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2010年1月26日

バロンに関する覚書

 テリー・ギリアムは、いつもどこかでタブーに挑みかかる姿勢が映画に見えるが、「バロン」においては、一見それが感じられない。夢がすべて絶望に終わる「ブラジル」と、夢がすべて叶う「バロン」。そんな単純な図式だけなのだろうか? どうも、そうは思えなかったりする。

 そこで、その原作であろう「ほら吹き男爵の冒険」を振り返ると、なんどか映画がされている。その初回はナチス政権下のドイツでの映画化だ。映画化の年は1943年、戦争のまっさなかだ。そんなときに、このような映画が作られていたのは、ゲッペルスの映画に対する態度の表れかもしれない。

 そこで、ギリアムの「バロン」に戻ろう。冒頭、トルコ軍に包囲され、半壊しつつある劇場で演劇がかかっている。もちろん、出し物は「ほら吹き男爵の冒険」だ。43年の映画化を思い起こさせはしないだろうか? とすると、あえてナチズムとの関連に触れ、そのタブー視をあらわにした上で、そのタブー視ゆえに、触れにくくなっているこの物語の映画化をあえて行ったということを冒頭で宣言しているのではなかろうか?

 なんて穿った見方をしたくなる。それだけ魅力のある映画だということなのだけどね。

投稿者 黒川鍵司 : 22:03 | コメント (0) | トラックバック

2009年6月21日

巨大な象と大きくて小さな女の子

 いつの間にやら、僕らはファンタジーというやつに力を与えることを自分に禁じている。無条件に付き従ってる「現実」というやつだって、一つの仮説、シミュレーションに過ぎないのに。

 さて、そんな日常というやつは、いつまでも続いていくのだけど、時には忘れてしまったキュウリの木に水をやり、チーズの島を踏みしめてみようじゃないか。

 巨大な象と大きくて小さな女の子がいざなってくれるはず。



 もう一度、そう、もう一度、夢に力を!

投稿者 黒川鍵司 : 21:08 | コメント (0) | トラックバック

2009年1月 8日

待望の

 待ちに待ったというところでしょうか。

ブラザーズ・クエイ ショート・フィルム・コレクション [DVD]

投稿者 黒川鍵司 : 22:27 | コメント (2) | トラックバック

2007年10月 6日

25周年


 この映画が見せてくれた未来は、「ドラえもん」などに押し付けられたそれに比べたら地獄みたいなものだ。しかし、その地獄が「コンスタンティン」で、降臨したルシファーが言っていた「地獄は大人のアミューズメントパーク」とまでは行かなくても、ある種の居心地、住み心地の良さを備えていたことも事実だ。
 だから、この映画を何度も見てしまうし、そこに一筋の救いの光を見いだしたりもする。

投稿者 黒川鍵司 : 17:57 | コメント (12) | トラックバック

2007年6月 3日

Cat People

catpeople.jpg

 お前のいう「耽美」というやつはどんなものなんだと言われると答えに窮する。「アドレセンスと退廃の狭間」なんて言っても、それがどんなものか伝わるものも大してないだろう。なので、「サスペリア」か、この映画を観てくれているとありがたい。あんな風だと言えばすむ。

 ストーリーはホラーの王道ともいえる変身譚と異類恋愛譚がもたらす悲劇。それを陳腐なものとしないのは、描かれたニューオリンズの暗部と猫科の動物のしなやかな肢体、そして残酷と官能。特殊効果は、今となっては時代を感じさせてしまうけれど、それらは色あせていない。

 黒豹に変ずる兄妹を演じるは、当時まだ21歳のナスターシャ・キンスキーと、「時計仕掛けのオレンジ」で我々を夢中にしたマルコム・マクダウェル。音楽はジョルジオ・モロダー、そして幽玄さすら漂う低音のボーカルはデビッド・ボウイと、役者は揃い過ぎなくらいに揃っているが、メジャーにならない理由は、上述の魅力と不可分だろう。

