2010年3月 7日
部屋
オーディオ用の、というより趣味のための部屋はこんな感じです、という記事をいくつかの場所で書いているのですが、こちらでも書いておきましょう。写真の技術の稚拙さについては、どうぞ、ご容赦を。
リスニング位置はこんな感じ。
アナログプレイヤーはAMAZONのSystem Amazon 2。黒のアクリルが、ラック上手く似合っているのではないかなぁとか思ったりなんかしたりして。
その他部屋の中のいろいろ。
投稿者 黒川鍵司 : 18:31 | コメント (2) | トラックバック
2010年2月 7日
GOLDMUND MIMESIS 21D 試聴
普段からお世話になっているダイナミックオーディオさんのご好意で、GOLDMUND MIMESIS 21Dを自宅試聴させていただいた。
同じくGOLDMUNDのMIMESIS 20.6の音を、私が気に入ったが、価格的に無理だという話から「それならこれを聴いてみては?」ということになった。現在の実売価格では20.6の半額程度になるので現実性はあるといえそうだ。それでも私が自宅で聴いたことのあるDACの中では最高額なわけだが。なお、試聴の環境についてはこちらをご覧いただきたい。お店で聴かせてていただいた際に感じたのは、現在使用している4715に比べ、瞬発力、ダイナミックさが優れており、描かれる空間も広く、それらがオーディオ的快感に結びついているというものだった。今回、自宅で聴いた時、まず頭に浮かんだのは、クラナッハが描くところの貴婦人の姿だった。肉感からかけ離れたスリムさ、高貴さを具現化した視線と肌の質感、それでいながらどこかしらに淫靡さが滲み出たあの女性たち。これに比べると4715の、あの淡い耽美さは、初めて口紅をひいた10代の少女程度のものかもしれない。
まず、情報量について。描かれるものに不足はまったくない。それでいて、バラバラな印象とはならない。しかし、これは価格を考えれば当然のこととも言えるだろう。次に高域。よく伸び、その最高点でキラリと艶がきらめくように感じられる。その瞬間には、一種の焦燥感、恍惚感、切なさが感じられ、ある種の快感をもたらしてくれるといえるだろう。しかし、この快感、官能美は、上述のクラナッハの描く婦人の妖艶さが、彼女たちがまとう高貴な冷たさに密接に結びついているのと同様に、秘められた硬質な冷たさと結びついている。この冷たさは、日本製の西洋楽器がもっているあの冷たさとは異なり、もっと鋭角な、鋭利なものだ。例えば、ぎゅっと強く抱きしめてくれるはずの力強いサックス。例えば、ふわりと包み込んでくれるはずの女性たちのコーラス。そういうものの影にひっそりと現れる。GOLDMUNDの音を「良し」としない人は、きっとこの冷たさを良しとしない人なのだろう。
続いて中~低域。このDACの試聴において、私が最も意外に感じたのは、この帯域だ。中域にはかなり厚みがあり、男性、女性を問わず声、そして、それらに似た帯域の楽器の音色にも十分な存在感がある。低域は広がるのだが、決して余計な膨らみは持たず、かなり低いところまで芯のある音を聴かせる。耳ではなく、身体で感じる低音が、私の使用しているPENAUDIO CHARISMA+CHARAから出てくるなどとは思ってもみないことだったし、それがDACの変更によってもたらされたという事実には、ただただ感嘆するしかなかった。GOLDMUNDといえば「クラシックには良いが、その他のジャンルには......」というイメージだったのだが、充実した中~低域、緊張感やスピード感を与えてくれる高域によってジャズやロックもかなりの高得点といえる音であった。そして、これは言うまでもないことなのだろうが、クラシック、特に編成の大きなものについては、スケール感、ダイナミックレンジ、各楽器の描き分けと、その能力が存分に生かされる結果となった。
総じて、定価のことを考えても、満足感を与えてくれるDACだといえる。現状では、その定価の半額前後で購入できるのだから、さらに満足感は高いといえる。しかし、高域に潜む鋭利さを、一種の「美」とできない場合、そこがウィークポイントになると思う。自宅で聴いたわけではないが、最新の20.6では、この鋭角なものが、もっと受け入れやすいものに変わっていたように感じる。いや、しかし、この秘めた鋭さ、冷たさこそGOLDMUNDという気もしてしまったりもする。
ハイエンドと呼ばれる世界に近づけば近づくほど、こういうダブルバインドが眼前に現れる。そして、聴き手、使い手は、この二律背反を「お前はどう思うのか?」と機器に問われることになるわけだ。その意味で、この21Dもハイエンド機器の一つ、ということになるのだろう。
最後になるが、このような機会を与えてくれたダイナミックオーディオ5555 天野氏に感謝したい。ありがとうございました。
投稿者 黒川鍵司 : 10:25 | コメント (0) | トラックバック
2010年1月27日
例えば
ご飯を"作り"に来て欲しい、といわれたら、多少の食材や調味料はもっていくかもしれないし、場合によっては調理器具も持っていくかもしれない。でも、ご飯を"食べ"に来て欲しいと言われたら、デザートくらいはお土産くらいに持っていくかもしれないけれど、調味料だの器具だのはもって行かないよね。まして、「あなたの家のご飯を食べさせて欲しい」と頼んで伺うのだったら、相手の料理にけちをつけるなんてありえないでしょうし、礼儀を忘れず、敬意を持って伺うよね。
逆に「あなたのおうちのご飯を食べてみたい」と言われたとして、招いてみたら、相手が、せっかく作ったビーフシチューに、持参したケチャップをぶっ掛けて「こうするとおいしくなる」なんて言ってきたら、普通、ぶちきれるでしょ?
投稿者 黒川鍵司 : 21:38 | コメント (5) | トラックバック
2009年11月 8日
nissyさんのご自宅のシステムをお聴かせいただきました。
以前、当方のシステムをお聴きいただいたnissyさんのシステムをお聴かせいただきました。駅近くで待ち合わせ、車でお出迎えいただき、10分程度。いったい何戸あるのだろうという大きなマンションの一室。そのリヴィングにシステムを据えられています。
まずはシステムの紹介です。
PCトランスポート:自作機(詳細は後述)
SACDプレイヤー:ESOTERIC X-01 Limited
DAコンバータ:Apogee Rosetta200
クロック:ESOTERIC G-25U、自作ルビジュウムクロック
AVプリアンプ:DENONAVP-A1HD
パワーアンプ:LINN 2250(2台をバイアンプで使用)
スピーカー:MONITOR AUDIO Silver RS8
サブウーハー:YAMAHA YST-SW205
PCトランスポートをメーンシステムでお使いの方は、本日のコーヒーさんに続いてお二人目ですね。やはり、SSDをお使いで回転系がない状態です。リッピングは別PCで行い、データのみを、このPCに移して再生する形となっています。また、特色として、電源が別筐体となっています。ノイズ対策という意味で、有効な設計なのだと思います。再生ソフトはドイツ製の「Samplitude」。元々は波形編集ソフトのようで、再生時にも画面に波形が現れます。これは面白いですね。まるでアナログレコードの溝を見て「ここらへんが激しい演奏だなぁ」と思ったりするのと、同じような感覚を味わえます。このPCからDAコンバータへはIEEE1394でデータが転送され、このDAコンバータとSACDプレイヤーには、ルビジュウムクロックからの10Mの信号を供給されたG-25Uから、176.4 kHzのクロックが送られています。
システムがあるのは、前述のとおりリヴィングです。そしてヴィジュアルシステムとも共用となっているため、スピーカーの間に大きな液晶テレビが置かれています。また冷蔵庫なども近くにあります。こういう場合、どうしても、それらのものが付帯音として乗ってしまうものです。さて、いったいどんな音が、と思いつつ、指定されたリスニングポイントに座らせていただきました。
中低域~低域が非常に充実しています。いわゆる、リヴィングオーディオとしては異例なレベルではないでしょうか。ブーミーになることもなく、太い味を感じさせてくれます。心配していた付帯音もほとんど感じません。また、特別、目に見える形でのルームチューニングなどはされていないようですが、嫌な共振などがまったく感じられません。余韻が心地よいほどです。この中低域~低域の充実と付帯音、共振が感じられないという二点は、建物が非常に強固に作られているおかげなのかもしれません。床も実にがっちりしています。それでいてライブになり過ぎないのは、リヴィングであるがゆえに、オーディオ機器以外のものがあることはもちろん、床に引かれた厚目のマットが大きく関係していそうです。高域については、チタンのような硬質さがあり、金属系のツィーターなのかな? と思わされる音でした。サランネットを外していただくと、やはり金属系。これが時々ではありますが、鋭すぎると感じられる瞬間もありました。
再生機器については、SACDプレイヤーのみ、SACDプレイヤー+DAC、PC+DACという3種類をお聴かせいただきました。nissyさんのシステムではPC+DACがベストに感じられました。SACDプレイヤーのみだと、情報量は「根こそぎ」という領域ですが、やや細身に感じられ、また高域の癖も強調されるようでした。SACDプレイヤー+DACでは、中低域~低域の充実感がでてきますが、先ほどの「根こそぎ」感が、まだ癖を残すように思われました。それらの癖がPC+DACでは一掃され、確かに情報量という意味では後退するようにも感じられますが、聴かせ上手という印象を与えられるほど、自然に聴ける音となっていました。以上からいえるのは、中低域~低域の充実感は、質の高いクロックを供給されたRosetta200が大きく関係しているようだということです。業務用ゆえの、太さ、充実感というのはSTUDERなどのプレイヤーと共通する点かもしれませんね。また、これらの差をきちんと描き出しているSilver RS8については、まさに高コストパフォーマンスと言わざるをえません。
若干、液晶モニタの反射が気になり、奥行き、定位に難を感じさせるところもありますが、リヴィングオーディオとしては、非常にレベルの高いシステムで驚かされました。また、SACDプレイヤーを使用した際よりも、PCトランスポートを使用した方が「聴かせる」音楽になるという事実を突きつけられたことも衝撃的でした。
nissyさん、今回はありがとうございました。あの充実した中低域~低域を、なんとか自分のシステムでも実現できたらなぁと思っております。
投稿者 黒川鍵司 : 03:54 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月18日
サブシステム
拙室は狭い部屋ではあるのだけど、ダイニングもあわせて3部屋ある。なので、サブシステムなんてものも組んでいる。このシステムはPCメーン、いやというよりもPC用のスピーカーを買い換えて、いわゆるピュアオーディオ的にしたというものだ。そのサブシステムでは「ブリティッシュ計画」というものをやっている。コンポーネントをできる限りイギリス、もしくはそれに関係のあるブランドに変えていこうという、ロマンあふれるバカらしい計画だ。計画遂行の結果は以下のようになっている。
スピーカー:Rogers LS3/5A(15Ω 初期型)
CDプレイヤー:TANGENT CDP-50
プリメインアンプ:ROKSAN KANDY Amplifier MkIII
RCAケーブル:CHORD CRIMSON、LINN BI 12
スピーカーケーブル:QED QONE
自分でも「よーやるわ」という具合だが、さらにここにUSB-DACを追加してみた。
CHORDのChordette Gemだ。
価格的にはUSB-DACとしては中堅クラスだろうか。形状は同社のCHORALシリーズと同一。大きさはQBD76の1/4という程度。-etteなんていう尾語がついてるし、DACチップはCirrus Logic社製ということなので、細みな美音かと思ったら、なかなかどうして、これは十分にCHORDの音。情報量、密度感、厚みは、もちろんDAC64やQBD76にはとどかないが、価格(それらDACの1割強程度)から考えれば、十分すぎる。少なくとも、それらの5~6割程度にはなっている音だと思う。モノとしても充実感も十分。サブシステムレベルのPCオーディオには決定打といえるDACなのではないだろうか。
さて、残る計画は.....しかし、道のりは厳しそうだ。
投稿者 黒川鍵司 : 19:05 | コメント (0) | トラックバック
2009年9月22日
nissyさんにお聴きいただきました。
ファイルウェブで知り合ったnissyさんに拙オーディオシステムをお聴きいただきました。nissyさんはピュアオーディオとAVシステムの融合を目指してらっしゃる上に、オーディオ用PCを自ら設計されてしまうというへヴィなユーザさんです。ご感想を記事にしていただきました。おかけいただいたサラ・ブライトマン。やはり、拙システムでは、上手く鳴らせませんでした......。
まったくもって情けない話なのですが、この記事、下書き状態なのに、公開した気になっていました。とういうわけで、いまさら公開......。nissyさん申し訳ありません......。老人力がずいぶんついてきてるなぁ......。
投稿者 黒川鍵司 : 23:27 | コメント (0) | トラックバック
2009年9月20日
Rayさんのご自宅のシステムをお聴かせいただきました。
オーディオ関係の今年の予定を書いた記事で、「今年最大の目標。」とさせていただいた、Rayさんのシステムをお聴かせいただくことができました。最寄り駅で待ち合わせをして、お宅に向かったのですが、道すがらに蓮畑がありました。この季節ですのですっかり実になっていましたが、花の時期にここを通ったら、立ち止まって眺めてしまうだろうなぁ、などと思いながら、閑静な住宅地をさらに歩いていくと、今度は薔薇が印象的なお宅が。それがRayさんのお宅でした。
玄関を上がらせていただいた瞬間、私の足がある場所を思い出しました。以前、うかがった音楽カフェ Blossomさんです。あのお店の踏み心地に非常に似ています。あちらの建物についてはサイトにも記事があり、コンクリートの基礎にほぼ直接、床材が乗っているというものでした。後ほどRayさんにお話を伺うと、Rayさんのお宅も、ほぼ同じ構造のよう。私の足の記憶もまんざらではないようです。
玄関を右に曲がると、そこは夢のような世界でした。広い空間に、大型ウーハーとホーン型のスピーカーが鎮座する姿は、高級オーディオ店の試聴室といった具合です。その他の機器も素晴らしいものばかり。その中に、以前私が使っていた真空管アンプを見つけて、心の中で喜んだりしつつ、オーディオルームと美しい柱とアーチで仕切られたお部屋でコーヒーをいただいたのですが.......目の前にピアノが二台並んでいます。アップライトのピアノが並んでいるのなら、わざわざここに書きません。グランドが二台並んでいるのです。それも一方はベーゼンドルファー......。
コーヒーをいただきながらお部屋のことを伺うと、二つの部屋をあわせると28畳ほどで、本来は一つの部屋とされたかったそうですが、建築基準法の関係で、現在のようなアーチで緩やかに仕切られた二つの部屋となったとのこと。そのような事情で導入されたものと聞いても、このアーチの緩やかなカーブは、この二つの部屋を結ぶ良いシンボルとなっているなぁなどと心の中で呟いておりました。
と、おうちのことばかり書いていては試聴記になりません。いつもどおりシステムの紹介です。
CDトランスポート:ESOTERIC P0s-VUK
DAコンバータ:ESOTERIC D-70VU
SACDプレイヤー:MARANZ SA-12S1
クロックジェネレータ:INFRANOISE ABS7777
アナログプレイヤー:Michell Engineering GyroSE-UNV1
カートリッジ:GOLDRING ELITE
昇圧トランス:逸品館 J'S 5471
フォノイコライザー:TRIODE TRV-EQ3
プリアンプ:Mark Levinson 326S
パワーアンプ:McIntosh 2102
AVアンプ:Victor AX-V8000
スピーカー:Exclusive 2402
スーパーツィーター:MURATA ES103A
サブウーハー:SALOGIC SPD-W4
センタースピーカー:B&W 805 x2
センタースピーカー用パワーアンプ:AUDIO SPACE AS-6M x2
リアスピーカー:Sonus faber Grand Piano Home
リアスピーカー用パワーアンプ:TRIODE TRV-M300SE
その他にもモノラル用アナログプレイヤーやPC用のオーディオ機器もおありです。詳しくはRayさんご本人の記事をお読みください。
聴かせていただいた瞬間に耳が行くのが低域です。真空管と大型ウーハーのシステムにありがちなブーミーさはなく、それでいて細身にならなず、濃さを保っています。定位を強く感じさせるというタイプの音ではないのですが、かなり低い方の音まで位置は明瞭です。おそらく、McIntoshのパワーアンプ、サブウーハー、スーパーツィーターそれぞれの効果があいまった結果でてくる音だと思います。このような力強い低域があっても、部屋がそれに負けません。ですので、ダイレクトに音が身体に伝わってきます。
情報量もかなりのものなのですが、それが突出して神経質さに結びつくような部分は皆無。むしろ豪快に音が飛んでくるという印象です。これは部屋の強固さはもちろんのこと、スピーカー背面をレンガで固められていることと、サーロジックのボードによるものでしょう。前日に聴かせていただいたFCAさんのシステムとは好対照といって良いでしょう。そのどちらもが良く思えるのですから、オーディオというのは不思議ですね。FCAさんのシステムが「浸る音」だとしたら、Rayさんのシステムは「のる音」でしょうか。熱く、こちらを突き動かす音ですね。
このように書いていると「乱暴な音」という印象を与えてしまうかもしれません。しかし、例えば、子供たちの合唱などを聴くと、等身大の、それぞれの子供たちの口の開き方、表情まで見えるような音像を描いてくれます。このような情感も描いてくれることがわかりましたので、持参した伊福部昭の曲をかけていただくと、ホーン型なのですから当然なのかもしれませんが、トランペットはもちろん、その他の管楽器が晴れやかに鳴り渡りますし、打楽器と弦楽器には雄壮さ、そして、その裏側にある悲壮さを迫るように見事に再生してくれました。
