたくなる。それだけ魅力のある映画だということなのだけどね。

投稿者 黒川鍵司 : 2010年1月26日 22:03

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