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2012年2月 5日

今日のことば

あるプロのエレキ・ギター奏者は、あの電気ギターが発する狂躁音に似た唸るような凄い低音の歪みを、どうして平気で耳にしていられるのか、それでもミュージシャンか。せめて、何故スピーカーやアンプを歪みの少ない優秀なものに替えようとしないのかと私が訝ったら、五味さん、それはちがう、ぼくらはそういう意味でなら、歪みない音に美を感じなくなっている世代だ、ぼくらが感動するのは、あなたが歪んでいるという、そういう性質の音に対してだ、と答えてくれたことがある。彼等の耳は、歪んだ低音にこそ音楽を感じるわけで、そう言われるとあのゴーゴー喫茶の騒音もなっとくがゆく。大なり小なり、そしてぼくらがレコード音楽の鑑賞で耳に沁みこませてきた音質にも、このエレキ奏者のそれに似た歪みの美学がありはしないのかとおもう。
五味康祐著「オーディオ巡礼」(ステレオサウンド)181ページ

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2011年10月30日

今日のことば

たとえばあの無知な額と頑迷な目つきを特徴するサン-タンヌ病院のクロード教授のような無礼な態度
アンドレ・ブルトン著/巌谷國士訳「ナジャ」(白水社)137ページ

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2011年6月 4日

今日のことば

夜中に目が醒め、廊下の灯りがついていたときに感じる、死の恐怖。
ペーター・ハントケ著/元吉瑞枝訳「幸せではないが、もういい」(同学社)139ページ

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2011年1月26日

今日のことば

僕はよくこう考えてみたものだ――これは汚れた処女の貧しい血のひと雫。
ジョルジュ・バタイユ著/天沢退二郎訳「青空」(晶文社)37ページ

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2010年12月25日

今日のことば

 全体主義の運動の歴史的展開は、時間的には20年足らず、空間的にはヨーロッパの舞台に縮小されたかたちで、ヨーロッパ自身が1世紀半のあいだ世界全体で演じてきた劇を再演したものである。ヨーロッパは世界を、原材料の供給者と工業製品の消費者に還元しようとした。そしてファシズムは、ヨーロッパが保持しようと欲した工業への独占権を奪取し、ドイツに対置されたヨーロッパを農業に専念させようとした。何倍もの力で凄惨さが増幅される、より狭苦しい劇場で、支配民族(Herrenvolk)は白人種に対して、後者の有色人種に対しておずおずとさせようとした役割を演じさせようとした。ドイツは東ヨーロッパで、かつてより大がかりに構築された植民地支配のモデルの夢を実現しようとしたのである。
渡辺公三「闘うレヴィ=ストロース」(平凡社)99ページ 1942年にレヴィ=ストロースが記したメモ

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2010年11月25日

今日のことば

手が卑猥ですよね
友人より

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2010年9月23日

今日のことば

 そして、前にも述べたことだが、人体模型の製作技術が江戸時代の見世物世界から継承されたものであったことも、展覧会と見世物との連続性を明らかにしている。
 観客の反応の一例を引けば、昭和十年に岡山市で開催された「警察博覧会」をみた六高生徒連は。その展示中とくに「妙齢婦人性病模型」に興味を持ったと記している。それはどんなものかというと、やや足を開いて椅子に座ったアデな姿のおネエさんの裳裾が開かれていて―でも、マッチは買わなくてもよいのだった。啓蒙のためだから、サービスなのである。
 僕らは博覧会は見たことは少ないんだがあまりに人気が高いので入つて見た、どの品もどの品も珍品ばかりだ、猟奇と興趣の伝道だナー、とくに僕達に興味をたぎらせしたものは警視庁医務課出品の「顔は美しいが性病を警戒」と云うあの美人の等身大人形だ、青春の情熱に燃える僕らもあいつを見ては興趣を越してむしろ気色悪かったよ、もう遊びになんかへは行けんと思つたよ、然しかく多数の豪華な出品中、僕達が最も気に入つたものがあるんだよ、それはフランス十字軍戦争時代に出征勇士が留守を守る愛妻の貞操を確保するために使用したと云う貞操帯だ、あいつは貞操観念が荒み行く?と称される現代の処女へ適用したらどんなものだかノー。
(『警民一如』)
 これと同様な人形は、昭和三十五年にエルスケンが撮影した「防犯と衛生展覧会」にも見ることができる。それは布団に横たわったあどけない顔つきの美少女で、そのあらわにされた股間は梅毒のかなり進んだ状況を示していた。
田中聡「衛生展覧会の欲望」(青弓社)134~136ページ