抽象的な表現が許されるのであれば、熱く、濃く、血の滾る、そして血のかよった音という表現になるでしょうか。これに近い音というと、あるお店で聴いたGlass Master SDー2を4台使って駆動したDD66000を思い浮かべますが、情感という部分ではRayさんのシステムが圧勝です。20数年使い続けたというExclusive 2402だからこそ出る音なのでしょうね。
また、今回は2チャンネルの録音のみならず、マルチチャンネル、DVDの試聴もさせていただきました。その中では、聴きなれているはずのピンク・フロイド「狂気」が、「むしろこっちが真なのではないか?」と思わせる姿を見せてくれました。楽器の音が、効果音が、人の声が、縦横無尽に描かれます。「やっぱり、私もマルチをやるべきなんじゃなかろうか」と頭を抱えなければならなくなるほどの見事な姿でした。そして、それぞれのチャンネルに当てられたスピーカー(どれもそれだけで十分メーンスピーカーとなりうるもの)が、それぞれのユニットの形式の差を感じさせず、一体となっているのは、さすがです。Rayさんはこともなげに「上手く馴染んだ」とおっしゃっていますが、ここには相当の努力が隠されているのではないかと思います。
CD、SACD、アナログ、SACDマルチ、DVDマルチといずれも、本当に高レベルなものでした。それでいて、いずれにもRayさんらしさ、その血のかよった感覚が存在していることは、羨ましい限りです。「今年最大の目標」とさせていただいたことに誤りはなかったとの確信が聴く時間とともに増していく、そんな試聴でした。
そんな素晴らしい試聴の後、食事もお誘いいただいたのですが、当方、そのあとに予定があり、泣く泣くお断りをしなければなりませんでした。事前にその旨をお伝えできておらず、奥様にもご迷惑をおかけしてしまいました。この場で、再度、謝らせていただきたく思います。申し訳ございませんでした。
また、次回、お会いする際には、もっとゆっくりとお話もさせていただければ幸いです。今回は本当にありがとうございました。
投稿者 黒川鍵司 : 17:46 | コメント (0) | トラックバック
2009年9月19日
FCAさんのご自宅のシステムをお聴かせいただきました。
以前、拙システムをお聴きいただいたFCAさんのシステムを聴かせていただく機会を得ました。 FCAさんのリスニングルームは6畳和室。当方の環境と似ているということで、以前より気になっておりました。その上、SACDプレイヤーも同じものをお使いです。これは意識せずにはいられません。というわけで、まずはシステム紹介です。
SACDプレイヤー:ESOTERIC SA-60
アナログプレイヤー:Technics SL-1200Mk3
カートリッジ:Ortofon MC.Kontrapunkt-a
フォノイコライザ:Ortofon EQA-777
プリアンプ:SUNVALLEY SV-310 II
パワーアンプ:SUNVALLEY VP-3000SE
スピーカー:SONICS ANIMA
クロック:ESOTERIC G-03X
アンプ類はフル真空管、ラックはクアドラスパイア、インターコネクトケーブルはAudioQuestKing Cobra、そして足下は人口大理石などで固めてらっしゃいます。
まず、驚いたのは、ほぼ正面を向いたANIMAのみがセットされ、KEF Model205の姿が見当たらないことでした。どうされたのですか? と伺うと、別室に片付けられたとのこと。この方が音響的に良いだろうとのご判断でしたが、Model205は決して軽いスピーカーではありません。その行動力に感服しつつ、聴かせていただくと、確かにANIMAのみにされたことの意味がありました。まさに後方展開型の音場。背面の空間を80cm以上離していることもあって、スピーカーの存在を忘れさせる音離れのよさ。定位よりも、奥行きと広がりを重視されているシステムだなぁと感じました。
そして、その音場に艶と余韻を美しく残しながら弦や管楽器が響きます。この艶と余韻は300Bのパワーアンプをお使いであるが故でしょうか。しかし、真空管というイメージにありがちな、おっとりした部分は感じられず、立ち上がりはむしろ「俊敏」と言えるレベル。反応の速さはトランジスタで構成している当方のシステムと同等ではないでしょうか。私は以前からANIMAはPENAUDIO CHARISMAの好敵手と言っているのですが、それを思い知らされるスピード感です。そして透明感。これについては私のシステムでのCHARISMAを凌駕していました。涼やかさの漂う空間に、音がふわりと広がっていきます。おそらく小編成のクラシック、たとえば弦楽の四重奏やソロには最適と言いえる音ではないでしょうか。
アナログについても同様の傾向で、清廉な音でした。カートリッジとフォノイコライザが同じOrtofon製であるが故だと思いますが、サーフェイスノイズがほとんど感じられず、それでいて、アナログらしい厚みも感じられる音となっています。「プレイヤーを変えられた、どれほどの音になってしまうのだろう」と思わさせられる充実した再生でした。
全体として非常に清涼感のあるシステムです。それでいて一本調子にならず、情感も豊かで晴れやかです。しかし、それと引き換えなのかもしれませんが、低域に若干、食い足りなさがあました。それゆえ、にらみつけるような部分、壮絶さのようなものは希薄でした。これについては、FCAさんもお気づきでらっしゃるところでした。おそらく、次期パワーアンプの導入で解決されるでしょう。また、ルームチューニングや電源に関しては、まだまだ伸びしろをご用意です。現時点でも素晴らしい音を奏でてらっしゃいますから、この伸びしろを生かされた上での音は、私などの想像の及ばないレベルのものになるのではないかと思います。
FCAさん、今回はこのような機会をあたえていただきありがとうございました。あの清々しい音はすらばしかったです。ぜひ、また拙システムもお聴きいただければ幸いです。
投稿者 黒川鍵司 : 22:49 | コメント (0) | トラックバック
2009年8月 5日
taoさんのご自宅のシステムをお聴かせいただきました。
ブログ「AcousticTao」で著名なtaoさんのシステムをお聴きする機会をいただきました。taoさんは、二つのシステムをお持ちです。まず、一階の石井式リスニングルームに設置されたシステムです。
CDプレイヤー:LINN CD12
アナログプレイヤー:LINN LP12、ROKSAN XERXES 20
フォノイコライザ:LINN LINTO、ROKSAN Caspian Phono
プリアンプ:QUAD 22
パワーアンプ:QUAD II
スピーカー:TANNOY CHATSWORTH
シンメトリに配置されたLP12のラインと、XERXESのラインが印象的です。そして、壁からかなり離され、うちぶりに設置されたCHATSWORTH。ロゴはもちろん、雷マークのTANNOY。古色然と明かりをともすQUAD 22と端整なフォントのII。そのいずれにもワクワクしてしまう私は、ずいぶんビンテージに染まってきているのかもしれません。
まずはCD、次にLPという具合に聴かせていただきましたが、taoさんが拙室のLS3/5Aを良しとされた理由がわかる音でした。各レンジが広いわけでもないのですが、音楽を聴くということに関しては、まったく不満を抱かせず、むしろ心地よさを感じさせてくれます。特に「声」の表現力、書き分けは素晴らしく、ソプラノが女性の声なのか、それとも少年の声なのかが一聴した瞬間にわかりました。そして、強固な床と、石井式の壁、そして、壁から離された設置のおかげなのだと思いますが、声が伸び伸びと歌います。二つのアナログプレイヤーは、清楚で清廉なLP12と、包容力を見せるXERXESという具合にキャラクターが分かれており、どちらも魅力的ですが、私の好みはXERXESでした。あのように音楽が聴けたら、休日は引篭もりになってしまうでしょうね。
もう一つのシステムは2階に設置されていました。
SACDトランスポート:EMM LABS CDSD
DAC:EMM LABS DCC2
アナログプレイヤー:IMMEDIA RPM-REVOLUTION
フォノイコライザ:LINN LINTO
プリアンプ:QUAD 22
パワーアンプ:QUAD II
スピーカー:QUAD ESL
アンプが1Fと同じQUADのコンビ。ここにtaoさんのQUADへの並々ならぬ思い入れが伺えます。そして、スピーカーもQUAD。ESLの実物ははじめて見たのですが、TANNOYと同じく、家具を意識させるデザインです。ESLは完全開放型のスピーカーなので、鳴らす場所選ぶのですが、設置されている部屋はかなり広く、これならESLでも問題のないエアボリュームでした。
1Fの音が抱きしめてくれる音だとしたら、こちらは心地よい風のような音。フワリと通り過ぎていきます。当方のメーンシステムを「コンデンサー型のスピーカーのような音の出方」とtaoさんが評されたのがわかる気がしました。IMMEDIAのプレイヤーでの音は、その構造ゆえか、LP12、XERXESに比べ、静粛さが際立ちます。しかし、それでも重苦しさはまったくなく、すっと音が抜けていきます。これはコンデンサー型の立ち上がりの速さ、フェイズリニアという特性ゆえなのだと思います。
一点気になるところがあるとすれば、こちらもかなり、うち振りにセットされていたことです。奥行き感は、その方が出るとおもうのですが、ESLのフワリとした音の出方には、もう少しゆるい振り角の方が似合うかもしれません。しかし、これは好みの問題ですし、私がESLの特性を知らないが故に感じただけのことかもしれません。
どちらのシステムも、どちらがメーン、どちらがサブと区別できない素晴らしいシステムでした。お聴かせいただく機会をあたえてくださったことに感謝いたします。ありがとうございました。
投稿者 黒川鍵司 : 23:10 | コメント (0) | トラックバック
2009年7月19日
taoさんにお聴きいただきました。
ブログ「AcousticTao」を主催される taoさんに、拙システムをお聴きいただき、メーン、サブ共に記事にしていただきました。taoさんといえば、オーディオ雑誌にも登場されたことのあるハイエンドユーザさまですので、お招きするにあたっていつも以上に緊張したのですが、気さくなお人柄と共通する音楽ジャンル(プログレです)があったことで、楽しい時間をすごさせていただきました。taoさん、本当にありがとうございました。
投稿者 黒川鍵司 : 14:44 | コメント (0) | トラックバック
2009年7月 6日
現在のオーディオシステム(メーンとサブ)
メーンは、こんな感じです。投稿者 黒川鍵司 : 20:08 | コメント (0) | トラックバック
2009年6月28日
LS3/5Aというスピーカー
LS3/5Aという名前。それだけを見れば、まるでロボットの名前という気がする。実際、この名称は規格名であって、他のスピーカーの、それ自体が愛称となりうるような名称、例えばパラゴン、オートグラフといった名前にくらべると無味乾燥という気がする。しかし、多少なりともオーディオに関わっている人間にとって、その名前は、いわば小さな伝説だ。1960年代後期から、英国放送協会(BBC)は、スタジオ外からの放送のためのモニタースピーカーを求めていた。それまでのモニタースピーカーは中継車や、会場の一室などに設置するには大きすぎた。LS3/5Aは、その要望に応えたものだった。大きさは幅19cm、高さ30cm、奥行き16cm。確かにこれであれば、ほぼどこにでも置けた。もちろん、犠牲になった部分がなかったわけではないが、限られた空間において、これに代わるものはなかった。
そのLS3/5Aが一般に発売されたのは1970年代半ばだ。当時、1台7万5千円という高価なスピーカー。参考に、1975年発売のテクニクス SB-7000をあげれば、幅48cm、高さ84.5cm、奥行き41cmで1台9万円だ。容積にして18倍のスピーカーと定価にして1万5千円しか違わなかったわけだ。それでも購入した人がいるというのは、BBCモニターというブランド、BBCと同じくスペースファクターの問題、そして、なによりも音の良さだったのだろう。ステレオサウンド159号で傳信幸氏が次のように記している。
しっとりとしたチーク材仕上げが小さいくせに小生意気に渋いのだ。深いいい音をしている。わたしがLS3/5Aに魅了されたのは、その音像フォーカスがシャープなことと空気感が軽々と漂う快適さであった。(中略)ハインツ・ホリガーとバーゼル・アンサンブル、カール・リヒターとミュンヘン・バッハ管弦楽団など、左右のLS3/5Aの間に、まるで人物のオモチャを多数並べたようにミニチュアの音像が並ぶのだ。響きが綺麗に分散する。素敵な手品に魅せられるような思いがした。ははーん、小型のスピーカーってこんなに楽しい思いをさせてくれるのだと、わたしの音楽の感じかたやオーディオの楽しみかたの新しい1ページをLS3/5Aが開いてくれたのである。ネット上で使用している人の意見を読ませていただいても、二十数年大切に使用している方や、発売当初に聴いてほれ込んだという方、もしくは最近になって、その音を聴き夢中になったという方、様々な方の思い入れが、このスピーカーに注がれているのがわかる。私自身は2008年07月にその音をはじめて聴き、購入に至った。確かに傳氏の言うとおりだ。こんなに小さいのに、各レンジだってそれほど広いわけでもないだろうに深く、説得力のある音を奏でてくれる。
LS3/5Aは前述のとおり、BBCの規格名だ。ゆえに、その規格に準じて作り、BBCの認可を得れば、LS3/5Aとして発売することが出来た。前述の傳氏の記事によれば、その生産指令書はそれほど厳密なものではなかったようだ。それゆえなのか、生産した各社で音の違いがあるようだ。主な生産メーカーはユニットの供給元でもあるKEF、今もLS3/5Aの後継と言えるMonitor20を生産するHarbeth、同じくS3/5Rを生産するSpendor、そして出荷されたLS3/5Aの6割を占めたというRogers。生産は70年代から90年代後半まで続き、生産台数は10万ペアにのぼったという。生産終了後もユニットは異なるが明らかに、それを模したスピーカーがキットや完成品で売られ、そして2008年にはRogers起業60周年を記念する形で「LS3/5a BBC モニタースピーカー」が発売されている。香港やマレーシアといったアジア圏では、各種のLS3/5Aを収集する人々もいるようだ(参考:http://jbl375jp.exblog.jp/6830265/)
このような状況から考えてもLS3/5Aは、いわゆる「名機」であろう。JBLのパラゴン、ALTECのA7、TANNNOYのオートグラフなどの並み居る名機の中では、衆目を惹くには小さすぎるかもしれないが、しっかりと、「小さな伝説」を身にまとった存在と言えそうだ。その伝説がどうやって生まれたのかといえば、「既存のスピーカーが使用できない狭い環境でも、使用可能で十分な音質を持ったモニタースピーカー」の作成を標榜したBBCの研究者たちと、彼らが生み出したスピーカーを大切に使い続けたユーザたちがいたからに違いない。極端なことをいえば、オーディオ機器そのものは、単なるモノに過ぎないのだ。それを「名機」にするのは作り手と使い手の努力、思い入れ、その交錯よって作り出された数々の物語によってなのだ。その物語は、徒に高性能であることを誇ることによって出来上がるものでもないし、いまどきありがちな「限定生産」によって生み出されるものでもない。上述の名スピーカーたち、以前取り上げたMARK LEVINSONのLNP-2やマランツの#7にせよ、「今」という基準で絶対値として計測すれば、それらに並ぶ、いや、それらを凌駕する性能を持った機器は存在するはずだ。また、これらの機器は、結果として現在は入手が難しくなっているが、元々、生産数が限定されていたわけではなく、高価であるということはあったにせよ、入手そのものが不可能であったわけではないのだ。
伝説とは物語だ。オーディオにおけるそれは、作り手と使い手が紡ぐものだろう。もし、あなたが大切に思う機器があるのであれば、その機器への思いを語って欲しい。それが、その機器を名機とし、人を惹きつける原動力となるはずだから。
参考URL
- The design of the miniature monitoring loudspeaker type LS3/5A
- A little legend The BBC LS3/5A
- LS3/5a THE IMMORTAL LEGEND - 不滅の伝説
- 懐かしいスピーカー達!
投稿者 黒川鍵司 : 15:42 | コメント (2) | トラックバック
2009年5月24日
手立て
- 相手が怒涛の勢いで周囲を飲み込まんばかりであれば、こちらは孤高にあろうとするべきか。ただし、孤高を周囲に宣言するようなことをすれば、その時点で無粋、恥となることは、「俺の」という言葉を乱用しながらも、誰かに賛同を得たいという心根が剥き出しの先達を見れば明らか。孤を表現するならば、「俺の」ではなく、孤ゆえの二律背反を滲ませるべき。
- いひおほせて何かある(芭蕉)
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず(世阿弥)
- 陰には陽、陽には陰
柔には剛、剛には柔
- おく‐ゆかし・い【奥床しい】
2 《「奥行かし」で、心がひかれる意から》奥にひそむものに強く心がひかれる。さらによく知りたい。(大辞泉 ) - となれば、どのように情感を表すか。陰影。その翳に滲ませること。チャドルの奥の瞳のように、顔のない眼のように。
投稿者 黒川鍵司 : 10:28 | コメント (0) | トラックバック
2009年5月16日
先週の試聴会
前述のとおり、先週「SACDで聴く『JAZZ On Borderline』 BY 山口孝」に参加させていただいた。これだけの時間をおいて、やっと感想が書けそうな気がしてきている。まず、外面的なことから書こう。
使われた機材は以下のとおりだ。
プレイヤー:Mark Levinson No512
スピーカー:JBL K2 S9900
プリアンプ:Mark Levinson No326S
パワーアンプ:Mark Levinson No53
次にセットリスト。
・Herbie Hancock「フューチャー・ショック
・Weather Report「ヘヴィー・ウェザー
・Allan Holdworth「All Night Wrong
・Steely Dan「ガウチョ
・The Gadd Gang「ライヴ・アット・ザ・ボトムライン
・Deep Rumba「A CALM IN THE FIRE OF DANCES
・Super Guitar Trio「ライヴ!