 いかにもポール・シュレーダーらしい生々しいシーンが多々あるので、子どもとは観るべきでない。また、誰かと観るにしても、気まずくならない相手を選んだ方がいい。

投稿者 黒川鍵司 : 20:45 | コメント (0) | トラックバック

2006年4月23日

訃報

 僕の好きな映画、「顔のない眼」、「サスペリア」に出演していたアリダ・ヴァリが亡くなったそうです。この二つの作品では助演ながらも、印象に残る役柄を演じてらっしゃいました。ご冥福をお祈りいたします。

投稿者 黒川鍵司 : 09:21 | コメント (2) | トラックバック

2005年12月24日

サスペリア プレミアム・エディション


 価値を認めた上で、二度と観たくないホラー映画といえば悪魔のいけにえだが、逆に何度も観てしまうホラー映画というと、このサスペリアになる。

 凝った、いや、凝りすぎて不自然なまでの色彩表現とカメラワーク、雨などの自然表現や照明の尋常でないリアルさなど、映像には、とにかく手がかかっている。今回のDVD化では以前に比べ、画質、音質ともかなりレベルアップしているので、それらを存分に味わえる。

 ストーリーの方は、寄宿制のバレエ学校、女生徒同士の友情やら秘密、魔女、ヒロインはアルジェント曰く「日本の少女マンガ的」ルックスのジェシカ・ハーパーというお膳立てで繰り広げられる、「不思議の国」ならぬ「黒魔術の国のアリス」。グロテスクというよりも偏執的で、華麗な殺害シーンもあいまって、少女ホラーマンガの元祖ともいえるだろう。

 もちろん、ホラー映画なので、怖さがない訳ではないのだが、その怖さが冷ややかで、すっとどこかに消えてゆく。そして見終わった後は、妙に爽快感に包まれてしまう。意外といえば意外なホラー映画だが、これはこれで傑作なのだと思う。

投稿者 黒川鍵司 : 17:40 | コメント (15) | トラックバック

2005年10月18日

スター・ウォーズ エピソード3 / シスの復讐


 遅れに遅れ、ついこのあいだ観たという感じなのだが、もうDVDが発売されるという。せっかくだからレビューしてみる。

 映像技術の発達には目を見張るものがある。とくにオープニングの宇宙船の戦闘シーンでは、旧三部作からの時間の経過を思い知らされる。ただし、これが生身の戦闘、つまりライトセーバーでの闘いでのCGとなると、ちょっと不自然さが鼻につく。スピードの速いものは、良いのだがパルパティーンのローブの動きなどでは、CG臭さとでも言うべきものが感じられてしょうがない。ヨーダの表情についても同様。

 役者の中で光っていたのはオビ=ワン役のユアン・マクレガー。エピソード2では「どうだろう?」と思わせる部分があったが、今回はエピソード4のオビ=ワンにつながるのが納得できる演技だった。

 それにくらべるとアナキン役のヘイデン・クリステンセンは今回もいまいちだった。演技が漫画チックといえばいいのだろうか、それとも大げさすぎるというのだろうか。泣けるはずのシーンでも、彼の苦悩を感じるべきシーンでも、ただ力んでいるだけに思えて何も感じられない。もちろん演出の問題もあるだろうが、元々、彼に向いた役柄ではないのではないだろうか?

 ナタリー・ポートマンも同様なのだが、「レオン」ではあれだけ迫ってくるものがあっただけに彼女の問題ではなく、監督の資質の問題のようにも思えてくる。

 ストーリーもちょっと説得力に欠ける。アナキンがパルパティーンに従ってしまう件についても、別段、証拠を見せ付けられたわけでもなく、単に話として聞いたに過ぎない。これは「デューン 砂漠の救世主」を元ネタにしているとしか思えない展開(デューンシリーズはSWシリーズ全体の元ネタともいえるが)で、元のほうは、長い伏線の末、最後に実際にそのような現象を見せつけられ、揺すぶられるという筋書きになっているのに対し、たった数分の台詞だけでジェダイを裏切ってしまうこの物語に、納得できる観客はいるのだろうか? また、オビ=ワンとアナキンの対決にしても、なぜ死を確認しないのか? という疑問が観ているうちから沸いてくる。