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2010年7月11日

今日のことば

ジョルジュ・バタイユは1867年の生まれだから、1901年生まれのミシェル・レリスより4歳年長である。バタイユはフランス中部のオーヴェルニュ地方ピヨン出身で、その風貌挙措にも文体にも、農民気質というべきものをとどめていたのに対し、レリスは、パリ近郊ヌイイのブルジョア家庭を出自とし、典型的な都会人である。二人は、その思想の核の部分では、共通の関心によって深く結ばれながら、バタイユが土くさい剛直さを生きたのに対し、レリスは、おどろくべき執拗さを秘めながら、あくまで繊細で、柔の姿を見せ、性格はむしろ対照的といっていい。
岡谷公二「バタイユとレリス」(「現代思想 vol.10-2『特集=バタイユ』収録」)(青土社)176ページ

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2010年5月16日

今日のことば

君たちの愛は、僕のものよりも不思議で変わってるね。
キャメル「奇妙な愛(アルバム「リモート・ロマンス」収録」)」(ポリドール)より

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2010年3月 6日

今日のことば

有名な逸話でこのようなものがある。グラスがソーホーの依頼先に皿洗い機を取りつけにいったときのこと。タイム・マガジンのアート担当の批評家、ロバート・ヒューズがそこにおり、おまえは作曲家のフィル・グラスではないか、おまえにこんな仕事をさせるわけにはいかないと騒いでいるのを、グラスは自分のいまの仕事は皿洗い機を取りつけることなんだとヒューズを黙らせて、仕事を片付けた......。
小沼純一「ミニマル・ミュージック その展開と思考」(青土社)186~187ページ

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2009年11月 1日

今日のことば

彼女はいつもそうだ。家に居る時も、歩く時も、暇さえ有ればヘッドフォンで外界を遮断し、自分だけの音感世界におぼれている。うっとりと心ここに有らずといった風情で、あるテンポに合わせて首を振る。時には目を細め、曲が盛り上がる処なのか、感に堪えない様で昇りつめたように強く瞼を閉じたりもする。しかし沙江子には、何も聞こえない。キララが自分を愛する時、こんな顔をしているのではないかと思う。これはキララのオナニーの一種かもしれない。
佐川久美子「植物性恋愛」(集英社)90~91ページ

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2009年8月27日

今日のことば

考え事をしながら 庭を散歩する
実り豊かなしーんとした裏庭
何種類ものハーブに 色とりどりの花
パセリに トマトに 何種もの豆
とっておきは わが愛すべきセロリ
そういえば ここだったかしら 何も手を入れてないちょっとした草むら
この土の下には いつの間にか生えてきた 慎み深いラディッシュがあるの
外は真っ赤 中は真っ白なラディッシュが
「WAVE34 音楽都市ベルリン 1918-1945」(ペヨトル工房) 58ページ クルト・トゥホルスキーの詩

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2009年7月20日

今日のことば

彼に元曲の翻訳を送ったとき、ウェイリーは次のような言葉を添えて送り返してきた。「あなたは、自分で詩を書いたことがありますか」と。
ドナルド・キーン著/角地幸男訳「私と20世紀のクロニクル」(中央公論新社)122ページ

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2009年3月30日

今日のことば

母さんが言うのです。ことを成し遂げなさいって。
トム少佐にかまうのは、およしなさいって。
デヴィッド・ボウイ「Ashes To Ashes (アルバム「Scary Monsters」収録」)」(EMIミュージック・ジャパン)より

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2008年12月29日

今日のことば

当節の女は雌蕊のあるハイヒールをはいて歩む逆立ちした花
生田耕作 編「ピエール・モリニエの世界」(奢覇都館)15ページ

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2008年10月20日

今日のことば

「サンデー・テレグラフ」紙(89年10月8日)の社説では、「テレビがニュースを捏造する」という見出しで、テレビによる不正な報道をまとめて紹介している。CBSの著名人が、アフガニスタン戦争のニセ映像を流した件で責任を問われたこと、ロンドンのウィークエンド・テレビが、自社の職員に一般人のフリをさせてインタヴューを行っていたことなどが取り上げられている。そして、この記事は以下のように明言して見せた―「真のニュース事件とは、定義からしても予想できないものであろう。テレビは、いい画をとろうという横暴な力に支配されている」
デヴィッド・ケレケス、デヴィッド・スレイター著 菊池淳子 とちぎあきら訳「キリング・フォー・カルチャー―殺しの映像」(フィルムアート社)283ページ