以上、すべてSACDが再生された。音量は、普通の試聴会ではありえないほどの大ボリューム。一般的にあれをやられると騒音と感じるものだが、そうならなかったのは厚木氏の力量というやつだろう。ただし、SACDというフォーマットのことを考えると、もう少し小さくして、微細な空気感を漂わせる方が良かったのかもしれない。
曲目は確かに「On Borderline」、いや、私としては「On Edge」としたいところだ。一般的なJAZZを期待した人にはつらい試聴会ですらあったかもしれない。「Borderline」もしくは「Edge」であったからこそ、JAZZの輪郭が浮かび上がることにもなったのだが。
さて、個人的なことを書こう。
それは一言に尽きる。
「私はJAZZの文脈の中にいない」
大きくそれを感じたのはアラン・ホールズワースの曲でだ。山口氏は彼のストイシズムを語っていたが、私には「上手いが、どのようなジャンルでも同じようにしか弾かない」としか感じられなかった。スティーリー・ダンの完璧さは確かに凄いと感じたが、それゆえに入り込めない気がした。その他の楽曲に関しても、乗れはすれど、どこかで「違う」という齟齬感を味わっていた。例外的に私が違和感を持たなかったのは「Rockit」と「地中海の舞踏」だ。
どこに差があるのかと考えると、この2曲はJAZZの側から、その他のジャンルへ向かうベクトルがあり、その他の曲は別のジャンルからJAZZに向かうベクトルにあったように思える。その境界線上でのベクトルの差が私の好みのを分けたのではないだろうか。
つまるところ、私の嗜好性というのは、JAZZへは向かっていないのだと思う。CD棚のJAZZの枚数が増えないことが以前から気になっていたのだけれど、そういうことだったのかと思い至った試聴会だった。
投稿者 黒川鍵司 : 09:52 | コメント (2) | トラックバック
2009年5月 6日
5月9日(土)
GWも最後の日となりました。私はなぜか胃を壊して、昨日も今日も引きこもりです。あ、4日にエルモさんがうちのシステムを聴きに来てくださいました。ご感想をいただいております。エルモさん、ありがとうございました。そして、タイトルの今週末なのですが、拙ブログをお読みの方ですとフジヤエービックさんの「春のヘッドフォン祭2009」に行かれる方が多いのでしょうかね。
皆さんの予想のとおり、私はそちらには行きませんで、その日は、山口孝氏による「SACDで聴く『境界線上のジャズ』」に参加させていただくことになっております。実は、この間、チラリとセットリストを見せていただいたのですが、まさに「境界線上」。これはかなり物議をかもすのではないかと思える試聴会でして、楽しみにしております。
当日、会場で声をかけていただきますと、当方喜びます。どうぞお気軽に声をかけてやってください。
投稿者 黒川鍵司 : 15:11 | コメント (2) | トラックバック
2009年4月25日
現在のオーディオ(メーン)
47研究所のDAC導入により変化がありましたので、システム構成図を更新しました。投稿者 黒川鍵司 : 23:06 | コメント (0) | トラックバック
2009年4月12日
レビューと個性
CELLOというかレヴィンソンのことを調べて以降、こちらのBLOGをよく読ませていただいている。納得すること、初めて知ることも多く、オーディオということだけに限らず、様々な示唆に富み、意義のあるBLOGだと思う。ここのところで考えさせられた記事としては、「オーディオにおけるジャーナリズム(その11)」を挙げたい。オーディオ雑誌に限らず、例えばここでもよく話題にしている「夜想」にせよ、「ユリイカ」にせよ、軟化というか易化というか、少なくとも読んでいる途中で辞書のお世話になるようなことは、確実に減った。また、何度も読み返さなくては、その文章の言わんとしている構造なりが理解できないということも減った ように感じる。以前のそれらの雑誌は、それこそ晦渋な文章があふれていた。それが、一見さんお断りの雰囲気を醸し出してもいたのだけど、そこで扱われてい る事象に興味をもった人間にとっては、貴重な情報でもあったわけで、それゆえ、「解読」が必要であったとしても、それをいとわなかったし、何度も読み返す うちに、それまでは理解できなかったことが、すっと自分の中に入り込んで来るなんてこともあった。また、どういうわけだからわからないけれど、一冊の雑誌 の中のそれぞれに別のことを扱った文章に、連関を見つけ出すなんてことも多々あった。そこに掲載された詩が、特集で扱われた人物の裏書をしてるように思え たりなんてことが良くあった。いや、きっと、勝手な思い込みなのだろうけれど、そんなことが起こりえるから、隅々まで読むことになった。オーディオ雑誌も 昔のものを読ませていただくと、似たようなものを感じることがある。そして、それは書物としての重みに結びついているように思える。
ひるがえって、今という時代。情報は貴重なものとして扱いうるかどうかが微妙になっている。なにか調べたいことがあったとき、例えば、CELLOやMarantzのことを調べるとき、私が何をしたかといえば、Googleの 検索枠にいくつかの言葉を打ち込んだだけだ。そして、それぞれのページをタブブラウザ上に表示させながら、それぞれのページのことがらを時系列を頭の中で組み上げれば、それで一文になってしまった。「解読」を要したページは、ほぼ無かったし、あったとしても内容が解読を要求しているのではなく、その書き手の文章がわかりにくいだけというレベルだった。
情報というものの価値にはいくつかあるように思う。希少性、早さ、正確さなどなど。それらはネットが発達した今も変わりなく、ある情報をもっているということ、他の人よりも早く知った、もしくは他の人が知らない裏事情を知っているということは、その人に優越感を与えるものになっていて、どこぞの掲示板を ながめると、その優越感を押し付けて嫉妬を起こさせようとする人々が満ちていたりする。しかし、このような一問一答的な情報の価値は廃れるのも早い。みんなが知ってしまったら終わり。そして優越感を得るには、他者に知らせて、「君より早く知っていた」ことを示す必要があるから、優越感を得ようとすれば、情報を陳腐化させることになる。
さて、前述の雑誌たちにあった情報は、そのようなタイプのものなのだろうか。もし、そうだとしたら今、それを読んで何かしらの感銘を受けるなんてことは あるだろうか。数年、もしくは十年以上前の記事だ。そこに本当の意味で新しい情報があるとしたら、それは単なる一問一答的な情報ではなく、そこに書き手の 個性と、その個性と読み手の会話みたいなものがあるからなのではないかと、考えてみたりする。その書き手が何をもってそう書いたのか? そこに何を込めて いたのか? 彼は何を得たのか? そういったものに興味を向けるだけの働きかけが、その文章にあれば、それを「解読」しようとする読み手は新たな情報を得 る。そして、その「解読」が情報の重みを増してくれるのではないかなんて考えるわけだ。
そして、またネットにもどろう。私自身も製品のレビューや、聴かせていただいたシステムのレポートをこのブログや、その他のページで書いたりしている。書いているときに思うのだが、一定のものを取り上げ続けるのであれば、たとえばオーディオシステムのレポートを書き続けるのであれば、完全に一定のフォームみたいなもの、たとえば情報量とかS/Nといったことを項目としたレーダーチャートと、事前に決定しておいた事項によって構成されたフォームを作っておいて、それを穴埋めするというような記述方法をとれば、公正さもでるだろうし、記述も楽だ。そして、読み手がそれぞれの記事を比較するのも容易になるだろう。なのになぜそれを行わないかといえば、私が、そのようなレビューを行うには冷静さを欠いているからということになる。私がレビューしている内容は、結局のところ、その製品、システムに、どのような喜びを得たか、どのような失望を感じたか、満足を感じたのか、不満を感じたのかというレベルのことだけだ。それぞれの比較をすることもあるが、それを数値化できるほど冷静になれない。
いや、冷静になれないというよりも、そうなりたくないという思いがある。それは前述の雑誌たちによって造られた思いなのかもしれないが、どんな文章を書くにせよ、一回読んで終わりになる文章は、どうにも書きたくない。だからレビューにせよ、レポートにせよ、一定のフォーマットに収まった文章を提示したいと感じない。そのような文章を、私が書く意味が見出せない。
そう、結局のところ、私は私が書いたと言いうる文章が書きたいだけなのだ。それが個性というやつの発露になっている、もしくはサイト側で述べているような「ほの暗い情熱と奔放な本能のはけ口」というわけだ。だから、一見してすべてが理解できる文章は書けない。きっと、ネット上のレビュアーとしては失格なのだろう。それでも、読んでいただけるのだとしたら、そこに受容の喜びを見出すことも可能だろう。
と徒然に綴ってみたが、なにかを表現できただろうか? そして、読み手になにかを働きかけることができただろうか? といぶかしんでみたところで何もわからない。何が残るかといえば、「ただ書き続けるしかない」という半ばあきらめたような気持ち。ただ、それだけだ。
投稿者 黒川鍵司 : 10:40 | コメント (8) | トラックバック
2009年4月11日
ログハウスを建てたいさんのご自宅のシステムをお聴かせいただきました。
先日、不要なオーブントースターが数台見つかったというログハウスを建てたいさん(略してログさん)のお宅にお邪魔してまいりました。もちろん、用件はオーブントースターを一台いただきに......ということを大義名分にして、ログさんのオーディオシステムを聴かせていただきにいったというわけです。さて、まずはシステムの構成です。
CDプレイヤー:LINN CD12
ユニバーサルプレーヤ:AYRE ACOUSTICS C-5Xe
アナログプレイヤー:THORENS TD520RW/3012R
カートリッジ:EMT JSD6
プリアンプ:Mark Levinson No.32L
パワーアンプ:Mark Levinson No.336L、JEFF ROWLAND D.G. Model312
スピーカー:Wilson Audio System 7
豪華、としか言いようのないシステムですね。弩級レベルのパワーアンプが二つあるわけですが、こちらはラックスマンのセレクタを使って、スピーカーをどちらで駆動するかを選べるようになっています。CDの再生については、ノーマルのCD類はCD12で、SACD、DVaudioはC-5Xeという使い分けになっています。なんと贅沢な......。
さて、さっそく持参したCDをかけていただくと......。
「ん? これ System 7だよなぁ......」
と頭の中でつぶやいていました。 System 7といえば理知的、精緻、厳密というイメージがあったのですが、ログさんのそれは、いわば「豪快」という感じの鳴りっぷり。ノリがよくて、前に音が出てきます。こんな言い方が許されるのであれば「JBLのように鳴るSystem 7」という具合でしょうか。ホーン型? と勘違いしそうになる音の飛んでき方です。こんなに楽しいWilson Audioは初めて聴ききました。やっぱり鳴らし方次第なんですね。もちろん、Wilsonの特徴である精緻な情報量とか、音程の正確さも備えています。特に低域、それも音にならず、身体で感じるレベルの低音の適切さには嫉妬を感じました。私が使用しているCHARISMA+CHARAでは出ない質感、音程なのです。アナログを聴くとさらにその傾向が深まります。押し気味のノリが情感をよく伝えてくれるのです。楽しくて、家捜しするが如く、聴いてみたいアナログディスクを見つけ出してかけていただくということを繰り返してしまいました。どれも楽しかったのですが、私がベストに感じたのはフラワー・トラヴェリン・バンドの「SATORI」のA面。あのブラックサバスのような重さと、クリムゾンのような呪術性が見事に音に出ていました。
と、ここまでがパワーアンプをLevinsonにした際の感想です。JEFF ROWLANDに切り替えると、これが一変します。
まず、背景の静けさが増します。いままでも十分なS/Nだったと思うのですが、それ以上になり「静けさが聴こえる」という具合になります。そして、Levinsonの時には前に出てきた音が、今度はむしろ後方展開に近くなり、広がりが出ます。Levinsonの際が「JBL」なら、こちらは極端な言い方をすれば「QUADの静電型のようになるSystem 7」といったところでしょうか。ログさんはクラシックの場合は、こちらの接続で聴いてらっしゃるそうですが、それもうなずけます。広い音場で、時に壁の越えた広がりがあります。もちろん、スピーカーの資質であるところの正確さ、それゆえのダイナミズムもあります。
こうしてパワーアンプで音の傾向を使い分けてらっしゃるという方はなかなかいないと思うのですが、はっきりとキャラクターが分かれていて興味深いものでした。情感のLevinson、広がりと静けさのJEFF。ヒートシンクに触った際の印象も、Levinsonはじんわりと伝わってくる熱さがあるのに対し、何事のないように、まるでスイッチが入っていないかのようにひんやりしたJEFF。同じアメリカのハイエンドメーカーでも、ここまで差があるのだなぁと今更ながらに実感しました。
シアターシステムに導入されたJBL L-101もお聴かせいただきました。こちらは一言で表現するなら「スウィート」。当然のことですが、帯域、情報量、正確さにおいてはメーンのシステムの圧勝なのですが、言葉にし難い「味」があります。それは大理石のトッププレート、凝った組子のフロントグリルという外見にも表れていると言えると思います。
全体として、私のような若輩者が生意気を言うようですが、ログさんのシステムは分析する・聴き分けるということよりも、楽しむことに重点をおいたシステムだと感じました。もちろん、前者を行うことも可能なだけの情報量、正確さも備えているのですが、それ以上にノリや音の豊かさが顕著に感じられるシステムでした。
一通り楽しませていただいて、大義名分であったトースターをいただき、食事をして帰宅となりました。そうそう、なんでトースターをいただいたかといいますと、いままで使っていたトースターは引越しの際に、友人が今まで使っていたものを譲ってくれたものだったのですが、長年使用していたためかタイマーの部分が壊れてしまっていて、ちょっと目を離すとトーストが黒こげなんてことが多々ありまして(笑)。
ログさん、楽しい音楽をお聴かせいただき、その上、トースターまで譲っていただき、本当にありがとうございました。次回、当方のシステムもお聴きいただければと思っておりますので、その際には、どうぞ、よろしくお願いいたします。
投稿者 黒川鍵司 : 11:45 | コメント (0) | トラックバック
2009年4月 6日
単体DACを導入しました。
47研究所のDAC、4715を導入しました。
SA-60の再生音そのものにはあまり不満はなかったのですが、こちらのDACが店頭でデモされているのを聴いて気になってしまい、とりあえず、お借りして、SA-60の音と比較して導入の可否を判断するということになりました。
SA-60には3つのDACフィルタモードがあります。FIR、RDOT+FIR、PCM→DSDです。それぞれにいいところがあります。ダイナミズムと立ち上がりではFIR、高域の伸びではRDOT+FIR、音場感ではPCM→DSDという感じなのです。4715はこれら3つのモードのよいところを集め、そこに高域の清廉さと、うっすらと耽美的傾向を感じさせる音になっていると感じました。大きく差があるわけではないのですが、自分好みの方向に進めるということがわかりました。
という具合に判断を下してから、ネットで調べてみると、まずこのDAC、ノーアップサンプリング、つまり入力された信号を内部でアップサンプリングせず、そのままD/A変換して出力ということになります。このスペックだけを取り出してみると、CDの44.1kHzを最大で1411.2kHzにまでアップサンプリングできるSA-60の圧勝のように思えるのですが、実際聴いてみると4715の方が私には好ましく思えます。筐体の小ささによる経路の最短化や、電源部を外部にしたこと、そして、フィルタについてデジタル、アナログ双方とも使用していないというような点がこの結果に現れているのかもしれません。なお、入力はコアキシャル一系統のみ。出力もRCA一系統のみです。どこまでもシンプルなDACですね。
そういうわけでメーンシステムに導入することになったのですが、その焼き物のボディにさわっていると、ラックの棚に直置きするのが申し訳なく感じまして、敷物を用意することにしました。

こちらのお店で牛革のハギレをカットしてもらったものです。

似合ってますかね?
音にも落ち着きが加わったような......きっと気のせいですね(笑)。
投稿者 黒川鍵司 : 18:26 | コメント (0) | トラックバック
2009年3月24日
本日のコーヒーさんにお聴きいただきました。
以前、本格的なPCオーディオを私に味わわせてくれた本日のコーヒーさんに、当方のシステムをお聴きいただき、感想を記事にしていただきました。ベンツマイクロのカートリッジとチェロのプリアンプを使い始めて、初めてのお客様だったのですが、ご不快な思いはさせずに済んだようです。CDの再生について、課題をいただきました。なんとか解決して行きたいと思います。
本日のコーヒーさん、ありがとうございました。
投稿者 黒川鍵司 : 22:31 | コメント (0) | トラックバック
2009年3月23日
現在のオーディオ(メーンとサブ)
オーディオのことを続けて書いているので、今のシステム構成図をこちらにも掲載しておこうと思う。まずはメーン。フォノイコライザーがプリに内蔵となったので、すこしシンプルになったかな?
投稿者 黒川鍵司 : 19:54 | コメント (0) | トラックバック
2009年3月21日
marantzというブランド
所有することとなったアンプについて書いた記事で、マーク・レヴィンソンという人物と、彼が主催した会社の変遷を書いたところ好評で、他のブランドについても書いて欲しいという要望をいただいた。そこで、自分が使用した事があるものでと考え、マランツを取り上げることとした。マランツの創始は、オーディオの世界には良くある「自分用に作成した機器が周囲に好評で」というパターンだ。レヴィンソンもこのパターンだったし、ソナス・ファベールのフランコ・セルブリンもこのパターンで起業している。マランツの創始者ソウル・バーナード・マランツの場合、評判となったのはプリアンプであった。ニューヨークの自宅で作成を開始し、400のバックオーダーを抱えるに至って、小さな工場を借り、1953年にマランツ・カンパニーが設立されることとなった。
その後、パワーアンプの設計を担当するシドニー・スミスを迎え、今も名機とされる#7というプリアンプ、そして、その相棒としての#9が開発される。これらのアンプは、その後、レプリカモデルが発売されるほどの人気を持ち、特に#7は、今も、そのオリジナルに熱中するユーザがいるほどである。そして、これらは、その後のアンプのデザイン、機能の実装面に大きな影響を与えるモデルとさえなった。
このように隆盛を誇ったマランツだが、FMチューナーの開発において資金難に陥り、60年年代半ばにして、映画のワイド・スクリーンの一形式を開発した、スーパースコープ社に売却されてしまう。この時点でソウル・バーナード・マランツは、マランツというブランドに関わらなくなってしまった。これがマランツブランドの最初の断絶だ。
スパースコープ社では、それまでの真空管アンプに代わって、トランジスタによるアンプが作成されていった。この時代にはCelloの記事でも名前を挙げた、ジェームズ・ボンジョルノが設計に関わっていたりもした。また、スパースコープ時代のマランツブランドは拡大拡張を目指しており、スピーカーをつくってみたり、普及価格帯の製品を日本のスタンダード工業に作成させるようになったりしている。その後、スタンダード工業はマランツ製品のほとんどの設計・開発を行うようになる。日本国内では、ブランドとしてはアメリカ、製品は国産というねじれが起きていたわけだ。なお、スタンダード工業は、1975年に日本マランツと社名を変更している。
そうこうするうちに、スーパースコープ社も資金難に直面する。そして、マランツブランドは北米でのそれを残して、再度、売却されることとなった。売却先はオランダのフィリップス。マランツというブランドはアメリカと、ヨーロッパに分割されたわけだ。そして日本マランツもフィリップス傘下となった。
フィリップスは言うまでも無いが、高い技術力を誇る企業であり、CD、LDなどの開発、規格提唱元となった企業である。そこで、マランツにプレイヤーの技術が流入することとなった。音決めの基準となるスピーカーも、ヨーロッパ製品が使われるようになり、現在のヨーロッパトーンの音と外見のマランツはここで作られたものだと言えるだろう。これが二度目の断絶だ。そして、1990年の暮れになって、北米のマランツブランドもフィリップスに買収されることとなった。これでマランツブランドは完全にアメリカのものではなくなった。
それから数年後、マランツブランドの所有権は再び海を渡ることとなった。今度の買収先は、いや、実際的には買収ではなく、独立だ。日本マランツがフィリップスから、マランツに関するすべての権利を買い取ったのである。これで、スパースコープ時代途中から発生していた、ブランド所有者と生産者が異なるというねじれが収束したわけだ。しかし、これで安定とならないのが、時代というものなのか、次は純日本産オーディオブランドであるデノンとの経営統合となる。ディーアンドエムホールディングスという会社が作られ、マランツブランドの製品の企画・開発はこの会社のものとなり、販売については、その子会社となるマランツコンシューマーマーケティングが行うこととなった。そうして現在に至る。
以上が、マランツブランドの簡略な変遷である。
数奇なブランドというのが、私の感想だ。二度の大きな断絶を経て、技術的、もしくは音質、外見の傾向における連続性が、ほぼ失われている。にもかかわらず、マランツというブランド名は消え去らず、その外面的特長の一つである「シャンパンゴールド」という色も引き継がれ、また、長きに渡って一定の評価を得るブランドであり続けている。これは「奇蹟的」といっていいことなのかもしれない。
なお、上述のディーアンドエムホールディングスは、アメリカのオーディオブランド「マッキントッシュ」も傘下に収めている。ソウル・バーナード・マランツが生み出したブランドと、その終生のライバルと言われたマッキントッシュが、同じ親会社を持つなどということを、誰が想像しえただろう。時代の流れ、うねりというものの凄まじさを思い知らされる事実である。
投稿者 黒川鍵司 : 22:13 | コメント (4) | トラックバック
2009年3月11日
補遺:Celloのこと
あちらでいくつかコメントをいただき、前回の記事に言葉の足りない部分があることに気がつかされたので、いくつか補いたい。- VIOLAについて
前回の記事を読むと、Celloに比してVIOLAのアンプ群が劣るかのように読み取れるかもしれないが、そんなことはない。VIOLAのアンプ群も優秀である。ただCelloのそれらとは異なるということを述べたかっただけである。 - マーク・レヴィンソンについて
こちらについても同様である。人物としてのマーク・レヴィンソンとは無関係になっており、彼が在籍した時代とは音が違っているが、優秀なオーディオ・ブランドである。実際、先日、BLの新K2とLEVINSONの最上級アンプの組み合わせを聴き、すらばしさに感服させられた。 - 人物としてのマーク・レヴィンソンについて
正直言って、マーク・レヴィンソンという人物自体は好きなタイプの人間ではない。現状については、一種の見苦しさのようなものさえ感じてしまっている。しかし、彼の作品としてのアンプ類には確かに魅力があると思う。 - Ampzillaniについて