 ということで、映画単体としての評価は私の中では低い。エピソード2よりはましという程度である。しかし、SWシリーズをなんとか6作揃いにしたという点では評価できるといえる映画である。なので、SWシリーズに特別な思い入れのない人にはお薦めしない。

投稿者 黒川鍵司 : 14:05 | コメント (0) | トラックバック

2005年4月22日

ショーン・オブ・デッド

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 観たいなぁと思う映画だったのだけど、劇場公開してくれず、やっとDVDで観ることができた。とにかく、このジャケットを見て欲しい。よくできたロメロ的ゾンビの群れ。その左に気まずそうな表情で花束をもった主人公。これだけでどんな映画かわかるだろう。

 基本的に登場人物は真剣。だけどポカだらけ、でも憎めない。迫るゾンビにレコード投げて応戦。それも投げるレコード選んでたりする。ゾンビの性別で武器を変えてみたり、ゾンビの真似でゾンビの間を通り抜けてみたりして、その度に笑わさせられる。

 そして、そこここにロメロの「ゾンビ」のパロディやオマージュがあってニヤリとさせられる。テレビから「地獄に余地がなくなると...」の台詞が聴こえてきたり、「ゾンビ」の音楽が聞こえてきたり。そしてなによりも、「最近のセオリーと違って」スローなゾンビというのが一番のロメロへのオマージュだろうか。

 ゾンビ映画定石の篭城、危機の中での対立と和解、親しい人がゾンビになってしまうというエピソードもしっかり盛り込まれていてドラマもある。リメイクと言いつつ駄作になったり、パロディと言いつつ単なるドタバタに終わる映画とは違うといえそうだ。

 純粋にコメディとしては、今一のできかもしれない。しかし、せめて「ゾンビ」だけでも観ておけば、楽しみは数倍になるだろう。仲間でわいわい言いながら、主人公たちにつっこみをいれながら観るのも楽しいはずだ。ただしゾンビ映画としての残酷な描写もあるので、小さなお子さんとは観ない方が良い。

 なお、安価版が7月に発売の予定である。ご購入されるのなら、そのからでもいいのではないだろう。

投稿者 黒川鍵司 : 12:29 | コメント (4) | トラックバック

2004年12月25日

ヴィム・ヴェンダース コレクション

ヴィム・ヴェンダース コレクション
ヴィム・ヴェンダース コレクション

 このボックスセットの中で、私が見たことがあるのは「ベルリン・天使の詩」だけだ。正直、ヴィム・ヴェンダースの映画にはピンと来ないものが多かった。「時の翼に乗って」も「夢の涯てまでも」もどうもしっくりこなかった。しかし、この映画だけは別だ。コミュニケーションの断絶とその回復の過程を、壁によって引き裂かれたベルリンを舞台に描いた物語はもちろん、ペーター・ハントケによって紡がれた珠玉の言葉の数々に感動を覚える。そして何よりも、この映画に説得力と幻想の力をあたえるアンリ・アルカンのカメラワークは至高とすらいえるだろう。

 オープニングでの、ベルリンの街を俯瞰し、子供たちの姿を追い、障害を持った子供の瞳を見つめ、その子が並べたおもちゃの列を追っていくカメラは、まさに天使の瞳。

 そしてクライマックスのニック・ケイヴのライブ会場で、断絶の世界に取り残されたまま壁にうなだれるカシエルの姿。照明の切り替わりにあわせて、彼の横顔が壁に投げかける影が、いつまでもいつまでも堕ちていく。そのモノクロームの映像に映し出される痛々しい孤独。見事としか言いようがない。

 失われたポツダム広場を捜す老詩人、夢でであった男を捜す女、生まれ変わってはしゃぎながらも何か足りないものを捜す男。見えない天使に握手を求める元天使。どれもこれもすばらしく、それまでの私の中のヴェンダース評を、まったく覆してしまった作品である。