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2008年9月22日

今日のことば

見るんだ。
母親とは、その子どもにとって神の名なんだ。
分かるか?
アレックス・プロヤス監督 映画「クロウ」(デックス・エンターテイメント)より

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2008年8月18日

今日のことば

所で君は、『ソロモンの雅歌』の最終の章句を知っているかね。我が愛するものよ、請う急ぎ走れ。香ばしき山々の上にかかりて、鹿の如く、小鹿の如くあれ ―と。
小栗虫太郎「黒死館殺人事件(「日本探偵小説全集6『小栗虫太郎集』」収録)」(東京沿創元社)501ページ

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2008年7月 5日

今日のことば

ひとつの同じ機械が技術機械であることも社会機械であることもできるが、しかし、それは同じ様相においてなのではない。例えば、等質時間を測る技術機械としての柱時計と、法規できめられた時を再現して都市に秩序を保証する社会機械としての柱時計を考えていただければいいかもしれない。
ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ著/市倉宏祐訳「アンチ・オイディプス」(河出書房新社)174ページ

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2008年4月 6日

今日のことば

潮にただよう海星みたいに、
君は季節ものの生き物だから
ロバート・ワイアット「Sea Song(アルバム「Rock Bottom」収録」)」(Virgin Records)より

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2008年1月20日

今日のことば

おれの村では友達とは 同じグラスで酒を飲み 同じ歌を聞く奴のことをいう。
テオ・アンゲロプロス監督 映画「ユリシーズの瞳」(紀伊國屋書店)より

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2007年12月24日

今日のことば

 前年の春ごろから緑内障が悪化し、夏には全くの盲目になっていた。しかし、それを悲しんでいるような様子は一向にうかがえず、訪ねていったわたしに、いつものように焼酎を所望した。二五度の缶入り焼酎一個をコンビニで買ってきて渡すと、満面の笑みを浮かべつつ口に運ぶのだった。光を失った悲しみを一杯のアルコールで慰めることのできる不思議な感性の人であった。
 入院してからも、始氏のものにこだわらない態度は変わらなかった。その四人部屋の患者はみな、こけた土色の顔と枯れた小枝のような腕の人たちばかりで、わたしには末期がんの専用病室ではないかと思えた。そんな中でも、始氏だけは奇妙に快活で、こちらの問いに肯定の返事をするとき、「はい」という場違いなほど大きな声が沈痛な室内に響きわたり、そのたびにわたしの方が声をひそめた。「余命三ヶ月」と聞いていたが、それは何かの間違いで、ただの栄養失調ではないだろうかと感じられることもあった。
 始氏はしかし、その三分の一ほどしか生きのびることができなかった。死の数日前、昏睡に陥り、意識不明のまま逝ったという。葬儀というようなことは、とくに行われなかった。
筒井功「サンカの真実 三角寛の虚構」(文芸春秋)253〜254ページ

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2007年10月25日

今日のことば

時々、君は寂しくなる。
時々、君はどこにも行けなくなる。
僕は世界中いろんなところに住んでみた。
僕はすべての場所を引き払った。
デヴィッド・ボウイ「Be My Wife(アルバム「LOW」収録」)」(EMIミュージック・ジャパン)より

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2007年8月19日

今日のことば

白洲が親しい人々に英国人というものを語るときに度々披露したエピソードに次のようなものがある。約十年間の戦争をはさみ、訪ねることができなかったロンドンの「ワイツ」というクラブのバーに入ると、店のたたずまいも雰囲気も大戦前とまったく変わっていない。ボーイ達も同じ顔ぶれである。しかし、彼らは白洲が店に入ってなつかしそうに顔を見ても、白洲を忘れたかのように立ち働いている。椅子座って白洲が溜息をついていると、ボーイが昔いつも白洲が注文していたウィスキーをテーブルに置き、白洲の顔をのぞき込み、初めてニッコリ笑って片目をつぶってみせた。
青柳恵介「風の男 白洲次郎」(新潮社)185〜186ページ