本文中でも述べたが、Celloとは外見、音とおもにまったく違う。Celloがフェミニンな中に強さを感じさせるのに対し、マスキュランな中に繊細さをみせるのがAmpzillaだと思う。結局、私が惹かれるものは、個性というものはもちろんだが、一見矛盾するような要素を含んでいて、その上で成り立っているものだ、と言うことなのだろう。 - ゲインについて
ENCORE 1MΩの機能にふれたとき、ゲインについて書き漏らしてしまった。アウトプットが外部への出力についてボリュームなのに対し、これはソース機器からの入力に対するボリュームである。単なるボリュームであるなら別にする必要は無いはずで、操作してみて気がついたのだが、ゲインをあげてアウトプットを下げると、空間的な広がりが出る。ふくよかになるという人もいるだろうし、ライブな音になるという人もいるだろう。逆にすれば、デッドになるわけだが、それゆえのストレートさも出てくる。どちらが良いという種類の問題ではなく、音楽ソースに合わせて、もしくは聴き手の好みによって調整してよい部分だと思う。
投稿者 黒川鍵司 : 20:05 | コメント (4) | トラックバック
2009年3月 7日
Celloのこと
久しぶりにこちらでオーディオのことを書こう。Cello(チェロ)というオーディオメーカーがあった。いや、実は今もある。しかし、その形態は以前のCelloとはまったく別といっていい。だから「あった」ということにしよう。
Celloはマーク・レヴィンソンによって作られたメーカーだった。レヴィンソンは自らの名前を冠したメーカーを作ったはよいが、結局は、半ば追い出されるようにして、その会社を飛び出すことになった。そして、その名はブランド名となり、今も残っているが、人間としてのレヴィンソンとはほぼ無関係だ。レヴィンソンを飛び出したレヴィンソン(ややこしい話だ)は、トム・コランジェロというエンジニアを引き抜きいた。そして、彼とともに開発したオーディオ機器を発表したのがCelloというメーカーだった。
どうもレヴィンソンという人物は、本人が天才的な設計者というわけではなく、むしろ優れた監修者に近い位置にあったようで、前述のコランジェロ、リチャード・バウエン、ジョン・カールといった優れた設計者とともにあって、すばらしいアンプを発表する、ということをしていた。私には、彼がデヴィッド・ボウイと似ているような気がしてならない。ボウイも、本人も、もちろん優れているのだけれど、時代の半歩先を行く人物、グラムだった頃はミック・ロンソン、ベルリン時代はブライアン・イーノ、レッツダンスのスティーヴィー・レイ・ヴォーンだとか、そういう人物を組み込んで自分の音楽を作り出すのが得意だった。もちろん、ボウイなしでは、今、残っているような音楽にはならなかっただろう。
レヴィンソンにも同じことが言える。その証拠がVIOLAというメーカーの存在だ。Celloが経営的に行き詰った結果(それ以外の理由もあるのかもしれない)、レヴィンソンはまたしても会社を飛び出し、主要設計者であったコランジェロとポール・ジェイソンは別の会社を作って自分たちのアンプを発表する。そのメーカーがVIOLAだった。発表されたアンプは当然かもしれないが、Celloのアンプ群の設計思想に共通するものを持っていた。姿も大きさも似ていた。しかし、Celloを良しとするユーザからの評価は必ずしも良くない。やはり、レヴィンソンがいたからこそできた音があったということだろう。
その後、レヴィンソンはアジアとの関係を深め、レッドローズ・ミュージックという会社を興し、中国で生産されたオーディオ機器をアレンジして(本当にアレンジしていたのか名前を貸していただけなのかはわからない)販売していたというが、あまり芳しい話はきかない。同社のWEBサイトを見ると社長兼CEOとして、その名があるから、今もその地位にはあるのかもしれない。その後、私が知っているのは、韓国のLG電子と組んで携帯電話やホームシアターシステムの監修をしたという話と、中国のレコードになぜか技術顧問として加わっていたりするということだけだ。欧米ではその名の威力が衰えたのでアジアで、ということなのでだろうか。また、当初、私は同姓同名の別人と思っていたのだが、結果的に元妻となった女優とともに、こんな
そのCelloのアンプを私が導入するきっかけとなったのは、上述のVIOLAのパワーアンプ、FORTEでならされるスピーカーを聴いたことだった。音が好ましかったし、その小ささがさらに好まく、かわいらしく見えたのだ。そして、その頃から、試聴会などに通うようになって、顔見知りとなった某オーディオ店のA氏に「あのFORTEというパワーアンプはなかなか良いですね」と話したところ「あれよりも、あれの元ととなったCelloのencore power monoの方がよかったんだよ」と言われた。その場では、そう言われても聴く機会ないですものねぇ、そうだねぇ、などという会話が続いて、その話題は流れていった。
数ヶ月後、A氏のところに行くと、ささやくようにして、こう言われた。
「Celloのmonoアンプ出るよ」
当然、私は驚いた。聴けないと思っていたアンプが聴けること。もちろんそれには驚いたが、それ以上に、半年ぐらい前にサラリと話した内容を氏が覚えていたことに驚いた。
とりあえず、モノが入ったら見せてください聴かせてください、そうお願いして、数日後、現物をパウエルアコースティックのスピーカーにつなげて聴かせてもらった。姿は単なる金属の箱。にもかかわらず、なにか可愛らしさと品の良さが感じられた。音もその小ささからは、想像できないしっかりしたものだった。
しかし、すぐに買う決心はつかなかった。その時点で私は出力50Wの真空管パワーアンプを使っていた。次にパワーアンプを買えるとしたら、それ以上の出力のあるものと考えていた。その頃は出力数という値が、そう単純にあてになるものではないなんてことは知らなかった(後年、インピーダンス15Ω、能率82dBとされるLS3/5Aが6Wの真空管アンプで朗々と鳴り響いたときに思い知ることになる)。だから、次期パワーアンプ候補は駆動力にも定評があり、そして独特の世界を有しているものをということで、レヴィンソンと同じく半ば伝説となっているジェームス・ボンジョルノの手になるSon of Ampzilla2000をと考えていた。Son of Ampzilla2000の出力は定格で100W/8Ω、それにくらべるとencore power monoは60W/8Ω。Forteの75W/8Ωと比べても見劣りするように感じられた。そして、つなぐスピーカーも能率は低め。果たして十分にドライブできるのだろうか? としばらく逡巡し、それでも、その見た目と音に観念して、導入に至った。付属のケーブルも加工してもらい、その時点で使っていたSNOWWHITEのXLR出力とencore power monoのフィッシャー入力を直接つなげるようにしてもらった。
その音には十分満足した。アイソレーショントランスを導入し、さらに満足を増したりもした。SNOWWHITEとencore power monoは大きさも似ていたし、SNOWWHITEのコストパフォーマンスの高さについては、今でも私の中の評価は高い。この組み合わせで、いろいろな方に聴いていただいたが、それなりの評価をしてもらえていたと思う。
しかし、A氏からは、時たまこういわれていた。
「対になるCelloのプリがあったら、万難を排して手に入れるべき」
確かにそうだろうなとは思っていた。そして、なんどかチャンスもあった。しかし、それらは中古とはいえ高価だったし、どのような環境で使われていたのかがわからない状況では購入したくなかった(導入したencore power monoについては、前オーナーはA氏のお客であり、彼はその使用状況も知っていた)。前述のとおり、SNOWWHITEとの組み合わせで奏でられる暖色系の音に満足も感じていたから、あえて、危険を冒してまでCelloのプリアンプを手に入れることはないと考えていた。
しかし、好機というのはやってくるものだ。A氏のところでENCORE 1MΩの初期型。それもフォノイコライザ内蔵タイプの中古が出ることになったのだ。「時がくれば向こうから探しにくる」という言葉は誰が言ったのだっけ。そして、パワーアンプのときと同じく、いち早く、その情報を教えてくれ、実物を聴く機会も与えてもらえた。
たしかに良いと思った。そして、今使っているプリアンプとフォノイコラザーを下取ってもらい、それに加えて、元箱、取扱説明書がないということで、私にも手が届く価格にしてもらえた。ここで誤解してほしくないのだが、元箱、取扱説明書がないからといっても、A氏はそれを補うだけの行動力と知識と情報網を持っていた。それにくわえて、私であればそれらがなくても対応できると判断した(後述するが実際対応できた)から、その価格で決定したわけだ。顔見知りだからという理由だけなら、そのようなことにはならなかったはずだ。
そして、導入に至った。パワーアンプとの間のケーブルは、XLR-フィッシャーに改造したケーブルを元の状態であるフィッシャー-フィッシャーのケーブルにしてもらうことになった。しかし、その作業には時間がかかるため、しばらくはパワーアンプに変換プラグをつないでRCAケーブルで聴くこととなった。
設置はA氏が行ってくれた。その場で聴いて、SNOWWHITEとは音のバランスが違うことがすぐにわかった。SNOWWHITEは中低域にゆるいアクセントを置いているものの基本的には上下にフラットだったのだと気がついた。ENCORE 1MΩはまず、高域の伸びが、そしてSNOWWHITEのアクセントよりも少し下の低域にアクセントが感じられる。そして、明らかに情報量が多い。SNOWWHITEは私の所有するプレイヤーの情報をすべて十分汲み取ってくれていると思っていたのだが、まだ不足があったということなのか。いや、でも考えてみれば、SNOWWHITEの定価315,000円、ENCORE 1MΩのフォノイコライザー内蔵型の発売当時(1988年)の値段は1,680,000円。20年という時間経過によって生じた技術革新と物価の上昇が互いを相殺するとしたら、単純に考えて5倍以上の価格差だ。これで改善される点がなかったとしたら、オーディオって何なんだという話になるだろう。
RCA接続でのCelloのコンビが出す音は、本来の接続方法ではないにせよ、レヴィンソンが聴かせたかった音はこれなのかもしれないと思わせるものがあった。20年前のアンプということで、想定されるようなノスタルジックな音、中域~中低域が厚いサウンドとはまったく異なっている。誤解を恐れずに言うならば、先ほどの高域と低域の文章からわかるとおり、いわゆるドンシャリに近いバランスだ。しかし、いわゆるドンシャリが質を誤魔化すために行われる音作りなのに対し、このアンプでのそれは艶をもって伸びる高域と、広がる低域というものと、実際的な情報量の多さが両立している。それゆえ、ながら聴きをしようとしても、つい引き込まれてしまう。ただし、その高域になにか危うさというか、脆さみたいなものも感じられた。これ以上進むと割れてしまうというギリギリのところで踏みとどまっているような感覚。また低域についても、時に膨らみすぎたり、それでいて硬さを感じる瞬間もあった。それらにシステムとなじむまでに時間がかかるのかもしれないと自分を納得させようとしていたが苛立ちを感じることも多々あった。
3、4日後、A氏からフィッシャーケーブルの加工が終わった旨の連絡があった。取りに伺うと、前ユーザが使用していたというXLR-フィッシャーのケーブルもお譲りいただくこととなった。自室に戻ると、早速配線にとりかかった。フィッシャーケーブルにはなれていないので、多少取り付けに手間取ったが、無事完了。期せずしてSACDプレイヤー-プリアンプ-パワーアンプ間がバランス接続となった。そして、いつもの位置で試聴を始めた。
「え?」
本当に声に出してそういってしまった。前述の苛立ちにかかわる部分がまったくなくなっている。高域は艶やかに伸び、低域は芯を保ちながら広がる。もちろん、全体のバランスがすべて変わってしまったわけではないが、脆弱さや、生硬さのようなもの姿を消し、その代わりに赤い紅がほんのりと、薄っすらととさされたような、そんな気がする。きっとこれがレヴィンソンとコランジェロが聴かせようとした音だと納得したし、いまだにCelloのファンが多いことにも納得した。
それから10日程度して、ある方から取扱説明書の電子ファイルをいただいた。それを元にフォノイコライザのゲインや負荷抵抗を行った。これで環境については完成といえるだろう。ご提供してくださった方には、この場を借りて改めて感謝を申し上げたい。本当にありがとうございました。
個人的な思い出話はここまでにしよう。レビューにうつる。
まず、パワーアンプであるencore power mono。

出力は前述のとおり60W/8Ω。その名のとおり、モノラルアンプで一台の前面のフェイスパネルを除いたシャーシの大きさは、公称で高さ7.6cm、幅21.6cm、奥行き30.5cm。見るからに小さい。そして、外見的にはただの金属の箱なのだが、そのサイズ、もしくは縦横比によるものなのか、どことなくかわいげがある。発売当時の価格は125万円程度だったようだ。20年前だって、これよりも安く、大きさも立派で、出力数の大きいアンプは多数あったはずだ。にもかかわらず、これを購入した人たちは、やはりレヴィンソンのメーカーということを信用したのだろうし、それが作り出す音の対価として妥当と考えたのだろう。
入力はフィッシャー1系統のみ。フィッシャーという言葉をずっと使ってきているが、ここで説明が必要だろう。フィッシャーはスイスの会社で、そのコネクタは小型・耐環境性に優れ、医療用品、F1カーなどに使用されるという。Celloでは、その3極コネクタをバランス接続用に使用している。当時使用されていたRCAケーブル、コネクタの信頼性の低さを考慮した結果なのだろうが、このままでは汎用性が低いため、本機にはフィッシャー-RCAの変換プラグが添付されている。また、このパワーアンプはブリッジ接続を行うことが出来る。そのためフィッシャーの出力ジャックも備えている。
スピーカー出力は、昔の機械にありがちなネジ止め式となっており、バナナプラグなどは使用できない。裸線かYラグということになるが、線の接触を防ぐセパレータがついているので、Yラグについては外径の小さなものを使用する必要がある。
音についてだが、基本的にはプリアンプに付き従う素直さがある。駆動力については、私が使用してるPENAUDIO CHARISMA+CHARAにおいては、まったく不足を感じていない。音には滑らかさと多少の温かみが感じられるのだが、それでいて反応の速さも備えている。A氏からシングルプッシュプルであることと、チョークトランスをつんでいることによるのだと説明を受けたが、私にはそれが何を示すのかがいまいちわからないでいる。小型で、緩やかさと俊敏さを両立しているパワーアンプだと思う。量よりも質を求めた結果のアンプといえるだろうか。このようなキャラクタなので、CHARISMA+CHARAにも似合っていると感じている。
つぎにプリアンプであるENCORE 1MΩ。

もともとはENCOREというプリアンプが存在していたのだが、こちらはその名のとおりInput Impedanceが1MΩとなり、これによりソース機器からの入力を安定させたのだという。
まず目に付くのは、その特徴的なボリュームつまみだろう。このような形状のつまみは、ほとんどCello独自のものだといえるだろう。6つ並んだつまみは左からインプットソースの切り替え、モニタ出力の選択兼そのオンオフ、左ゲイン、右ゲイン、モード(ステレオ、Lのみ、Rのみ、リバースの4種類の出力モードの選択)、そして音量となっている。この中でもっとも特徴的なのが音量調節のつまみである。いわゆる可変抵抗を使用せず、抵抗値の異なる固定抵抗を順に並べたアッティネータとなっている。そのため回すと段階的にカチカチというクリック感と音をともなう。まるで金庫のダイアルのような感覚で、これを良しとするユーザも多い。このアッティネータの利点は、いわゆるギャングエラーが発生せず、音を絞っても左右の音量バラスが崩れないことと、金属接点であるため音質面で有利であることだという。ただし、微細な音量調整はできない。
入力はフィッシャーによるバランスが1系統、RCAが8系統、そしてフォノが1系統(フォノを内蔵しないタイプでも、入力のみはあるようだ)。出力はTAPEがRCA2系統、プリがフィッシャーによるバランス1系統、RCAが2系統となっている。
フォノについてはMC/MMという切り替えはなく、ゲイン、負荷抵抗の調整でカートリッジに対応させる形式となっている。調整は内部のディップスイッチで行うため、本体の上蓋をはずす必要がある。
電源部は独立しており、それにネジ止めで6本のケーブルをつなげて、本体に電力を供給するという独自の形式をとっているため、この部分のケーブル変更はほぼ不可能。コンセントからの給電部については、ケーブル交換可能なインレットとなっている。

音についてだが、前述のとおりだ。ノスタルジックな部分はまったくない。今聴いても、発売当時、この音を聴いたユーザが、その鮮烈さに驚いたであろうことが想像できる。情報量は多く、艶と輝きのある高域が伸び、低域にはある程度の柔らかさと広がりがある。音場は広がるが、それに頼って誤魔化すタイプではなく、定位、音像はしっかりとしていて、生々しささえ感じることがある。それゆえ、特にセッティングを変えたわけでないのに、スピーカーの存在が意識されなくなるときがある。全体の印象として「丸み」よりも、「研ぎ澄まされた」と言えるのだが、うっすらとした芳香もある。「Celloの音は麻薬的」という言葉を聞いたとき、マリファナ? それともLSD? とぼんやりと考えていたが、こんな表現が許されるとしたら、この音はアンフェタミンだ。
内蔵のフォノイコライザーについてだが、特に奢った作りの音であるとか、極端な特徴をもっているというタイプのものではない。むしろ、真面目に基本に忠実に作られたフォノイコライザーで、明快さがある。もちろん情報量も十分だ。このようなフォノイコライザーだからこそ、Gliderのような現代的なカートリッジにも対応出来ているのだと思う。そして、そこで救い上げられた音は他のソースを同じく、上述の傾向を帯びてパワーアンプに送られるという次第だ。
このプリアンプとパワーアンプのコンビーネーションが優れているなんてことは、あえて私が言う必要はないだろう。組でつかうことを考えて作成されたのだろうから、当たり前のことだし、先達の人々がすでに語っているだろうから。そこで逆に「もし」という話をしてみよう。
「もし、このアンプが何らかの理由で失われた、もしくはこのアンプと出会わなかったら、現行のアンプで何を選ぶか?」
その答えは、現状での想像でしかないが「Ambrosia2000とAmpzilla2000」となる。いや、もちろん、Ampzillaの組み合わせがCelloと似ているなんてことはない。しかし、現行機器で、同じくらいに個性を感じさせるアンプというと、この組み合わせぐらいしか浮かばない。私はアンプに対しては、無色透明さや、純粋無垢な正確さは求めておらず、むしろ作り手の個性を想像させるものを選びたいと思っている。それゆえのAmpzillaであり、Celloなのである。
投稿者 黒川鍵司 : 23:52 | コメント (2) | トラックバック
2009年1月19日
昨日は
御呼ばれしたので、この試聴会に伺いました。
この機器が今日の主役です。


司会は厚木さん。私に15ΩのオリジナルRogers LS3/5aをお世話してくださった方でもあります。

OCTAVE社社長にして、設計主任のアンドレアス・ホフマンさん。見た目よりも低いバスヴォイス。いい声なのに、寡黙で控えめな方でした。ドイツの職人気質なのでしょう。手もモノを作る人の手だなぁと思いました。

投稿者 黒川鍵司 : 22:12 | コメント (4) | トラックバック
2009年1月 4日
FCAさんにお聴きいただきました。
ファイルウェブで知り合ったFCAさんに拙オーディオシステムをお聴きいただきました。FCAさんは関西からの二人目のお客様となります。ご感想を記事にしていただきました。今回は、ピアノの低域再生で課題をいただきました。ここらへん、以前から問題にしている「大人っぽさの希薄さ」とも絡んできそうな気がします。まだまだ、道は遠いですね。
FCAさん、ありがとうございました。
投稿者 黒川鍵司 : 23:06 | コメント (0) | トラックバック
2008年12月27日
freestyleさんのご自宅のシステムをお聴かせいただきました。
前回の本日のコーヒーさんと双璧をなす電源系アクセサリー、各種ケーブルの達人、freestyleさんのシステムをお聴かせいただく機会を得ました。閑静な住宅街をバスで揺られること15分くらいのファミリー向けと思われるマンションを贅沢にお使いです。メーンのオーディオシステムが置かれているのは、12畳以上あるリヴィング。白い壁にフローリングと、テレビドラマに出てきそうなお洒落な部屋なのですが、オーディオ機器とそれにまつわるガジェットがそこここに置かれています。オーディオ好きな方なら、一度はあこがれる雰囲気とでもいいましょうか、そういうものが漂っているお部屋です。
さて、まずはシステム紹介です。
SACDプレイヤー:ESOTERIC X-05
DAC:SOULNOTE,dc1.0
プリアンプ:Mark Levinson No.380SL
パワーアンプ:PASS X250.5
クロックジェネレータ:ESOTERIC G-25U
クロックジェネレータ:ルビジウムクロック(自作)
スピーカー:Pioneer S-3EX
このシステムに加え、真空管バッファアンプや、PCオーディオのシステムもあり、それぞれに音には特徴があるのですが、今回は上記の組み合わせについて記事にさせていただきます。
まず、S-3EXについて私が気になるのは低域です。以前も書きましたが、このスピーカーのウーハーは、下手に鳴らすと妙にボンボンと浮いた低音を出してきます。7さんのところでは、真空管のパワーアンプを使うことによって柔らかく鳴らすことで、これを解消していましたが、freestyleさんのところでは、それとはまた別の方向でこれを解決していると思えました。前に出てくる低音ではないのですが、恐ろしく沈み込む、それこそ床を突き抜けて階下に落ちていくような低音を聴かせてくれます。これはパワーアンプの性能にスピーカーが答えた結果なのでしょう。
そのような低音を伴ってならされる音は音場も広く、適切で、ライブ盤などでは、会場の広さが把握できます。情報量も驚くべき量なのですが、それが嫌味にならないのは、定位感とのバランスを上手くとってらっしゃる故なのでしょう。またジャンルを選ばない再生能力があり、freestyleさんは「クラシックは最近、聴けるレベルになった」とおっしゃっていましたが、並みの販売店では対抗できないであろうレベルの再生であったと感じました。もうすこし艶みたいなものが欲しいかな? と思える部分もありますが、それを得ればオールマイティーさが失われることになるでしょう。また、それらは真空管バッファアンプを使用したり、サブスピーカーであるタンノイで実現できていますから、こちらのシステムに持ち込む必要はないのでしょう。
以上のように非常にレベルの高いシステムなのですが、freestyleさんご本人もおっしゃっていましたことなのですが、低域に微妙なかぶりのようなものがあります。背面の壁が原因とすでに特定されてらっしゃいましたから、すぐにでも解決できる問題だと思います。また、私にはそれ以外にも本当に微妙なのですが、なにかの付帯音が感じられました。比重の重いものがなっているような感じなのですが、それがなんなのかはわかりませんでした。これにしてもルームチューニングですぐに解決できる問題だと思います。
ひとしきり、楽しませいていただいた後は、親密な雰囲気のある串揚げ屋さんにおつれいただきました。わたくし、年末ということもあり4日連続の飲み会となり、そうそうに長広舌を披露してしまったようにおもえます。また、みかんの件は本当に申し訳ありませんでした。と、またしてもご迷惑を掛ける試聴となってしまいました。来年はこのようなことはないようにしたく思います。