 このボックスに収録された作品の個別販売はあるのだろうか? いまのところ、そのような告知はない。1作品のために買うには、ちょっと高い気はするが、他の作品も試せるのだから良しとすべきか。

投稿者 黒川鍵司 : 22:17 | コメント (2) | トラックバック

2004年10月16日

土曜日はだらだらと

 土曜日はゆったりする、というよりだらだらするというのが習慣化している。洗濯は明日でいいや、食事も簡単でいいや、買い物も明日にしよう、といった具合です。

 あんまりだらだらなのも何なので、今日はDVDでも見ようと思い立ち、以前、2枚で2980円というので買った「サイコ」と「キャリー」を見ることに。

 まず「サイコ」。ソール・バスのオープニングとバックの音楽。やっぱりかっこいい。シャワーシーンの殺人は、やっぱりよくできてる。そしてラストの椅子に座るアンソニー・パーキンスは、やっぱり怖すぎる。本編を見た後で、特典映像を見て、公開当時はけっこう扇情的な売り方をしていたんだと知りました。今でこそ名作ですが、きっと当時は際物に近い感感覚だったのではないでしょうか。その特典映像を見ていくとこんなこぼれ話が。

 「オープニングはヘリを使った空撮にしたかった。町を遠景に撮り、通りを進んでいき、ホテルにたどり着く。でもその頃は技術的にできなかった」

 あれ? そんなシーンをどこかで見たような......。「サンタ・サングレ」の鷲の視線で町を飛んでいくシーンじゃないか!ヒッチコックがやれなかったことを、自分の「サイコ」でホドロフスキーがやったってことなのか。う〜む興味深いなぁ。

 お継ぎは「キャリー」。確か小学生のときに、テレビで放映されたのを見たっきりで、主人公の顔しかおぼえてない。怖いのはキャリー本人よりも母親。あれ? この映画も「サイコ」と同じで厳格すぎる母親が問題なんだ。効果音も似てたり、学校名がベイツ高校だったりする。期せずして似た映画を同時に買ったんだなぁ、と思いに耽りつつ見ていくと、ラスト近く、母親が逆手にナイフを握る。
 あれ? こんなシーンもどこかで見たような気が......。「サンタ・サングレ」で母親がアルマに向かってくシーン!それも髪型までそっくり。

「う〜む、ホドロフスキーって、本当に映画が好きなんだなぁ。」

 そう思っていてところで、はたと気がついた。今日はリチャード・シンクレアとデイヴ・シンクレアのライブに招待されていたではないか!現在、21時。もう終わりの時間だ。ライブというと日曜日って気でいたよ......。

 土曜日はだらだらというが染み付いてしまっておりました。反省します。

投稿者 黒川鍵司 : 22:10 | コメント (4) | トラックバック

2004年9月16日

薔薇はそう呼ばれずとも、香りを放っている

薔薇の名前 特別版
薔薇の名前 特別版

 ついにDVD化というところだろうか。記号学者ウンベルト・エコによる多重な読み方が可能な原作を、エンターテイメントに翻案しながらも、十分に雰囲気を伝える作品となっている。中世の修道士たちの姿にまったくといっていいほどなじみのない日本人(もちろん私を含む)の場合、この映画を見てから原作を読んだほうが理解しやすい。

 陰鬱な修道会の風景、存在していた幻の写本、秘匿された迷路のごとき図書館、拷問と火刑の異端審問、美しかったクリスチャン・スレーターなどといったものに彩られ展開する、純粋すぎる信仰ゆえ殺人劇。倒錯的な雰囲気と謎解きの面白さで観客を惹きこむが、そこに昨今の国際テロやオウム事件との共通性も見出せ(原作ではなおいっそうその傾向は強い)、単なる推理物に終わらない魅力を放つ良作である。