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2007年7月15日

今日のことば

腹を空かせた魚は、餌をとるのに夢中で、自分を捕まえようとする漁師のことを忘れてしまう。
アレハンドロ・ホドロフスキー監督 映画「ホーリー・マウンテン」(SPOエンターテイメント)より

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2007年6月23日

今日のことば

純白の衣装に身を包み、船出の準備を整えて、
少女は夢見る。尼僧のヴェールを頂くことを。

純白の衣装に身を包み、船出の準備を整えて
少女は夢見る。尼僧のヴェールを頂くことを。
砂と貝殻の清廉な海岸で、
少女は夢見る。尼僧のヴェールを頂くことを。

あいつぐ稲妻と雷鳴の中、
少女は夢見る。深く、そして安らかに。
デヴィッド・シルヴィアン「Taking The Veil(アルバム「GONE TO EARTH」収録」)」(Virgin Records)より

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2007年6月19日

今日のことば

 妹ルイズ・ヴァナン・ド・ヴォランゲムへ、−『北国』の海に向いた彼女の青い尼僧帽(コルネット)。−難破した人々のために。
 妹レオニー・オーボア・ダッシュビーへ。やれやれ、−悪臭を放ち、唸りをあげる夏の草。−女親と子供たちとの発熱のために。
 ルルへ、−悪魔、−覚束ない教育の、『仲よし』と呼ばれた年頃の、おしゃべり癖はまだ抜けぬ。−世の男たちのために。−xx夫人へ。
 かつての俺の青春へ。この年老いた聖者へ、草庵のあるいは布教の。
 貧しい人々の心へ。至徳の僧へ。
 さてまた、すべての礼拝へ。聖地とされた場所に在るがままの礼拝へ。時々の憧憬あるいは俺たちが持って生まれた真剣な悪徳に従って、輪(はこ)ばねばならなかった有態の事件に絡まれた礼拝へ。
 今宵、屹(そび)え立つ氷の上に、魚のように脂ぎり、十月(とつき)の赤夜さながらに赤く染まったシルセートへ−(琥珀の色に燃え立つ彼女の心)。−この極地の混沌よりもなお荒々しい、様々な武勇を忘れ、この常闇の国に倣って口を噤んだ、俺のただ一つの祈願のために。
 何事を賭しても、どんな姿になろうとも、たとえ形而上学の旅にさまよおうとも。−いや、そうならばなおさらのことだ。
ランボオ作/小林秀雄訳「地獄の季節」(岩波書店)114〜115ページ

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2007年5月11日

今日のことば

「いいかね、クリスティーヌ、音楽のなかには、それに近づく者をだれかれかまわず焼きつくしてしまうような恐ろしいものもあるんだ。きみがまだそういう音楽に出会っていないのは幸いだ。出会ったが最後、きみはその生き生きした血色を失い、パリの街にもどったとき、だれもきみがと気がつかないほどになってしまうからね。さあ、オペラを歌おう、クリスティーヌ・ダーエ」
ガストン・ルルー著/長島良三訳「「オペラ座の怪人」(角川書店) 222ページ

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2007年4月30日

今日のことば

果てしない夜を衛星は飛び続けている
月探査と世界タイトル戦を独占するために
なんてことだ、それが何をもたらすか想像してごらん
誰が一番強いのか? 誰が一番優れているのか?
誰が切り札を持っているのか? 東か西か?
そんなくだらないことを、私たちの子供は学んでいるんだ。
ロジャー・ウォータース「The Tide Is Turning(アルバム「RADIO K.A.O.S」収録」)」(Sony Music Direct)より

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2007年3月 7日

今日のことば

 戦争の最中、僕は宗教的帰依心について考えつづけてきた。唯一者への全き帰依ーこの情熱が遺憾ながら僕の中にあっては不安定なのである。太子鑽仰の念に偽りがあるとは思っていないが、しかしそれをただ一筋の道として進むことさまたげるものがあるのだ。僕はときどき陶器蒐集家として著名なある友人を訪れ、さまざまな陶器をみせてもらうのだが、僕はそれらを比較し鑑賞する。必ず比較するのだ。この比較癖が頑固な習慣となって、僕らの信仰や愛情を知らず知らずのうちにゆがめているのではなかろうか。一つの茶碗を熱愛し、このただ一つにいのちを傾けるだけの時間をもたぬ。
亀井勝一郎「大和古寺風物詩 他一編」(旺文社)46ページ