投稿者 黒川鍵司 : 12:26 | コメント (0) | トラックバック
2008年11月27日
本日のコーヒーさんのご自宅のシステムを聴かせていただきました。
ケーブル類の自作、電源系アクセサリー、インシュレーターなどのレビューで、その筋では著名な、本日のコーヒーさんのシステムをお聞かせいただきました。
まずはお約束のシステム紹介です。
プレイヤー:自作PC(詳細は後述)
オーディオインターフェイス: RME FIREFACE400
プリメインアンプ:TACT AUDIO M2150X
スピーカー:PMC OB1
PCをプレイヤーとして使用するというのは、今後のピュアオーディオ界ではメジャーとなるとされていますが、現状は少数派だと思います。なので多少解説が必要でしょう。こちらのPCはOSの機能を極限まで削っており、インターネットへの接続もされていませんし、エクスプローラさえ動作していません。リッピング用のCDドライブは外付け、音楽ファイルを保存しているハードディスクも外付けで、PC内の記憶装置はSSDとなっており、回転系ドライブが存在しない形となっています。そのPCからIEEE1394接続でFIREFACE400へと接続され、そのFIREFACE400から、同軸デジタルケーブルでデジタルアンプであるM2150Xに入ります。つまり、ここまで完全にデジタル伝送なわけですね。我が家のサブシステム(いちおうPC使用)の適当さとは雲泥の差です。
スピーカーはPMC OB1。この選択もなかなかユニークだと思います。PMCのスピーカーの特徴はトランスミッションラインという仕組みです。これにより低域の増強が図られており、スペック上では22Hzまで出るということになっています。これはもうサブウーハーなみですね。
また、冒頭に書いたとおりケーブル類、インシュレーター、電源トランスはもちろんのこと、ヒューズに至るまで、凝りにこってらっしゃいます。ラック背面を覗かせていただくと目眩を感じたりしてしまいました。
さて、音についてです。まず気がつくのが中域の充実感。これは私が持っているLS3/5Aやハーベスの一連のスピーカーなどと共通すると感じました。やはりPMCもBBCモニターに源流を持っているのだなぁと納得させられました。人の声は男女、年齢にかかわらず語りかけてくるような存在感が感じられます。つぎに低域。トランスミッションラインがどのように働くのかと耳を傾けたのですが、通常は結構自然で、透明感があり、ある程度以上低い音になると粘りが出てきます。これがトランスミッションラインの特徴なのかなぁと思いました。たとえ粘りが出たとしても、消え入り方はスッとしています。それにくらべると中高音の消え方はサッという感じで、もう少しだけ余韻がほしいかなぁと思えました。
定位については、パキっとした部分は感じさせず、やわらかさがあり、自然さがあります。音場としては、もう少し左右に広がってもいいかなぁとおもうところもありましたが、次に述べる音色の傾向とも相まって、これがPMCらしい鳴らし方なのかもしれないと思いました。
そして、音色についてです。暗い音が、きちんと暗く出ます。現代のオーディオでは「明るい音」が評価され、暗い音はマイナスに評価されがちですが、本来、明るい音楽は明るく聴こえ、暗い音楽は暗く聴こえるべきだということは誰でもわかることだと思います。これが可能であるという点は、やはりモニタースピーカーの面目躍如という具合でしょうか。
この音場、音色、そして極低域での粘りは、いわゆるブリティッシュロックにはピッタリだろうなぁと思いました。また、My Bloody ValentineやCocteau Twinsなどの4AD勢も似合うと思い、CDを持ってこなかったことをこっそり悔やんだりしました。
という具合に、またしてもレベルの高いシステムに出会ったなぁと感じていたのですが、2つ残念なことがありました。1つはPCの動作音。動作音というよりもファンの音なのですが、これががかなり大きく(最初は冷蔵庫の音かと思ったくらい)、弱音部で気になります。もうひとつは、今一歩情報量が足りなく感じられたことで、これはアンプの駆動力の問題かなぁと思ったりしました。
これをお伝えすると、まずはPCのファンを外してみようということになり、外した状態で聴くことに。そして、聴いてみると前者の問題はもちろん、後者の問題も解決となりました。結局、ファンの音が繊細な音をマスクしてしまっていたようです。
PCオーディオということで、ちょっと構えていた部分があったのですが、そんなことはまったくの杞憂でした。十分にピュアオーディオとして通用する世界がここにもあります。ただ、現状ではPCでのピュアオーディオの方が困難に直面することが多いようにも感じました。それゆえに、今後の動向に注目すべき分野であるといえるかと思います。
本日のコーヒーさん、今回は本当にありがとうございました。またひとつ新しい世界に出会った気がしました。
投稿者 黒川鍵司 : 23:19 | コメント (0) | トラックバック
2008年11月 8日
7さんのご自宅のシステムを聴かせていただきました。
前回、当方のシステムをお聴きいただいた7さんのシステムをお聴かせいただきました。
まずはシステムの紹介から。
CDプレイヤー: TRIGON TR-CD1
アナログプレイヤー: GUBERCUBE-T CM-01
プリアンプ: AUDIA FLIGHT PRE mk2
パワーアンプ: AirTight ATM-1
スピーカー:Pioneer S-3EX
お部屋の広さは12畳以上の和室ですが、そこかしこにデザインコンシャスなものが置かれていて、それでいて調和しているという7さんのセンスの良さがうかがえるお部屋となっています。このようなお部屋だとS-3EXのような大きなスピーカーでも違和感がないなぁと感じました。また、スピーカー後方を、壁から1m以上離してらっしゃいます。これはうらやましい限り。ルームチューニング、ケーブル類の取り回しにも気を使っておられますが、やはり美観を損ねないという部分が大きくあるように思えました。
早速、お勧めの音楽を聴かせていただくと、背面の空間が生きてスピーカー後方にぐっと音像が広がります。そして第一印象としては、同軸ユニットを使用したスピーカーの割には、トールボーイというよりも、フロア型の大型スピーカーのような鳴り方、響き方があるなぁというものでした。カチッとした定位というよりも、がっちりとした音の存在感を感じさせるという具合です。
その後、持参したCDやアナログディスクをかけていただいたのですが、聴き進めるうちに不思議なことがわかってきました。7さんのシステムはかける曲で、表情がガラリと変わってしまうのです。ぴたりとはまるアルバムがかかると、まさに歌ってくれているように感じられるのですが、別のアルバムをかけると、まるでシステム全体がそっぽを向いてしまったかのように淡々とした演奏になってしまいます。
例えば、お聴かせいただいたcombopianoのGrowing Up Absurdでは、男性ボーカルがこちらに向かって語りかけているように感じられ、個々の演奏も伸びやかに展開しました。それならば、同じ傾向をもつ男性ボーカルであればと思いミック・カーンのアルバム(ボーカルはデヴィッド・シルヴィアン)をかけてみると、なにか数枚の窓ガラスの向こうで演奏されているような余所余所しいものになってしまいました。その他のアルバムでも試してみましたが、同じ傾向をもっていると思える音楽でも、まったく違う表情になります。
数枚聴いてみてやっと気がついたのですが、アルバムごとの録音の状態が非常に色濃く出るのです。いわゆるクリアな、もしくは陰影の濃い録音のものは生き生きと再生され、かつ説得力をもちます。そうでない録音だと、非常に淡々とするです。これは不思議です。7さんの個性がはっきりとシステムに表現されているのだとおもうのですが、それぞれの機器にそのような個性があるようには思えません。しいて言えば、スピーカーボードであるERAUDIOのスペース・ハーモナイザーの存在が大きいのかもしれませんが、それにしてもここまでの個性を生み出せるようには思えません。やはり、最大の要因は所有者の個性なのでしょう。
その傾向にくらべると些細なことになってしまうかもしれませんが、私自身の経験としてS-3EXは中途半端に制動力のあるアンプを使用すると、ウーハーの音が浮いて聴こえる傾向があるように思えるのですが、7さんのシステムではそのようなことはありません。おそらくパワーアンプが真空管であるおかげで駆動が滑らかなのでしょう。中〜高域の伸びのよさはスピーカーの同軸ユニットのできの良さと、プリアンプの特質かなぁとおもいます。ここらへんはうまくバランスをとってらしゃっるなぁと思わされました。
そして、これらの特徴も、7さんの個性、その好みの方向に収斂していきます。その結果、バンドネオンやチェロはまったくもって艶やかに響き渡ります。ただ、それらがぐっと力を得た瞬間、床が大きく振動していることが多少、気になります。ここらへんはまだ過渡期のシステムであることを表しているのかもしれません。
今まで聴かせていただいたシステムの中で、もっともユニーク、個性的なシステムだと思います。その個性はもちろん、7さんがお聴きになる音楽に特化しているということなのだと思います。普通それだけだと、他者からは好みに合わない特殊な音となりかねませんが、7さんにおかけいただいた曲での調和感は、このシステムにとっては部外者の私にとっても好ましいものでした。ここらへんのバランスと個性が同居しうるのだということを教えてくれるシステムだ言えるでしょう。
7さん、ご試聴させていただき、本当にありがとうございました。個性とバランス、これをさらに考えて、自分のシステムに生かしたいと思います。
投稿者 黒川鍵司 : 13:49 | コメント (0) | トラックバック
2008年10月15日
7さんにお聴きいただきました。
今回もファイルウェブにて、ご縁がありました7さんに、拙オーディオシステムをお聴きいただき、ご感想を記事にしていただきました。非常に幅広いジャンルをお聴きの方で、パスカル・コムラードのCDをお持ちいただいたことには、驚愕いたしました。それにしても、このご感想は、ほめ殺しに近いですね(笑)。
7さん、ありがとうございました。
投稿者 黒川鍵司 : 23:09 | コメント (0) | トラックバック
2008年9月21日
さもえどさんのご自宅のシステムを聴かせていただきました。
以前、当方のシステムをご試聴いただいた際に、ぜひ、さもえどさんのシステムをお聴かせいただきたいとお願いしていたのですが、やっと機会があり、聴かせていただくことができました。
まずはシステム構成です。
ユニバーサルプレーヤ: ESOTERIC DV-50S
プリアンプ:Mark Levinson ML-12A
パワーアンプ: Threshold STASIS-2
スーパーツィーター:ムラタ ES105
スピーカー:Celestion SL700
サブウーハーCelestion SYSTEM6000
また、電源系の機器として、アイソレーション電源であるハルモニア IPS-100、Assistance Design AIT-2000Rをご使用されており、構成としてはかなり複雑(詳細はさもえどさんが作成された構成図をご覧ください)で、特にスピーカー周りについては、サブウーハーとスーパーツィーターの追加によって、ブックシェルフというよりは、中サイズのフロア型に近いシルエットとなっています。
さて、試聴です。リスニング位置は小上がりになっています。そこに椅子に座るようにして、システムに向かわせていただくと、テレビ、ソフトなどをおさめた中央の少し濃いめの色のラック、意外と内側に向けられたスピーカー群という位置関係が、あのJBLのパラゴン、メトロゴンを思い出させました。「家庭」に馴染むオーディオの姿はこのようになるのかもしれないなぁと思わせられました。
音楽を聴いてみると、やはり、パラゴンなどと同様に音が拡散する傾向を感じました。しかし、定位感が全く失われるということはなく、曖昧ではなく、かつ厳密すぎず、嫌みなく聴きやすいものとなっています。音色そのものにも優しさがあり、使用されているアンプの外観の無骨さから受けるパワーで押し切るような鳴り方ではありません。また、同様に無骨に感じるサブウーハーも低域をゴリ押しするような音は出さず、広がりを作り出す低音となっています。
このウーハーについては疑問がありました。SL-700とのクロスオーバーが20Hzと恐ろしく低いのです。なので、試しに切っていただくと、音の実在感、広がりが消えてしまいます。恐らく、20Hzとはなっていますが、それほど鋭くカットされている訳ではなく、かなり上まで伸びているのではないか思います。そういったことも含めて、このウーハーを使いこなすのは、かなり難しいのではないかと感じました。
そのようなウーハーが別にあっても、SL-700の密閉型として性格はところどころに聴き取れます。一番わかりやすいのは、ジャズのベースラインが容易に追えることでしょう。これをバスレフ、特にリアバスレフ型のスピ−カーだと難しくなります。
前述のとおり、スピーカーの間には大型のラックがあり、その上、液晶テレビまでおさめられています。このような配置だと、奥行きがなくなるのが普通なのですが、さもえどさんのシステムでは、そのようなことが起きていませんでした。もしかして、ラック後ろになにかされてらっしゃるのでは? と質問させていただくと、吸音材を貼ってらっしゃるとのことでした。この見えない部分への気配りは確実に効果を上げていると感じました。また、再生される音楽によっては、音が聴き手の背中側に回り込むような感覚を受けました。これは、リスニングポイント上部に吹き抜けの空間があるからかもしれません。このような環境のおかげだと思うのですが、ホールトーンの表現は巧みで、高域の消え行く感覚も美しく、古楽器もよいし、全体のスケール感も適切です。美音と言える再生だと思います。
しかし、この美音が甘みに達し切らない部分を感じもします。音程の真ん中より幾分上のあたりに、なにか曇りのようなものが感じられるのです。特にそれが顕著なのがサックスやシンバルの音で、鮮鋭さが足りなく感じられ、音が丸みを帯びてしまいます。スクウェアなイメージの打ち込み曲も丸くなりがちです。これが良い方向に作用したときには、体温のある音となる訳で、この曇りを除くべきか、残すべきかはかなり悩ましい所かと思います。
などと小難しいことを延々と書いてきましたが、一言で表現しろといわれるならば「家庭的な愛情と良心を感じる音」です。こういう音を聴きながら育ったら、僕なんかとは違って、正義感の強い、素直な子になるんじゃないかなぁと思ったりしました。
でも、そんなことよりなによりも、私のシステムでは単なるスレンダーになってしまうダイアナ・クラールやノラ・ジョーンズが、それぞれに適切なグラマラスさを備えるのがうらやましゅうございました。また、試聴途中でふらりと飼い猫さんがいらしたこともうらやましかったです。猫とオーディオの両立。いつかは目指したいと思いました。
試聴の後は、大阪にてオフ会を開催していただきました。いろいろな方にお会いできて嬉しかったのですが、当方、緊張していて飲み過ぎてしまい、一次会にて失礼させていただきました。せっかくお会いできたのに、満足にコミュニケートできず、申し訳ありませんでした。
オフ会に参加された方々、そしてさもえどさん本当にありがとうございました。次回、また機会があればよろしくお願いいたします。
投稿者 黒川鍵司 : 11:44 | コメント (0) | トラックバック
2008年6月16日
そねさんさんのご自宅のシステムを聴かせていただきました。
またもファイルウェブのコミュニティで知り合ったそねさんさんのシステムを聴かせていただきました。以前、当方のシステムをお聴きいただいたお返しに、という感じで行って参りました。
お住まいは某有名私立大学の近くで、駅をおりると若い人が多く、街自体もある種混沌とした活気があるように思えましたが、そこから数分のそねさんさんのお宅の近くは、どことなく下町を思わせる情緒がただよっていて、路地で猫が寝そべっていたりしました。都心にこんな住みやすそうなところがあるんですね。
さて、まずはいつも通りシステムの紹介から。
CDプレイヤー:Accuphase DP-500
プリアンプ:Accuphase C-2410
パワーアンプ:Accuphase A-45
スピーカー:PIEGA TC-70X
プレイヤーからパワーアンプに至るまでアキュフェーズで統一されています。それに対して、スピーカーのピエガはシルバーなのですが、アキュフェーズのゴールドと意外と似合っています。また、ここには詳細は記載しませんが、ルームチューニングのアクセサリーが充実しています。スピーカー背面のサーロジックのボード、リスニングポイント背面のオーガンジー、天井の隅の対策もキチンとされています。当然、スピーカー、アンプの足下の固め方、ケーブル類の配線もかなり気を使われているのが、一見でわかります。ご本人は謙遜されてらっしゃいましたが、期待できそうです。
そして、音楽をかけていただくと、思わず「美しい」と言葉に出してしまいました。音の余韻の消えいく様、ふわりと広がる低域によって作り出される音場感。なんとも美しく、心地よい響きです。ノイズ感が全く感じられないのは、コンポーネントそのものの能力はもちろん、ケーブルなどの配置への心配りもあってのことなのでしょう。定位はガッチリとしたものではなく、多少の淡さを感じますが、いわゆるにじんだ音像に感じる気持ち悪さは全くありません。耳障りなところが全くなく、上質なミネラルウォーターを飲むような気持ちにさせられます。
音のバランスとしては人の声のから上に重点があるように思えます。なので、女性ボーカルなどは自然で、歌っているときの表情が感じられます。
音場について更に述べると、奥行き感は十分。特に右方向がよく、左は多少、窓の反射を極うっすらと感じなくもないというところですが、普通に聴く分には全く問題のないレベルです。この音場感は、サーロジックのボードの力なのでしょうね。
このように広がりがあり、さらりとして心地よい訳ですが、情報量も多く、耳を傾ければ、かなりの音が聞き分けられます。あまり情報量が多いと嫌みになりがちですが、こちらではそのようなことがないです。むしろ、その情報量の多さも、全体の心地よさに統合され、おしなべて大人の落ち着きのようなものを得ているように思えます。その点では、当方の若作りな音とは対比になっているように思えました。
そねさんさんが、気にされている点に、低域の表現がありました。そこに注意して聴いてみると、非常に品の良い低域となっているのがわかります。確かにJBLやウエストレイクのようなズンと出てくるタイプの低域ではなく、大太鼓の一撃も、さらっと流されてしまうところがありまし、タムなどは胴が感じられない音になりがちです。しかし、周波数としては、当方のシステムよりも下が伸びていると感じました。それ故に、広がりを作り出す大きな要素となっているようです。
最後にスピーカーのグリルを外してみたのですが、そうすると音が前に出て来ます。そうするとロック系の音楽も楽しく聴けるようになるのですが、落ち着きという持ち味は、グリルがあった方が良いですね。ここらへんはトレードオフなのでしょう。
と言った具合に試聴を終えたのですが、途中からすっかり音楽を楽しんでしまっておりました。声楽などはたまらないものがありました。そねさんさんは、しきりと「聴いていただく価値があるかどうか......。」と仰っていましたが、とんでもない。かなりレベルの高いシステムです。聴かせていただき、非常に刺激を受けました。当方ももう少し、頑張ってみようと思います。試聴させていただき、本当にありがとうございました。
投稿者 黒川鍵司 : 00:53 | コメント (0) | トラックバック
2008年5月19日
そねさんさんにお聴きいただきました。
ファイルウェブで、ご縁を得ましたそねさんさんに拙オーディオシステムをお聴きいただきました。ご感想を記事にしていただきました。今まで拙システムをお聴きいただいた方で最年長の方なのですが、共通の趣味があるおかげか話題には事欠かず、試聴の後も4時間くらいおしゃべりにお付き合いいただきました。
そねさんさん、ありがとうございました。
投稿者 黒川鍵司 : 21:44 | コメント (2) | トラックバック
2008年5月 8日
Chrisさんにお聴きいただきました。
ブログ趣味空間を主催されるにChrisさんにも、ご試聴いただきました。ご感想をブログにアップしていただいております。
同じシステムをお聴きいただいたわけですが、前回のfreestyleさんのご感想とは、全く異なっているあたりが興味深いと思います。オーディオへの感性は人それぞれということでしょう。
投稿者 黒川鍵司 : 20:19 | コメント (0) | トラックバック
2008年5月 6日
freestyleさんにお聴きいただきました。
試聴のお客さまのお一人、freestyleさんが試聴の感想を書いてくださいました。
前回に続き褒めていただいているのですが、う〜ん、何か不安になってしまうのは、私の自信のなさ故でありましょうか。
投稿者 黒川鍵司 : 20:54 | コメント (0) | トラックバック
2008年3月23日
さもえどさんにお聴きいただきました。
ファイルウェブで、ご活躍されるさもえどさんに拙オーディオシステムをお聴きいただきました。ご感想がさもえどさんのブログに掲載されているのですが......ほめすぎだと思います(^_^;)
投稿者 黒川鍵司 : 00:08 | コメント (2) | トラックバック
2008年2月23日
オーディオと音楽鑑賞についての立場 − その5
オーディオ再生においては、音色、空間表現、音調のバランスなどに、何かしらのシステムごとの付帯が存在する。これは機器の色づけ、オーディオが再生される空間などの結果であると言えるだろう。オーディオにおいて「色づけの全くないシステムが欲しい」という要求は良く耳にするが、これは不可能である。なぜなら、例え、色づけのない機器を作成したとしても、それは作成者の判断による「色づけのなさ」でしかなく、結果として、機器はそれぞれに個性をもつことになるからである。これは再生機器のみにおいてではない。録音機器にも個性は存在している。だから、どのように作成しようとも、完全な色づけのなさは実現できない。
そして、機器の使い手の側にも、判断は存在する。どのような音楽ソースを選択し、どのような機器を選択し、どのようい使いこなすかは、使い手がもつ「基準」による判断の結果であるはずだ。この「基準」がどのように作り上げられるかといえば、経験と知識、オーディオ、音楽のみならず、様々、文化や生活における体験、経験、学習によって生み出される感性、そういったものの総和であるはずだ。五味康祐が言う「あなたの教養が鳴る」というのはこのような意味だと思っている。
故に、この「基準」は個々人で異なっている。だから、ある人物にとって「リアル」な音が、別の人物にとっては「人工的」な音に感じられることがありえる。そして、この「基準」は上記のような総和であるから、それを全面的に他者が理解することはない。言われるままに機材を集めても、本人が満足を得られない場合が多いというのは、当然なことである。他者が、その人物の「基準」を完全に知りうることはないからだ。
趣味というものは、それに熱心であればあるほど、自己の内面にある基準による選択を迫られる場面が多くなるのだ。趣味の実践者は、自分の基準に照らし合わせて、ある種の苦しみや悩みを感じながら、選択を重ね、自己の満足に向かうしかないのである。
さて、このようなことを書くと、次のような質問をもらうことになるだろうか。
「オーディオ趣味は、単なる自己満足のための孤独な行為でしかないのですか?」
この質問に対しては次のように答えたい。