投稿者 黒川鍵司 : 15:14 | コメント (0) | トラックバック

2004年9月12日

今日は

ロード・オブ・ザ・リング コレクターズ・エディション トリロジーBOX セット
ロード・オブ・ザ・リング コレクターズ・エディション トリロジーBOX セット

 本来の予定がキャンセルとなり、このDVDボックスの最終巻「王の帰還」を観ることとなった。このシリーズは時間的に長い作品であり、なかなか見始めることができなかったが、3日かけて全作を観た次第だ。
 最初の「旅の仲間」が上映された時、私は映画館には行かなかった。あの原作を少しでも知っている身には、満足できる映像化は不可能だと思えたし、監督がピーター・ジャクソンときいて、さらにその思いを強くした。私の知るピーター・ジャクソン監督の映画と言えば「バッド・テイスト」と「ブレインデッド」だ。確かに2作品とも愛すべき映画とは言えるが、「指輪物語」のスケールには不似合いとしか言いようがない。
 そういうわけで、1作目は17インチのPC画面で見た。最初のガンダルフ登場シーンで、既に私の認識が間違っていたことがわかった。ピーター・ジャクソンが十分に「指輪物語」を理解していることが、ほんの数シーンからもわかったのだ。ガンダルフ、フロドともに、この俳優しかありえないという選択だし、その台詞まわし、シャイアの風景、その他全て完璧だった。
 そしてモリアの坑道のシーンでは、燃えさかる炎に包まれた巨大なバルログとガンダルフの戦いに、劇場に赴かなかったこと、そして17インチのちっぽけなモニターでこのシーンを観てしまったことを後悔した。
 そして、その後の2作は近くの映画館で観た。大きな映画館とは言いかねるが、17インチのモニターとは比べるまでもなく、音響についても十分に満足でき、3時間に及ぶ上映時間はまったく苦にならなかった。
 もちろん、今回の映像化が本当の意味で完璧であるとは断言できない。あまりに戦闘シーンに重きが置かれすぎているように思う。それは巻が進むほど顕著だ。映画のエンターテイメント性を3時間も保つために、これは必要だったとは思うのだが、あまりにもという気もする。
 しかし、どうあっても実写では不可能と思われた「指輪物語」を、十分満足できるクオリティで映画化したピーター・ジャクソンには感謝するとともに、彼をみくびった私の浅はかさを恥じたい。

 3作をほぼ連続して見終えて思うことは、「この指輪」とは何だったのか、ということである。「力の指輪」と訳されているが、この「力」は「政治的権力」もしくは「制覇の力」だろうか。この指輪が、何かの会議の席上のジョージ・ブッシュの指に輝いているというコラージュをどこかのサイトで見て大笑いしたのだが、考えてみれば彼の指向と指輪の意味を上手くとらえていたと言えるだろう。トインビーだか、トフラーだかが言っていたが、国家の政治的安定のためには3つの力が必要だという。武力、技術力(これは情報の収集という面を含む)、財力だそうで、日本神話の三種の神器、草薙の剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉は、それぞれ、この3つの力を象徴しているのだとか。そういえば、最初にいくつかの指輪を与えられた種族はエルフ、ドワーフ、人間の3種族だった。トールキンによる3種族への意味付けが理解できている訳ではないので、どれがどれとは言えないが、もしかしたら、この3種族は前述の3つの力を象徴しているのかもしれない。

 「王の帰還」特典DVDにおさめられた裏話にビートルズが「指輪物語」映画化を計画していたという話がでている。これと直接リンクするかどうかはわからないが、ジョン・レノンからの資金援助をうけていたというアレハンドロ・ホドロフスキーが、レノンから自らと妻であるオノ・ヨーコを出演させた「指輪物語」製作を持ちかけられたとインタビューで語っていた。もちろん、この映画化は実現しなかった。
 ホドロフスキーにはダリ、オーソン・ウェルズをキャストとし、ギーガーやメビウスに美術を担当させた「砂の惑星」の映画化という話もあった。これも頓挫しているが、共にホドロフスキーの元に映画化の話が持ってこられたことに、この2作品の映画化がいかに困難と思われていたかの証明をみる思いがする。

投稿者 黒川鍵司 : 19:57 | コメント (0) | トラックバック