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2007年2月25日

今日のことば

ヴァレスカ・ゲルト
キャバレーにおける表現舞踏の創始者。情緒的な舞踏のスタイルに不満を感じ、「この甘ったるい踊りを破壊してやりたくて、むずむずしていた」彼女は1921年『下種』と題するパントマイム舞踏を踊り有名になる。このひどくリアルなダンスは娼婦をテーマにしたもので、最初の社会批判的舞踏となった。トゥホルススキーも『ヴェルトビューネ(世界舞踏)』誌でこの舞踏の独自性について論じている。以降、多くの女性舞踏家は娼婦物を取り入れるようになったが、それは客のスケベ心をくすぐり、彼女が告発した社会を是認するものでしかなかった。彼女はその他にも『老嬢』や『上流淑女』『猫かぶり女』などをグロテスクにパロディー化し、ブルジョア趣味を破壊した。映画『とどめの一発』にも出演している。
「WAVE34 音楽都市ベルリン 1918-1945」(ペヨトル工房) 129ページ

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2006年10月21日

今日のことば

物事は変わりゆく
しかし、何も変わりはしない
そして、いまだ変化はつづいてゆく
Le roi est mort, vive le roi!(旧王は亡くなられた、新王に栄光あれ!)
エニグマ「LE ROI EST MORT, VIVE LE ROI!(アルバム「ENIGMA3」収録)」(東芝EMI)

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2006年8月28日

今日のことば

 私たちは、しばしば「この音楽はわからない」という言葉に接しますが、その場合はほとんどすべての人は、自分の中に、その音楽にぴったり合うような心象を描き得ないという意味のことを訴えるのです。この心象は、その人によって異なり、哲学、宗教、文学といったものから視覚的なもの、とにかく、音楽ならざる一切のものが含まれております。
 もし、そうだとするのならば、その人たちが音楽を理解し得たと考えた場合は、実は音楽の本来の鑑賞からは、極めて遠いところにいることになり、理解し得ないと感じた場合、逆説のようではありますが、はじめて真の理解に達し得る立場に立っていることになるのです。
伊福部昭著「音楽入門」(全音楽譜出版社)34ページ

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2006年7月29日

今日のことば

幼い女の子と猫は、かまってくれる人がわかるのよ
友人より

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2006年4月23日

今日のことば

最初にアイディアがある
アイディアが他の者たちをひきつける
そのアイディアは拡大し、やがてなにか習慣になる
最初のアイディアはなんだった?
アレックス・プロヤス監督 映画「クロウ」(デックス・エンターテイメント)より

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2006年3月 5日

今日のことば

 GrimstoneとClevelandはもっと複雑な共生現象を見出した。それは、やはりシロアリの腸の中に棲んでいてシロアリの栄養を助けているMyxotricha paradoxaという鞭毛虫であるが、これは多数の鞭毛を持つと考えられていたが、実は本当の鞭毛は4本で、他のものは体表に寄生する大小のスピロヘータであることがわかった。さらに体表に数珠玉様構造が知られていたが、これは、ある種の細菌であることが明らかとなり、その上、体内にはさらに別の細菌が共生していることも明らかとなった。このように従来、鞭毛虫自身の小器官と思われていたものが、実は共生微生物で宿主の運動その他の機能を助けていたのである。
吉田幸雄著「図説 人体寄生虫学」(南山堂)5ページ

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2006年2月 7日

今日のことば

地獄が溢れかえってしまうと、死者が地上を歩き出すんだ。
ジョージ・A・ロメロ監督 映画「ゾンビ」(ハピネット・ピクチャーズ)より

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2005年11月12日

今日のことば

グイド 少しは愛してる?
フェデリコ・フェリーニ 監督 映画「フェリーニの8 1/2」(ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)より

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2005年9月 1日

今日のことば

陽は天高く輝き、
笑い声が響き渡る。
鳥たちが襲い掛かるようにして、
古びた灰色の教会の十字架に群がる。
僕らは「恋に落ちてるね」なんて言いながら
密かに雨を待ち望み、
コーラをすすりゲームに興じる。