確かに判断というものは、個人が行うしかないものだが、その判断の基準を作り上げるための経験、体験、知識の獲得は個人のみで行えるものではなく、なにかしらの相互関係(もちろん人と人の場合のみではない)が必要となる。また、他者の基準を理解しようとする努力、もしくは他者の基準にふれる機会は、自己の基準を明確化するのに役立つ。他者の基準との差異によって、自己の基準が浮かび上がるからだ。故に真に孤独な行為であるという状況は成り立たない。
投稿者 黒川鍵司 : 10:02 | コメント (2) | トラックバック
2008年2月17日
tockyさんにお聴きいただきました。
先日、ご自宅にお邪魔させていただいたtockyさんに、今度は当方のシステムをお聴きいただきました。レビューはあまりしたくないと仰っていたのですが、無理を言って記事をお書きいただきました。
tockyさん、ありがとうございました。
投稿者 黒川鍵司 : 23:38 | コメント (0) | トラックバック
2008年2月10日
tockyさんのご自宅のシステムを聴かせていただきました。
前回のタイガーマス君さんと同じくファイルウェブのコミュニティで知り合ったtockyさんのシステムを聴かせていただきました。
待ち合わせ場所から、日本有数の繁華街にある、お洒落な都会的マンションにご案内いただき、お部屋に入れていただくと、まず出迎えてくれるのが、クワドラスパイアのラックにおさめられた機器の背面。ビジュアル方面の機器も同じくラッキングされているので、背面のケーブルの量は凄まじく、例えるなら昭和中期の手動式電話交換機という感じ。これだけで圧倒されますが、その横のスピーカーの大きさにも驚かされます。
というわけでシステム構成です。
GPSレシーバ:HP Z3801A
クロックジェネレータ:ESOTERIC G-25U
CDプレイヤー:ESOTERICX-01(バージョンアップ済み)
プリアンプ:ACCUSTIC ARTSPREAMP I mk2
パワーアンプ:SST Ampzilla2000
スピーカー:FOCAL JMlab Alto Utopia Be
まず、この中ではGPSレシーバについて説明が必要でしょう。名称からわかる通りGPSの信号を取得するものですが、位置情報だけではなく、GPS衛星に搭載されたセシウムクロックの信号も受信できるのです。早い話が、宇宙から降ってくる10MHzのクロック信号をG-25Uに供給している訳ですね。何とも壮大な話です。
スピーカーはかなり大型です。高さは120センチ以上、重量は75kg以上と堂々たる体躯で、セッティングを変えるにも数人掛かりになります。その他の機器も、まさ重量級という外観。タイガーマス君さんの機器にコンパクトにまとめられたキュートさがあるのに対し、こちらにはへヴィー級選手の威圧感という具合でしょうか。
さて、音についてです。以前お会いした際に、刺激的な高音がお好きだと仰っていたので、そのような音が流れてくるのかと思ったのですが、流れてきたのは厚い中域が特徴的なものでした。おかげで古楽器、ボーカルものなどはなかなかの味わいです。低域、極低域はちょっと不足を感じました。もう少し芯があっても良いかもしれません。そして、高域なのですが、聴くうちにわかってきました。シンバル、もしくはハイハットなどに硬質さがあるのです。通常のシンバルよりも硬質な金属で、薄く、鋭利に作られたものだったら、こんな音がするかもしれないと思わされる音です。それに気がついてやっとtockyさんが仰っていた志向性がわかった気がしました。おかげでシンバルなどの金属系の鳴りものが決めるところは、スパッと気持ちよく決まります。
次に情報量についてですが、これは凄まじいの一言です。細大漏らさずという言葉が浮かびます。低域の強い音楽でも、それに細部がマスクされるということがありません。送り出しの機器の性能、充実したクロックがこれに寄与しているのでしょう。反面、定位感についてはちょっと「あれ?」と思わされるものがあります。音源の存在感が情報量の割に希薄です。またスピーカー背面にかなり空間があるのですが、奥行き感があまり感じられません。低域の問題にも思えますが、スピーカ−間に液晶モニタがあること、左右に堅牢な壁面がありかなりライブな環境であることなどが影響しているのかもしれません。このライブな環境は音量にも影響を与えており、通常求められる程度の音量であれば問題はありませんが、ある一定以上になると音が飽和してしまうところがあります。これらを改善するにはルームチューニングということになると思うのですが、せっかくの都会的なお部屋の雰囲気を壊してしまうことにもなりかねませんし、DVDなどの試聴時には視界の邪魔になってしまいそうにも思えますので、難しいところです。
試聴の中で、tockyさんの音楽の趣味についても伺ったのですが、もともとはJ-popをお聴きで、次第にジャズもお聴きになるようになり、現在の機器の購入が始まったとのことでした。最近、クラシックもお聴きになるようになられたとのことですので、今後さらに音が発展して行くと思われます。今の時点でも、かなり高度なレベルにいらっしゃいますので、どうなってしまうのか期待しつつ、ちょっとした心配も感じたり(笑)。
試聴が終わった後、軽く飲んだのですが、先日、最高体温を更新した風邪から回復したばかりだったからか、途中で体調を崩してしまい、tockyさんにご迷惑をおかけしてしまいました。もうしわけありませんでした。もっと、ゆっくりお話したかったのですが......。
tockyさん、今回は試聴させていただきありがとうございました。次回、当方のシステムをお聴きいただく際には今回の呑みの雪辱をさせていただきますようお願いいたします。
投稿者 黒川鍵司 : 13:14 | コメント (0) | トラックバック
2008年1月 7日
お聴きいただきました。
先週の土曜日、以前、ご自宅にお邪魔した、タイガーマス君さんに当方のシステムをお聴きいただきました。ご感想を記事にしていただいているので、どうぞ、お読みください。
しかし、毎回のことながら、緊張いたしました......。いつまでたっても慣れません......。
投稿者 黒川鍵司 : 20:12 | コメント (0) | トラックバック
2007年12月23日
タイガーマス君さんのご自宅のシステムを聴かせていただきました。
昨日、ファイルウェブのコミュニティで知り合った、タイガーマス君さんのご自宅のシステムを聴かせていただきました。
まずはシステム構成です。
CDトランスポート:SONY CDP-X5000
マスタリングプロセッサー:BEHRINGER DEQ2496
プリアンプ:TRIGON SNOWWHITE
パワー:Acoustic Reality eAR1001-REF
スピーカー:Fostex G1302
機器は非常にコンパクトにまとめられています。ほとんどのものがハーフサイズ(もちろんスピーカーはちがいます)で、かわいらしさがあります。それらがおさめられた木製のラックに似合ってかわいらしさが漂います。なかでも面白いのはプレイヤーのCDP-X5000で、トップローディング式なのですが、そのメカニカルな部分の動きが非常にユニークです。これはCDプレイヤーなのですが、タイガーマス君さんのシステムではトランスポートとして使用されています。
では、DACは? となると思いますが、これが異色で、BEHRINGER DEQ2496を使用されています。これについては多少解説が必要になると思います。基本的にはマスタリング作業に使用される機器で、デジタルイコライジンザーと考えて間違いありません。手動でのイコライジングはもちろん、マイクを使用した室内音響の測定も可能です。そして24bit/96 kHzのAD/DAコンバートが可能という欲張りな機器です。
プリアンプは私も使用している白雪姫(ただしブラック)、パワーアンプはデンマークのAcoustic Reality社製デジタルパワーアンプになります。
さて、試聴です。
オーディオ機器のあるお部屋にご案内いただいた際、音云々以前に、お部屋に開放感が満ちていると思いました。スピーカー背面、左ともベランダへの出入りが可能な窓となっていますし、右側もしきりなどはなしにリヴィングにつながっています。家具も最小限で、空間的な広さを感じます。閉塞感に満ちた私の部屋とは大違いです。これは、私とは正反対の音となるのではないか、まったくの評価不能な音となるのではないかと思ったりもしましたが、全くの杞憂でした。開放感と心地よさを備えた音でした。
いわゆるオーディオファイル的な視点でいえば、定位感、低域のダイナミズム、情報量などは不足しているということになると思いますが、「生活にとけ込むオーディオ」という視点からすると、広がりに満ち、軽やかな低域とカラッとした明るい中高音が、部屋のどこにいても、隣の部屋でも楽しめるオーディオシステムということになります。BGM的と言ってしまうと誤解を招くかもしれません。「音楽が流れていてもうるさく感じず、心地よくおしゃべりが楽しめる」という表現がよいかもしれません。これであれば、奥様とお子様も楽しめるオーディオと言えると思います。
お部屋自体はライブな特性で、スピーカーは壁にぴったりと設置されていますが、私が聴く限りでは嫌なピーク感や低域のブーミーさ、どこかの音域の引っ込みなどは感じられませんでした。これがデジタルイコライジングの力だとすると、その効果には目をみはるものがあるといえるでしょう。ただし、その心地よさ故に、ジャズには「熱さ」の不足を感じますし、オーケストラの大太鼓の一撃がにじんでしまう傾向もあります。これらを解決するとすれば、前述のシステムを収納しているラックをオーディオ専用のものに換え、スピーカーの足下を固め、セッティングを詰めるといったことが有効かもしれません。しかし、それでも、このオーディオシステムの特徴である「心地よさ」が継続するかどうかと言われたら、首を横に振ることになりそうです。
とかなんとか難しいことを書いておりますが、試聴自体は45分くらいで切り上げさせていただき、あとは音楽を聴きながら楽しく過ごさせていただきました。タイガーマス君さんとお話ししながら、合間合間に「きっと、このような音楽を聴きながらであれば、ご家族の会話も弾むだろうなぁ」などと考え、隣のお部屋のオモチャのいっぱい詰まった箱を眺めて微笑ましく思ったり、といったことを繰り返しておりました。
機器の追加について何かありますか? というご質問をいただき、その場でDACとお答えしたのですが、適切な機種が思い浮かびませんでした。帰りの電車の中でApogeeが良いのではないかなぁなどと思いつきました。miniの方なら場所もとらないし、ヘッドホンアンプの代わりにもなるので良いのではないかなぁと思います。
今回の試聴は、オーディオと生活、オーディオと家族の関わりというものを考えさせられました。いわゆるピュアオーディオ視点ではなく、生活に無理なくとけ込むオーディオという観点からすると、タイガーマス君さんのシステムは大正解ということになるのではないかと思います。
クリスマス前のお忙しい時期に訪問してしまい申し訳ございませんでした。にもかかわらず気持ちよくご対応いただいたことに感謝いたします。本当にありがとうございました。
投稿者 黒川鍵司 : 10:08 | コメント (10) | トラックバック
2007年11月24日
オーディオ店で三つほど
- オーディオ店に長い時間いると、店員さんに間違われます。「お手洗いはどこでしょ?」とか「今鳴ってるスピーカーはどれですか?」とかには普通に答えさせていただきます。「もってきたディスクをかけてほしいんだけど」なんてご要望にも、本当の店員さんが忙しそうだと、彼に目配せした上で対応します。かかっているオーディオ機器の感想を述べられる方にも、基本肯定でお付き合いします。さすがに「機材をつなぎ変えてほしい」とか「この価格下がるかなぁ」というご要望には対応できませんが。
- オーストラリアから来たという男性の方と立ち話。外見ですが、私より頭一つでかい。筋肉質のごつめの身体に、鋭い目つき。どう見ても怖い。でも、笑うとちょっと可愛いい。
「アンプは300Bの真空管なんだ。君も300Bは使ってないか?」と尋ねられました。
「いや、300Bはつかってない」
「そりゃそうだよな。今時、真空管なんて使ってる俺は珍しいだろう?」
「私がつかってるのはKT88だよ」
「え?」
「KT88」
「お前も真空管使ってるのか!」と喜んでおられました。 - 店の方と一緒にお話ししていたら、いかにも好々爺という感じのご老人がいらっしゃいました。お店の方の態度がちょっと緊張気味になったのでなんだろうと思いつつ、席を並べてお話ししていました。コーヒーを飲みつつ、たわいもない世間話をしていると、オーディオの話になりました。
「スピーカーはどのようなものをお使いなんですか?」と私が何気なく尋ねました。
「DYNAUDIOのCONSEQUENCEってやつなんですけどね。これがアンプ食いで...... 」
「(たしかあのスピーカーって300万以上だよなと思いつつ)アンプはどのようなものを?」
「FMです」
「FMアコースティックですか?!」
「ええ、モノラルでつかってるので2台ずつ」
「(ちょっと混乱しながら)え? パワーが2台ですよね」
「プリも2台なんですよ。ボリュームの同期が難しいんですがね」
「ぷ、プレイヤーは何を......」
「EIDOS REFERENCEです。ゴールドムンドですね」
「(アクセサリー類も入れたら1億超えるだろうなぁと思いつつ)す、すごいシステムですね......」
「出てくる音は本当に普通の音ですよ......」
といいながらコーヒーをすすっておられる横顔を、羨望の眼差しで見つめつつ、本当のハイエンドの方というのは、説教じみた解説もせず、高圧的でもなく、こういうさり気ない方なんだなぁと思った次第です。
投稿者 黒川鍵司 : 11:37 | コメント (3) | トラックバック
2007年10月28日
オーディオと音楽鑑賞についての立場 − その4
映画を観ていると、たとえ音声がモノラルであっても、画面の人物の動きなどにつれて、それなりに音像定位の移動を感じてしまう。また、ロックのライブでも、クラシックのコンサートでも、観客の耳に入ってくる音は、楽器の直接音よりも、間接的な反射音の方が多いはずだ。さらに前者ではアンプリファイされた音をスピーカーを通して聴かされる場合が多い。にもかかわらず、これに関しても、定位はそれなりに感じられる。
これらは音そのものではなく、視覚情報が音の存在を左右しているといえる。音を聴くはずのコンサート、ライブであっても、実際には音は視覚の補助となっている傾向が強いのだ。
一般的にピュアオーディオと呼ばれる分野では、視覚情報なし、というよりも、音の定位や音像と直接的に関係する視覚情報が存在しない。それゆえ、音のみで、定位、音像、プレゼンスをリアルに作り出そうとする努力が生まれ、結果として、その努力は、音のある一側面を虫眼鏡で拡大するようなものとなっている。
この時点で、すでにオーディオの音は、自然な音とはかけ離れている。オーディオはオーディオ固有の音を有しているのであって、実際の演奏とはことなっているし、互いの優劣を比べるべきものでもない。オーディオの音は、その作成者(メーカー)、聴き手(使い手)双方のエゴの調和であり、それはそれぞれの嗜好にそうものであり、全くの原音忠実再生、完全なる客観性などは成立しない。
では、実際の演奏は、オーディオに何ら寄与しないのか? という疑問がわくが、そのようなことはない。楽器なり、声なりへの一定の基準が聴覚的に確立されていなければ、オーディオの音は、私が考える最低限の原音忠実性すら失い、いったい何の楽器で演奏されているのか、この音楽に込められた情感はなんなのかというものを伝えることすら出来なくなるはずだ
投稿者 黒川鍵司 : 20:40 | コメント (5) | トラックバック
2007年10月13日
どうでもいいこと
本当にどうでもいいのですが、オーディオマシーナのこれを見ると、こやつを思い出すんですよ......。恐るべし、子供の頃の記憶。
投稿者 黒川鍵司 : 13:57 | コメント (4) | トラックバック
2007年10月 9日
オーディオと音楽鑑賞についての立場 − その3
米国のハイエンド・スピーカー・メーカー「ウィルソンオーディオ」の社長、デヴィッド・ウィルソン氏はステレオ・サウンド誌のインタビュー(159号掲載)において、次のように語っている。
世界中に無数のスピーカーメーカーがあります。おもちゃのようなものから非常に素晴らしいものまで。でもどんなスピーカーであっても、、ベートーヴェンはベートーヴェンですし、モーツァルトはモーツァルト、ビーチボーイズはビーチボーイズに聴こえますね。
仮に、再生している音楽に徐々にノイズを加えて行ったとしても、ある閾値までは音楽そのものの鑑賞は可能なはずである。また、ステレオで収録された音楽をモノラルで再生したとしても、その音楽そのものがガラリと様子を変えることはない。音楽全体の概要は、細部を切り捨てていっても存在する。それは聴き手の閾値を完全に下回ってしまわない限りは保証され、そして、その概要がもつ、感動の原動力も保証されるはずである。
故に、例えば夜中の屋台のラジカセから流れてきた女性の歌声に感動することもありえるし、逆に数千万のオーディオセットで奏でられた交響曲の名演でも、その音楽の全体性を破壊してしまっていたら感動を生み出せない結果に終わりえる。
私にとっての原音忠実性とはこのレベルになる。つまり、その音楽の全体概要をできるかぎりくずさないようにするという程度である。悲しい音楽が悲しく聴こえ、楽しい音楽が楽しく聴こえれば原音忠実性というレベルはクリアしていると考える。そして、再生機器が、これがクリアできていれば、人に感動を与えることもありえると考える。つまり、ほとんどの音楽再生機器は、それによって再生された音楽によって人を感動させる可能性を十分に持っていると考えているのだ。
では、それなのに安価な再生装置ではなく、それなりの金額をオーディオに使う意味とは何なのかという疑問がわく。それは、これまで述べてきた細部を味わうためだということになるのだが、これだけではどうにもわかりにくい。
オーディオと比較されるものに車がある。どちらも価格帯が幅広い点が共通点だろうか。オーディオが「記録メディアを再生する」ことが主たる目的なのに対し、車は「移動する」が主たる目的である。タクシー、貨物トラックなのでは「移動させる」がメーンとなるが、これは「移動する」の派生であると言える。
仮に普通運転免許を持つ人物が、東京から京都に車で移動するとする。軽トラックを利用したとしてもたどり着けるだろうし、高級外国車を使ってもたどり着ける。どのような車種を使用するかは、その人物の判断次第となる。ある人物は万が一の事故を考えて安全性が高いとされる車を選ぶかもしれない。別の人物は長距離の運転でも疲れない乗り心地をもとめるかもしれないし、コストパフォーマンスで選ぶかもしれないし、デザインで選ぶかもしれない。それによって価格差は数倍から数百倍になる。
オーディオも同様である。「記録メディアを再生する」だけであれば、ほとんどの機器はその条件を満たしているのである。リップノイズが聴こえるとか、色気があるとか、定位感が抜群であるとか、再生可能な高域が40kHzを超えているとかいったことは、主たる目的からすれば、微々たる差でしかないとさえ言い得る。
冒頭のインタビューの続きでウィルソン氏は次のように述べている。
どのようなスピーカーを求めるのかというのは、リスナーの要求で決まる。私はその中で、非常に高い質を要求する人たちに向けた音の製品を開発しています。
つまり、この微々たる部分にこそ、聴き手の要求が反映される訳であり、それゆえに多様なスピーカー、プレイヤー、アンプが存在し、幅広い価格帯が存在している。
投稿者 黒川鍵司 : 22:25 | コメント (2) | トラックバック
2007年9月30日
オーディオと音楽鑑賞についての立場 − その2
それでは全体とは何かということになる。楽曲まるごと、つまり、クラシックなら1楽章分、ロックやジャズならば1曲ごと、というように簡単にはいかないのは、だれでもわかることだ。一度聴いただけで、数十分に及ぶ楽曲を全体として近くすることは困難だし、短い楽曲の連続の総体が、結果として全体を形成する場合もある。結局のところ、受け手の知覚によってしまうのだ。
さて、全体の把握が受け手の知覚によって定義されるとしたら、一音、ピアノの一鍵、音叉の一定の周波数が全体として存在する場合がありえるかという疑問である。これについては、音楽としての全体に関しては、それらが全体として存在することはありえないと考える。なぜならば、音楽の3要素を一音が備えることはないからだ。ただし、音楽ではない何らかの文脈では、その一音が、結果としてそれまでの文脈の総括的なものとなる可能性は認める。ピアノを前にした数時間の沈黙の後の一音には、その音が鳴らされるまでの数時間が凝縮されている可能性がある。ただし、これは純粋に音楽と呼べるものではない。
つづいて細部についてだが、ある音楽が全体を聴き通したあと、その気に入った部分だけを聴くということは良く発生することである。例えば、マタイ受難曲のCDをプレイヤーにセットし、ある曲数を設定すると、楽曲の気に入っている部分が再生される、もしくはあるポップスのアルバムの数局目だけを繰り返して聴く。このような行為は細部を聴くこととなるだろうか? いや、ちがう。これは単に受け手がその部分を、あるまとまったものとして認識し、選択的に聴いているにすぎない。細部への着目は、例えば弦のボーギングの開始の一点とか、ホールの反響による微細なエコーとかそういったものへの着目である。それは選択的な抜き出しではなく、あるまとまりの中の構成要素への着目である。
なお、聴き手の選択的聴取にたいして、徹底抗戦をおこなうアルバムが存在する。マイク・オールドフィールドの「アマロック」。このアルバムは1曲のみで構成されている。CDプレイヤーにこのCDをセットしたときの表示は1曲 60:05という風になる。このアルバムでは、自分が好きな曲だけを聴くということがほぼ出来ないし、途中から聴き始めようとすれば、恐ろしく長い時間、早送りを押し続ける結果となる。
しかし、このような作成方法のアルバムであっても、細部への着目を妨げることは出来ない。細部と全体は不可分である。
投稿者 黒川鍵司 : 09:59 | コメント (0) | トラックバック
2007年9月24日
オーディオと音楽鑑賞についての立場 − その1
「 音楽は音の有機物なり」
ピンク・フロイドの「狂気」の帯に踊った言葉である。フロイドの作品とは全く関係しない言葉を日本レコード会社が勝手につけたものらしいのだが、この作品の音楽、歌詞、ジャケットの絡み合う統一性に妙に似合っていた。
音というものは音楽の最小単位であると考えられる。例えば音叉によって発生する特定の周波数の空気の振動を、人間は音として認知することが出来る。この音はそれだけでも魅力的であるといえるが、それはあくまで最小単位であって、音楽ではない。これが音楽となるには、よくいわれることだが、次の要素が必要となる。
- 律動(リズム)
- 旋律(メロディ)
- 和声(ハーモニー)
必ずしも、この三要素がすべて必要になるわけではない。原初の音楽は、ほぼリズムのみだったとされている。この時点で音楽はなんらかの動き、それはダンスであったり、農作業であったりするが、それらと不可分のものであったと思われる。動きに統一感を持たせるための音楽であった訳だ。
メロディには、時間の流れを意識する必要性があるように思える。ある音階の連続がメロディとして認知されるには、短期的とはいえ記憶が必要になる。いかに優れたメロディをもつ音楽であっても、どこか0.5秒間分だけを切り出したら、それはメロディではなく、単なる音でしかない。
和声については、事前の構築というものが必要になってしまう。これについてはすでに音楽的知識を有している必要があるとおもわれる。もちろん、和声の発見そのものは、なにかしらの偶然に基づくであろうが、それを楽曲に意図して組み込むには、特定の音と調和する音というものを用意しておく必要が生まれる。
このような要素にちりばめることによって、「音」は有機体たる「音楽」になるわけだが、それが鑑賞においては、どのような意味を持ち得るだろう?
小澤征爾が「オーディオ・マニアはせっかく混ぜ合わせたオーケストラの音を分離しようとつとめる」と言っているらしい(原典が見当たらない)が、確かにそういう一面があることは否めない。上述の件と絡めれば、有機体となった音楽を、解剖して、音の単位に戻してしまおうとしているということになるか。
これにはある種の欲望が関連しているだろう。つまり、何かの細部、内面をみようとするような欲望、幼い男の子が、おもちゃの、動きの源をみつけようとして、そのおもちゃをバラバラに分解してしまうような、欲望だ。このような欲望をもつ人は、当初は複雑な編成をもつ音楽を好むだろう。解剖欲求が過剰になれば、最終的にはなにか一音、音叉なり、ピアノの一鍵なりをならしたときの音響効果を測定と言うことになるだろうか。
私はこのような音楽、いや音の聴き方を否定する気はない。私自身も時、特定のオーディオ機器の評価をするときなど、そのような聴き方をすることがある。では、これは音楽鑑賞と言えるか? といわれると否定する。音楽を有機体だとすると、その一部のみを、とりあげることでは、その有機体を知った、もしくは味わったことにならないと考えるからだ。細部の観察は、全体を味わった後、全体の美しさなりに感動させられた後に行うべきで、最初から分解してしまうのは鑑賞といえないと考えている。
例えば、ある映画において感動を得たとする。その場合、何によって感動させられたかを探るのは、感動の体験よりも後であるのが普通だ。絵画においても、その画材について興味を持たされるのは、その絵に何かしら感じ入ることがあって後なはずで、音楽においてもこの順は同様だと思う。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」に感動したとしたら、その感動の後に、感動の源を探ることになる。この感動は複雑なリズム構成にあるのだろうか? それとも、スラブ的、東洋的とも感じられるメロディにあるのだろうか? あるいは、その時々に表れる和声の妙味なのか? いや、もしかしたらある一音が、といった疑問はずっと後に生じるはずで、きく前からメスをもって解剖手術に臨むわけではないはずだ。
こういう音楽鑑賞を試みるために、鑑賞者には二つのことが求められる。
- 音楽全体を概観でき、それ全体として味わうことの出来ること
- 細部を聴きとろうとしたときに、それが可能であること
上記が、オーディオ機器にも求められる。
投稿者 黒川鍵司 : 12:17 | コメント (2) | トラックバック
2007年9月23日
オーディオと音楽鑑賞についての立場 − 最初に
知り合いに尋ねてみた。
「オーディオ機器を買うとして最大いくらまで払える?」
二十代の彼が答える。
「そうだなぁ、せいぜい15万かなぁ」
あるオーディオ店で馴染みの店員と話してみる。
「いわゆる団塊の世代のオーディオ回帰なんて話があるけど、このセット(定価ベースで100万円弱だった)をポンッと買う人はいないよね?」
「ええ、いないとおもいます。30万前後で、と考えてらっしゃる方がほとんどです」
どちらも至極まっとうな金銭感覚だと思う。そして自分の前では、定価ベースで200万円くらいのセットで音楽が再生されている。いったい? と思う。これほどお金をかける必要があったのか? もちろん、オーディオファイルと呼ばれる人たちには、数千万〜億単位の金額をつぎ込む人がいるのは知っているが、普通の金銭感覚からずれていることは間違いないように思える。
そして、逆に質問を受ける。
「なんでそんなにオーディオにお金かけるの?」
自分の中の答えは、えらく抽象的でまとまりがなく、答えに窮してしまう。結局、自分でもわかっていないのだ。
というわけで、自分のオーディオと音楽鑑賞の立場をまとめてみようと思い立った。別に公開する必要なんてないのだろうけど、せっかくブログという個人と密接なメディアを利用できるのだから、ここに書いてみたいと思う。
投稿者 黒川鍵司 : 20:06 | コメント (6) | トラックバック
2007年6月25日
試聴2題
先週の土曜日、Living musicさんに新作スピーカーのS-2C-GSを、そしてWaldstimmeさんのパワーアンプ、オーディオ用のタップ変更後の音をそれぞれ試聴に伺った。前者にはWaldstimmeさんにもご同行いただき、昼食もご一緒いただいた。Waldstimmeさんありがとうございました。
さて、試聴レビューである。
まず、S-2C-GS。スペック、製品特徴などはこちらを確認いただきたい。使用されたプレイヤーはCECのCD3300R、同AMP3300Rである。
以前も同じことを述べた気がするが、価格からすると十分以上である。中域〜高域はもちろん、低域も下手なトールボーイ型スピーカーよりも締まった実在感のある鳴りで、目をつぶって聴くとブックシェルフであることを忘れてしまうレベルである。「ハイエンドショウ2007春」では、多少、ブミーさも感じたのだが、10畳程度の空間での今回の試聴においてはそれが全くなく、エンクロージャーが鳴ってしまうこともなく、音離れも良い。試しに(というより意地悪で)、Ashraの「@shra」などもかけてみたのだが、バスドラの踏み具合まで、うまく表現してしまったのには、いささか驚かされた。オーケストラでのステージの実体感も良好で、実売価格10万円以下というのがにわかには信じられなくなったりもする。内部配線へのこだわりや、バスレフポートへの気配りなどが実を結んでの音なのだと思うが、調整者の耳の良さを改めて実感させられる試聴であった。もちろん50万円以上のブックシェルフスピーカーにかなうものではないが、その定価の倍程度のスピーカーとはやり合えるレベルだと思う。
なお、全体として、多少明るめの傾向が感じられたが、これはプレイヤー、アンプの組み合わせとラックの調整具合によるかもしれないとの説明を受けた。また、このスピーカーが私にとって、最もよいと思える音で鳴ってくれたのは、同社のオリジナル・アナログプレーヤーとCECのフォノアンプにAMP3300Rという組み合わせでであった。これらを考えるに、プレイヤー類などをおごれば、さらに高いパフォーマンスを発揮してくれるのではないだろうか。一度、自室で聴いてみたくも思う。
最後に、例によってだが見た目の問題が残る。スピーカーとしては普通のルックスだと思うのだが、それゆえに凡庸に思えてしまう。これだけ優れた音なのだから、もう少し見た目が洗練されれば、ぐっと引きつけられる人が増えると思うのだが.......。音と見た目、そしてコストパフォーマンスのすべてを満たすというのは、私などが考えるよりも遥かに難しいことなのだろうが、今一歩の洗練を望みたいところである。
次にWaldstimmeさんの所の音にうつる。システムについては、ご本人のブログをご確認いただきたい。前回の時点でもかなりのレベルの音と思えたので、今回の変化については興味が湧くとともに、ちょっとした憂慮もあった。一点の変化が全体をくずしてしまうのではないかという心配である。さて、杞憂におわるか、それとも......。
まず、感じたのは低音制動力がアップしたこと。以前はバックグラウンドとして、ある意味曖昧に後方に広がっていた低音が、かなり明確になり、前に出てくる。交響的な演奏での大太鼓の一撃も、身体に響くようになった。また、全体のスピードもあがり、ジャズやロックもソースへの忠実さをともなって、聴ける音となっている。
その低音の制動力の強化に伴うのだろうが、定位感も明確に向上している。SPKの「Alocasia Metallica」でボーカル(コーラス?)がスピーカー位置よりもずっと上方に定位したのには驚きを禁じ得なかった。これには電源系の変更も寄与してしているそうだ。
と良いこと尽くめのように書いてしまうのだが、そこにはオーディオ普遍の法則「何かを得ると何かを失う」が潜んでいる。定位感、音の制動力があがった分、全体の情報量が不足して感じられるのである。前回においては、ある種の曖昧さ、甘さによって埋められていた隙間が、浮き上がってしまうのだ。
これを改善するには、音の情報量を上げることとなるのだろうが、徒に高情報量を誇るプレイヤ−を導入したとしたら、プリアンプ、DACなどがボトルネックになることもありえる。それらに問題がなくても、スピーカーが力不足ということも起こりえてしまう。と、このように書いていても、私には何か解決方法を提案することができない。以上の点については、ご本人も感じてらっしゃる点だそうなので、何かしらの解決策を見いだされると思う。どのような手段をとられるのか、それを密かに楽しみにしている。
なお、上記を読んでしまうと以前の艶がなくなり、硬質な音となったように感じられてしまうかもしれない。もちろん、そのようなことはなく、艶と広がりは残っている。あくまで、前回と比較して、霧が晴れ、見通しが良くなったということであって、何もかもがかわってしまった訳ではない。
以上、タイプの異なる音を聴かせていただくと、やはり、オーディオの振幅の大きさを感じる。そして、自分の目指すところはどこなのか? という疑問が自然とわいてくる。それに加えて、音楽を聴く楽しさはどこに求められるべきなのか、音楽への感動をどのようにオーディオに還元し、そしてその逆の流れを得るにはどうあるべきなのか、と取り留めなく疑問が湧いてくる。果たして.......。
投稿者 黒川鍵司 : 22:01 | コメント (2) | トラックバック
2007年5月21日
KRYNAさんに伺いました。
先日のハイエンドショウで気になったELECTROCOMPANIET。見た目の格好よさに惹かれまくったのですが、ショウではサイレントコーナーだったので、音が聴けなかったのです。せっかく、あの姿を見たのですから、音が聴きたくなるのが人情というものです。というわけで、昨日、KRYNAさんに伺うことにしました。
町田ということだったのですが、私の家からは結構な遠さでして、いろいろあって片道2時間以上かかってしまいました。また、最寄り駅となっている成瀬駅からも、本気で歩いて15分程度の距離でして、お店が目に入ったときには「や、や、やっとついた......。」と心の中でつぶやきましたとも。
さて、そんな思いをしつつ、お店のドアを開けると、一見のお客にすぎない私を、笑顔で迎えてくださいました。社長さんからも「ようこそおいでいただきました」と声をかけていただき、ハイエンドショウで製品を説明していただいた女性の方(後で知ったのですが、社長さんの娘さんだそうです)からも声をかけていただきました。「ELECTROCOMPANIETを聴きに参りました」とお伝えすると、二階に案内され、店長の鈴木さんにご対応いただきました。
まずはELECTROCOMPANIETの三点セット+KRYNAさんのオリジナルスピーカー(D502だったかな?)に加えて、やはりオリジナルのDACを加えた構成で聴かせていただきました。音の傾向は低音に重点を置いたピラミッドバランスで、低音の実体感が濃密でパワーがあります。しかし、だからといって、他の音域がマスクされることはなく、華やかさもあり、音の立ち上がりもスピーディー。低音が強いスピーカーにありがちな濁りも感じませんでした。こう書いてしまうと「ロック向け?」と思われてしまいそうですが、ピアノにも一音一音の沈み込みがしっかり表現されていたので、クラシックやジャズもかなりいけるオールラウンドさがあります。ただこれが、ELECTROCOMPANIETのカラーなのか、それともオリジナルのスピーカー+DACのカラーなのかがちょっと判断がつきません。
というわけで、次に、DACを外していただき、ELECTROCOMPANIETの三点セット+オリジナルスピーカーでお聴かせいただきました。先ほどと比べると、基本的な方向性がまるっきりかわってしまうということはないのですが、多少温度感が下がる気がしました。音の立ち上がりの良さや濃密さ、濁りのない雰囲気は継続しているのですが、上の方で角が取れたような落ち着きが漂います。北欧メーカーというのが納得できる気がする音で、自宅でゆったりと聴くにはこちらの方がよいかもしれません。これが、ELECTROCOMPANIETのプレイヤーの音なのでしょうね。大人なプレイヤーという感じでしょうか。
その他にもKRYNAさんオリジナルのアンプなどもお聴かせいただきました。真空管のモノブロックのパワーアンプと組み合わせで、離れたところに黒いボックスが二つ並べておいてありました。なんでパワーアンプが4つも? とおもったらプリアンプとのこと。ボリュームなどがついていないボックスの方は電源部だったのです。その姿だけでも、かなりこだわる方向けの製品、玄人向けということが伺える製品でした。
また、オリジナルのアクセサリーでは吸音材のKQが気になりました。吸音材というと大掛かりなものが多く、値段も高いものが多い訳ですが、それらに比べると、かなりリーズナブルで、大げさとならない製品でした。惜しいなぁと思ったのは色が白しかないことでしょうか。ほかの色もあれば部屋に合わせて選べ、部屋の雰囲気を壊さない吸音材になるのではないかなぁ。そのほかのアクセサリー類も、使いどころがハマれば、かなり効果的ではないかと思えるものもいくつかありました。
あと一つ気になるプリアンプがあったのですが、まあ、それは内緒ということで。
扱っている製品にしろ、音へのこだわりかたにしろ、なかなかユニークな視点とセンスのあるお店だと思いました。こういうお店がもっと増えると日本のオーディオも、もっと面白くなりそうです。
あ、そうそう、これからいってみようという方へなのですが、徒歩でいかれる場合は、成瀬駅から歩くよりも、町田駅からバスを利用された方がよいとのことでした。バス停がお店の前にあるので、私のように必死に歩く必要はないそうです(笑)。
投稿者 黒川鍵司 : 22:29 | コメント (8) | トラックバック
2007年5月 7日
ハイエンドショウ
この週末に有楽町にて開かれるハイエンドショウトウキョウに12日(土)、もしくは13日(日)の午後に行く予定です。どなたか同行していただける方はいらっしゃいませんか? 男女不問オーディオ経験不問です。いや、できれば女性の方がいいか。すいません、半分冗談です(半分本気)。
どうぞ、こちらのエントリーにコメントをいただくか、メールをいただければ幸いです。
実はLiving Musicさんからメールをいただいたんです。何でも新しいコンパクトスピーカーを展示されるのだそうで。それが目当てで行くというところなんですが、他のメーカーさんの展示もなかなか良いのではないかなぁと思います。ハイエンドと名がついていますが、去年行ったときは非常に身近さを感じるショーでした。気後れ不要であります。
投稿者 黒川鍵司 : 21:41 | コメント (7) | トラックバック
2007年2月18日
またもやオーディオのことを振り返ってみると
久々にHD580をSA-17S1のヘッドホン端子に差し込んで聴いております。ゴーヤさんからいただいた電源ケーブルは確かに効いていて、更に静けさが強調される様になっています。
言われて気がつくことがずいぶんあります。例えばうぃんさんに「家にスピーカーが4組もあるのですね」と言われて、初めて、この狭い家にそんなにあってどうすんだろうと言うことに気がついたりとか。昨日も「オーディオ始めて2年くらいだよね」と尋ねられて、心の中で走馬灯が回りました。
それなりにオーディオといえる機器を買ったのが、このブログで確認すると2005年1月5日(記事)でした。今読んでみると、なにか初々しさが漂う記事となっています。このときの金額はプレイヤーとヘッドホンあわせても4.5万円程度でした。iPod一台にかなうかどうかの値段でしたが、それでも高価に思えたものです。それにiPodで聴く音とは別世界でしたし。記録を付けていると、こういうことが鮮明に思い出せていいものですね。
今は定価ベースで100万円を超えてるんですよね。20倍。2年という期間は、こういうじっくりやって行く趣味にしては、早いペースなんでしょうが、本人にしてみればずいぶん長かった様にも思えます。これからも、機器を追加、もしくは変更していくのでしょうけども、最初の頃の驚きは忘れずにいたいなぁとおもったり。
投稿者 黒川鍵司 : 22:35 | コメント (17) | トラックバック
2006年10月20日
聴いてもらいました。
先週末、大学時代の友人を招きました。久々にあいましょうって奴なんですが、メーンはオーディオを聴いてもらう事でした。かなり緊張したのですが、悪い印象はもたれなかったようです。かけたCDを一枚ご購入になったとの事でしたので。
でも、「俺にはここまでお金かけれないなぁ」とおっしゃってました。せいぜい3〜4万だと。やっぱり、それくらいが普通なんでしょうね。生活全体のバランスを考えたら妥当な線だと思います。自分のバランスが崩れてるなぁと再認識しました。
投稿者 黒川鍵司 : 21:39 | コメント (10) | トラックバック
2006年10月 1日
三度目の― Living Music
前々回、前回と試聴させていただいたLiving Musicさんに、またも伺ってきました。MUSE S-1,S-2販売開始となり、チェリー付き板のS-1C,S-2Cも完成したという、お知らせをいただいてというわけなのです。いや、実際には居心地が良いので理由を見つけて伺ってしまったというのが本音でしょう。
さて、3度目のインプレッションです。
■MUSE S-1
前回も外観以外は合格点としたS-1ですが、今回は更に良くなっている様に感じられました。音の滑舌の良さと滑らかさが両立しており、高低のバランスが良く、オールマイティさを備えています。その滑らかさ、バランスの良さのお陰なのだと思いますが、スピーカーの前15cmにいっても、ツィーターとウーハーの分離を感じさせませんでした。
外観については通常のもの(ナチュラルカラー)とチェリー仕様できたことで、選択の幅は広がったと思いますが、やはり今一歩というところでしょうか。QUADのLシリーズのような仕上げだったら......と思ってしまいますが、そうすると価格が上がってしまうでしょうね。
■MUSE S-2
以前は荒々しく感じられた部分がスケール感の大きさに変わっていました。何か変更を加えられたのかと思ったのですが、そうではなく「A&Vフェスタ2006」出展時の鳴らしこみが効いているようだとのことでした。「コム・デ・ギャルソン」の1,2曲目の低音でも箱なりなどはなく余裕を感じさせます。この低音、鳴らすだけならできる小型スピーカーはかなりあるのですが、しっかり音として、団子状にも鳴らずに伝えられるスピーカーは結構少ない様に感じます。S-2はその少ないスピーカーの一つと言えるでしょう。今回は意地悪のつもりでストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」と「火の鳥」なども聴いてもみたのですが、難なくこなしてしまいました。スケール感もあり、音楽のレイヤーというか奥行きも上手く表現していました。しかし、S-2では、クラシックでは上手く行ってもポピュラーはどうだろうという点があったのでイーグルスの「ホテル・カルフォルニア」も聴いてみたのですが、これも自然で、ロックらしい熱さも感じさせてくれました。
もちろん、50万〜数百万のスピーカーのそれに匹敵するなんてことはありませんが、20万円前後のトールボーイなどとはいい勝負をしてくれそうに思います。
いつもの通り傍若無人に試聴をさせていただきつつ、企業秘密だろうと思いながらも、チューニングについても質問させていただきました。もちろん、ここであかせる内容ではないのですが、まとめると僅かなことでも大きく音が変わるということになります。私の様に聴いて文句をいうだけの人間は楽なものだなぁと反省もしたりして。
今のところ「A&Vフェスタ」のような催しがない限り、Living Musicさんでしか試聴出来ないスピーカーな訳ですが、試聴するだけの価値は十分あると言えます。ブックシェルフスピーカーの購入を検討されている方は一度、ご予約をされてみることをお薦めします。
投稿者 黒川鍵司 : 10:47 | コメント (5) | トラックバック
2006年9月23日
お二人のオーディオを聴かせていただいて
2週に渡り、ゴーヤさん、Waldstimmeさんのオーディオシステムをお聴かせいただきました。音についてのレポートは前々回、前回の記事を読んでいただくとして、それ以外のことを書いておきたいと思います。
- 緊張しました
誰かに合うときに緊張するということはあまりないのですが、今回はオーディオシステムを聴かせていただいて、それを記事にするということが、かなりプレッシャーなのでしょう。自室を出る前から、唇が乾いてしょうがなく、心の中では、なにかの試合にでも向かうときのように、ソワソワとした気分と、それを押さえ込もうとする意思がせめぎあっておりました。この緊張は、システムの音の評価メモを書き終えるまで続きました。 - やっぱり「音は人なり」なんですね
ご本人のバックボーンみたいなものが、音に出るのだなぁと思いました。それぞれに、ご本人の感性、ご趣味、知識、その他諸々が、外観も含めたシステム選び、音、お部屋の雰囲気に確実に反映していました。 - 音の評価
お二人のシステムに優劣などは感じられません。あるのは個性です。その個性を私がどう見たかというのが、あの評価記事です。突き詰めて言ってしまうと、嫌いな言葉ですが「みんな違ってみんないい」です。問題はどこまでバランスをとりつつ音を詰めて行くかなのでしょう。 - そして思うこと
まずは自分のシステムを見直しました。そして、いただいた壁コンの交換、スピーカーケーブルの変更、スピーカーの足元の見直しetc。そして、変更はあっても自分らしい、自分の好きな音とその周りの雰囲気を造って行きたいです。
■追記
壁コン、付け替え工事終わりました。聴き比べができないので、確実性は低いのですが、とりあえず心配したバランスの崩れなどはありません。感じるのは静けさが増したということでしょうか。無音の部分、定位する音と音の間の静けさが増したような気がするのです。いままで頑に拒んできたのですが、これならもっと先にやっておけば良かったですね。ここままで交換をお進めいただいた皆さん、そして機会をつくってくれたWaldstimmeさんに感謝いたします。
投稿者 黒川鍵司 : 14:45 | コメント (6) | トラックバック
2006年9月18日
Waldstimmeさんのお家にお邪魔してきました
こんなに間を詰めて、ご自宅システム訪問をするとは思ってもみませんでしたが、「壁コンセントが待っている」とのお話をいただき、伺ってまいりました。相変わらず厚顔ですね、私って。
さて、システムの構成です。
- CDプレイヤー:Arcam CD82T
- DAC:TransI/V AQUA
- プリアンプ:Counterpont SA5.1
- パワーアンプ:Meixing MC805AA
- スピーカー:DALI RoyalTower(サランネットありの状態)
で、早速、音のお話です。
先日のゴーヤさんのところの音とは別の傾向です。ゴーヤさんのところの音をミニマリズムとするなら、Waldstimmeさんのところの音はマニエリスム。それも暖色系の装飾を感じさせる音です。例えば、ビブラフォンの音にしても、金属系の痛さや突抜よりも、甘い艶が前面に出てきます。定位感、指向性よりも、空気感と音場感が重視されているようで、音が濃密に広がるのを感じます。ソースに正直か? といわれると、そうではないと言えると思うのですが、ホールトーン的というか、場所の雰囲気を感じさせてくれます。滑舌が良い音ではないのですが、余韻に表情を感じさせる。リバーブが非常に活きる色っぽい音です。
これだけだと、もったりした音を思いうかべてしまいますが、Towerの大きさとお部屋の大きさの関係からエアボリュームが大きく、濃密だけど、まとわりつかない音となっています。スピーカーからリスニングポイントまでの距離もそれなりにあるので、箱庭と通常のリスニングの間のような感覚を味わいました。いわゆる、ニアフィールドとは少し異なる音です。ミニチュアの楽団が並ぶというよりも、本当のコンサートはこんな雰囲気じゃないかと頭の中で思う音に近い感じです。この「それらしい雰囲気をつくる」という部分に関しては好みが別れるところでしょうし、雰囲気作りに箱鳴りを利用している部分もあるので、極端に低い音が鳴ると、雰囲気が台無しになることもあります。
通常の低音の場合は、目に見えるという形ではなく、広がり、もしくはバックグラウンドとして存在しています。そのお陰もあって、奥行きが深く、そして、その深さを意識させる傾向にあります。背面バスレフという製もあるかもしれません。また、お部屋を斜めに使用してらっしゃるので、物理的に奥行きを作ることができているというのも大きな要素でしょう。
お預かりものというソナス・ファベールのブックシェルフも聴かせていただきました。もちろん、大きさから想像がつく通り、Towerに比べると低音が不足なのですが、弦と声のきれいさで、そんなことどうでも良くなりました。評価とかそういったことがどうでも良くなる音です。サランネットを外しても、どこかに品を感じさせる見た目もそのような気にさせる要素を含んでいる様に思います。
また、ウイスキー樽の木材を利用した8cmのフルレンジスピーカーも聴く機会をいただいたのですが、これはDALIともソナスとも違って歯切れの良い音。情報量、高低域の伸びという部分では劣っていますが、大きさからは信じられない良い音でした。スピード感のあるジャズなどはこちらのほうが良いでしょうね。
というような試聴の簡単なメモを書いてから、ワインをごちそうになりました。そして、話題はオーディオから音楽、現代思想、文学へと。前回同様に幅広くお話をお聞きすることができました。オーディオに凝る方というのは、それだけでないバックボーンをお持ちの方が多いような気がするなぁ、などと思ってみたりしました。
駅まで送っていただく道すがらもお話におつきあいいただいてしまいました。そして、電車の中では、前に座ったお姉さんのタイトなスカートから出た脚にまたしても魅了されつつ眠ってしまい、気がつけば、最寄り駅でありました。
今回も自分のシステムの課題を思い知らされた気がいたします。長時間に渡り、試聴させていただいたWaldstimmeさんに感謝いたします。そして、壁コンセントをお譲りいただいたことにも......。そして、土曜日に電気屋さんがくることになりました。ああ、また、こうして.......。
投稿者 黒川鍵司 : 19:37 | コメント (9) | トラックバック
2006年9月10日
日帰り試聴旅行
昨日、新幹線にのって、ちょっと遠出してまいりました。上越新幹線に乗るのは初めてだったのですが、2階席だったせいもあるのでしょうか。大阪や名古屋に行くときに比べるとちょっと揺れがありました。トンネルが多いのもちょっとマイナスでした。でも、やはり新幹線。他の列車に比べれば格段に静か。そして私の大好きなスムースなスピード感。これこそ日本が誇る最高のチルアウト空間だと思うのですがいかがでありましょう。iPodはもちろんAshraの「@shra」を奏でておりました(ジャケット参照)。
さて、何で新幹線に乗ったのかといいますと、ゴーヤさんのオーディオシステムを聴かせていただきに行ったのであります。
発端はブログ上の売り言葉に買い言葉。軽い気持ちで「いつでも聴きに行きますよ」と書き込んだら、ゴーヤさんから承諾のメールが来てしまったという次第。本当は8月中にと思っていたのですが、なんだかんだで昨日になってしまいました。
お店での試聴は、それなりの回数してきましたが、どなたかのご自宅というのは初めての体験です。最近、自宅のオーディオシステムについてはそれなりに満足してしまっていて、なにかブレイクスルーになる体験が欲しいと思っていたのですが、はてさて、今回の試聴がそのようになりますか否か。お楽しみお楽しみ。
改札でお出迎えいただき、さっそくオーディオのあるお部屋に。黒いスピーカーが「2001年宇宙の旅」のモノリスのようにそびえ立っておりました。
さて、まずはシステム構成です。
- CDプレイヤー:LINN MAJIK
- プリメインアンプ:オクターブ V70(電源ユニットのブラックボックス使用)
- スピーカー:THIEL CS2.4
- 電源ユニット:信濃電気 HSRー1000
我が家に比べると豪華の一言。そして全体的にミニマルなスッキリとした雰囲気が漂っています。試聴については、ゴーヤさんが選ばれたCDと私が持参したCD双方をかけていただきました。
ということで音についてレポートです。
真空管のアンプということで、ノスタルジックな甘い音かと思っていたのですが、そんなことはなく、澄んだ音を聴かせてくれます。ブラインドで聴かされたら、真空管を使ったシステムとは思わないでしょう。
全体の傾向として、非常に色づけが少ない様に思いました。これは、オールマイティさを備えたオーディオシステムとしては理想的な方向だと思いますが、一聴しただけたと、つかみ所がなく思うかもしません。弛緩させるタイプの音でもないですし、緊張を強いる音でもない。ごり押ししてくるわけでもないし、かといってBGM的でもない。のれるけれど、陶酔ではない。考え過ぎの人ためのものでもなく、何も考えない人のためのものでもないオーディオといえば良いのでしょうか。
そんな中で重点が置かれているのだろうなぁと思えたのが、声と低音域でした。
女性ボーカルは唇の動き、艶が感じられます。この辺りは真空管的と言えるかもしれません。低音の実在感もかなりのもので、アコースティックベースの指が見え、極低音でも指向性を感じるくらい。
その指向性に関連すると思うのですが、定位は非常に自然。頭の位置を多少前後左右にずらしても、ふらつくようなことはありません。この辺りが視覚化に結びついているのでしょう。部屋全体が音に包まれるというよりも、音が見える感じなので、箱庭的と言えるのかもしれませんが、スピーカーのサイズが、それなりに大きいこともあって小編成のジャズ、もしくはボーカルものだと実物大に感じられます。ただし、このスピーカーのサイズに比べて、リスニングポイントが近いせいか、中高音と低音が若干分離する瞬間も感じられました。
音場についてですが、前後、上下も上手く広がります。これも濃密というわけではなく、あっさりでもなく、さらっと自然。音の強弱、とくに弱音表現の上手さ、滑舌の良さ、静寂感の上手さなどが、全体的な自然さにつながっているのだと思います。
このシステムを聴いていると、ゴーヤさんが「クオードのコンデンサー型」に興味を示されるのが、よくわかります。カラーレーションの少なさ、音場の自然さ、定位の明確さといった部分は、コンデンサー型に共通すると言えると思います。
私はカラーレーションのない音を自宅のシステムに求めているタイプではありませんが、ゴーヤさんのシステムをお聴きして、その美点にも共感できるような気がしました。
2時間程の試聴は不思議な気分でした。ゴーヤさんもおっしゃっていましたが、お店でもない場所で、男性二人が、黙ってスピーカーから流れる音楽を聴いているというのは確かに奇妙な図式ですね(笑)。
その後は、アットホームな雰囲気の焼き鳥屋さんで乾杯。オーディオへの考え方や、各ジャンルの音楽への入り込んだきっかけ、デザインと認知心理学などなど、あんなに幅広く楽しく話ができたのは久しぶりで、本当に時間を忘れてしまいました。
そうは言ってもタイムリミットはやってきて、お店を出ることになりました。そして、新幹線の改札までご案内いただき、東京方面最終の新幹線に。隣に座ったお姉さんの多少赤らんだ脚に魅了され手いるうちに、酔いが回って眠ってしまったようで、気がつくと目的の駅の手前でした。それからは終電を乗り継いで、自宅へ。微妙に午前様になってしまいましたが、なんとか日帰り試聴旅行を無事終えることができました。
今回は貴重な体験ができました。個人の方が、ご自身の音を求めて構築したオーディオシステムに触れ、そしてそのシステムを作った人と詳しくお話できるなんて状況はなかなか得られないでしょう。このような機会を与えて下さったゴーヤさんに感謝いたします。
そして、自宅のオーディオにもうちょっと手を加えてみようかと思います。さーて何から始めようかな。
投稿者 黒川鍵司 : 11:04 | コメント (7) | トラックバック
2006年9月 4日
再訪― Living Music
先週の土曜日、Living Musicさんに再度伺いました。なんで、こんな短期間で二回も伺ったかと申しますと、同店の方から次のようなメールをいただいたからなのです。
さて、本日、再度S-2,S-1のチューニングに取り組みました。
結果は、我ながら驚くほど、音質クオリティが上がりました。もう一度、試聴の機会を是非、賜りたくお願いいたします。
こんどは、4301PBにも、勝っていると自負しております。
是非、購入予定のお友達とご一緒して、雪辱させて
いただきたく、お願いいたします。
こういうメールをいただいて聴きに行かないわけにはいかないではないですか。本気モードで伺うことにしました。購入予定の友人はあいにく行くことができなかったのですが、うぃんさんにご一緒いただくことができました。いつも、おつきあいいただきありがとうございます。
秋葉原で待ち合わせると、まずは真空管のお店に。さっそく、うぃんさんがお買い上げ。相変わらずの、買いっぷりの良さに舌を巻く次第。私はJJの球を使っていますが、うぃんさんは別のブランドをチョイス。きっと私の家とはまた違った良い音を奏でてくれることでしょう。
そして、昼食を終えてLiving Musicさんへ。かなり長時間に渡って試聴させていただきました。感想は.......うぃんさんの感想と同様です。で、終わっちゃいけませんね。ちょっと書いてみます。
■六本木工学研究所 MUSE S-1
前回は地味なイメージがありました。今回は目を見張る変わり様です。もちろん、もともとのオールマイティさは備えていますが、表現力が格段に上がっていると感じました。高域は柔らかめで、低音は緩やかなウーハーが支配的な音。優しさがあるのですが、音離れが良く、ボーカルの発音がハッキリとして、前に出ます。うぃんさんがもってらした、カーペンターズのベスト盤は、これ以上ないのではないかと思える程の似合いっぷり。ノラ・ジョーンズの声は、単にハスキーなだけでなく潤いが感じられました。サイズと価格を考えると、かなりの水準だと思います。弱点をあげるとすると、その外見くらいでしょうか。もう少しあか抜けたら、本当のベストになると思います。
■六本木工学研究所 MUSE S-2
荒々しさすら感じたMUSE S-2も、少し穏やかになっています。MUSE S-1とは対照的にこちらは、ツィーターが支配的。全体的な印象は前回とかわらず、やはりクラシックは上手いですね。広がりもこちらの方が感じられます。でも、オールマイティさでは劣るというところがあります。クラシックならS-2、ポップやボーカルものならS-1という使い分けでしょうかね。
で、ORAN4301なのですが、ピアノブラックも含めてMUSEにかすみぎみでした。でも、コンパクトさと見た目には引かれるものがありますね。あまり空間を作れない友人のためにはやっぱりこちらかなぁ、でも、音ならMUSE S-1ですね。
う〜む、試聴に行って更に悩ましくなってしまいました(笑)。
投稿者 黒川鍵司 : 21:52 | コメント (4) | トラックバック
2006年8月19日
Living Music
昨日は神田須田町のLiving Musicさんにスピーカーの試聴に伺いました。須田町といえば、戦火を逃れた奇跡の三角地帯の方に馴染みがあるのですが、こちらはそちら側ではなく1丁目。うなぎの「きくかわ」さんがあるので、美味しそうな匂いが漂っていたりします。
周囲はまるっきりオフィス街で、Living Musicさんのあるビルもオフィスビルでした。到着してエレベータで4階に向かいました。エレベータの扉が開くと廊下も何もなく、いきなり店舗の中。心の準備ができていなかったので、ちょっと戸惑ってしまいました(笑)。
さて、今回の試聴ですが、いくつか小型のスピーカーを聴かせていただきました。試聴スペースは、こじんまりとしていながらも、居心地の良く(ということは音の響きがちょうどいいということなのでしょう)、コーヒーをいただきつつ楽しませていただきました。インプレッションは下記の通りです。
■六本木工学研究所 MUSE S-2
いつも通り、「コム・デ・ギャルソン」を聴いてみると、大きさに似合わず、かなり力強い音。アタックが非常に強く感じられる音作りで、ちょっと荒々しすぎるかなぁと思ったのですが、マタイ受難曲をかけてみると、それが一変。声の重なりをかなり上手に、奇麗に描き分けてくれました。クラシック向けというご説明をいただいたのですが、確かにそうかもしれないと思いました。
しかし、曲によって表情がコロっと変わってしまうのはオーディオ的に面白いと思うのですが、オールマイティを求める人にはちょっと向かない可能性があるかと思います。はまる人ははまる音というところでしょうか。
■六本木工学研究所 MUSE S-1
大きさなどはMUSE S-2と変わらないのですが、スピーカーユニットが違っていて、音の傾向が全く違います。こちらの方がコンパクトにまとめているという印象を抱きました。MUSE S-2でクラシックを聴いてしまうのと、こちらにはちょっと物足りなさを感じたりもしますが、自然な感じです。ポップなものも、クラシックもという方にはこちらの方が良いかもしれません。
■Highland Audio ORAN4301(ピアノブラック)
かなり小型のスピーカーですが、音はなかなか。小さいスピーカーにありがちな低音での箱鳴りなどもなく、しっかりと音楽を味あわせてくれます。全体として上品さがあり、クラシックも満足に聴くことができました。弦楽器の表現力は、この大きさではトップクラスだろうと感じました。もちろんポップなものも十分に対応。非常に良いと思ったのですが、通常のもの( チェリーウッド、ウォールナット)に比べると定価で2万円近く高いのです。塗りだけの違いで? と思ったのですが、バッフルの厚さも、エンクロージャーの形状も異なりました。これがどのように音に影響を与えているのかは、通常のものを聴いてみるとわかりました。
■Highland Audio ORAN4301(ウォールナット)
良い音には間違いありません。全体的な傾向はピアノブラックのものと変わりません。しかし、ピアノブラック後に聴いてみると、高域の澄み具合が今一歩足りなく感じられました。もし、価格的に許されるのであれば、ピアノブラックを買った方が長い間楽しめそうに思えますが、2万円分の差があるか? と言われると悩ましいところがあります。たしかにバッフル、エンクロージャーの仕上げにしろ、塗りにしろ、丹念ですので、工業的に考えると「ある」ということになると思います。しかし、純粋に音楽を聴くということを考えると、2万円あればCDが10枚程度買えてしまいます。これをどう考えるかと言うところでしょうか。
なかなか一つに決めがたいスピーカーたちでした。コストパフォーマンスからするとORAN4301の通常タイプかなぁ。う〜ん、もう少し考えたいところですね。え? またスピーカーを買うのかって? いや、今回は私が使用するのではなくて、代理で機種選定を行っているだけなんですよ。まあ、それにかこつけて以前から気になっていたショップさんに伺ってみたというところであります。
スピーカー以外で面白いと思ったのは、お薦めとして10万円台のコンポの組み合わせがいくつかあることでした。以前作った質問で25万円の組み合わせを作るというのがありましたが、その価格でも結構苦戦します。ですから、10万円台でいくつかのバラエティーのある組み合わせ提供するというのは、なかなか難しいだろうなぁと思ったりしました。
なお、こちらのLiving Musicさんは完全予約制となっています。ふらりと立ち寄るとはいきませんが、じっくり試聴したいという方には、予約するだけの価値があると思います。