また9月がやってきた。
また9月がやってきた。

デヴィッド・シルヴィアン「September(アルバム「Secrets of the Beehive」収録)」(東芝EMI )より

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2005年8月12日

今日のことば

私は一匹のライオンと一匹の蛇を見た。
それらは互いに殺し合い、
その身体からは無数の蠍が生まれ、
世界に氾濫した。
その蠍の毒液は民主主義だ。
アート・ベアーズ 「DEMOCRACY(アルバム「THE WORLD AS IT IS TODAY」収録)」(ReR)より

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2005年7月10日

今日のことば

 茶道数寄の者の作説ならんが、或日茶事の宗匠路地を清め、独り茶をたてて樂しみける折から、表に非人体の者、暫く立ちてその様子を伺ひ、庭の様などを称しけるにぞ、かの宗匠立出で、汝も茶を好めるやと問いければ、我等幼より茶事を好み翫びしが、今の身の上となりても、御身の茶事に染み楽しみ給うをうらやましく、思はず立ち止まりぬと答えければ、不憫にもまた風雅にも覚えて、古き茶碗に茶一服を与えければ、恭き由を答、恐れある申し事なれども、来る幾日の朝、どこそこの並木松何本目の元へ来り給へ、我等も茶を差し上げんと言いて去りぬ。

 如何なる事や不審とは思ひしが、その朝かの松の木の下に至りしに、そのあたり塵を奇麗に掃きて古き茶釜をかけ、松の枯枝ちちり(松毬)やうのものをその下に焚きて、新しき清水焼の茶碗、茶入れ、茶杓、何れも下料にて出来る新しきものを並べ置きて、かの非人はその辺にも見え侍らず。

 実に風雅なる心と、茶を独りたて楽しみ帰りけるが、如何なる者の身の果てなるや、やさしき事と、右宗匠語りぬ由。
高柳金芳著「江戸時代 非人の生活」(雄山閣出版)29〜30ページ

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2005年6月19日

今日のことば

けだるい一日をカチカチと刻み続ける時計の音
お前は準備もせずにダラダラと無駄に時間を浪費してゆく
生まれ育った町のちっぽけな縄張りをうろつき続け
道を示してくれる誰かか何かを待ち続けてる

陽の光の中に寝転ぶことに飽き
雨を眺めるために家の中にとどまる
お前は若く、人生は長く
今は暇をつぶしの時間があるばかり
そしてある日
お前は10年が過ぎてしまったことに気がつく
走り出すときを教えてくれる人はいない
お前は始まりを告げる銃の音を聞き逃したんだ


ピンク・フロイド 「タイム(アルバム「狂気」収録)」(東芝EMI)より

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2005年4月30日

今日のことば

 さて、全体とは、初めと中間と終わりをもつものである。初めとは、それ自身は必ず他のもののあとにあるものではないが、そのあとには本来他のものがあったり生じたりするところのものである。反対に、終わりとは、本来それ自身は必ず、あるいはたいてい、他のもののあとにあるものだが、そのあとには何もほかにないところのものである。また中間とは、本来それ自身もほかのもののあとにあり、それのあとにも他のものがあるところのものである。
 それゆえ、巧みに組みたてられた筋は、勝手なところからはじまることも、勝手なところで終わることも許されず、いまあげた形式(初め、中間、終わり)を守らなければならない。
アリストテレース著/松本仁助・岡道男訳「詩学」(岩波書店)39〜40ページ

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2005年1月22日

今日のことば

ジュールダン氏
 17世紀の大喜劇作家モリエール〔本名ジャン=バチスト・ポクラン〕(1622〜1673)の作品『町人貴族』(1670年)の主人公。商売に成功し、金に不自由しない彼の願いは、貴族の仲間入りをすることで、そのために種々のレッスンを受けるが、うまくゆかず、笑い者にされる。このうち、哲学のレッスンにおいて、韻文と散文の違いを習い、自分が生まれたときから散文をしゃべっていたと知って、うっとりする場面がある。
ロラン・バルト著/森本和夫・林好雄訳「エクリチュールの零度」(筑摩書房) 184〜185ページ 林好雄による訳注より

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2005年1月 7日

今日のことば

子供は子供だったころ
ほうれん草や豆やライスが苦手だった
カリフラワーも
今は平気で食べる
どんどん食べる

子供は子供だったころ
一度 よその家で目覚めた
今はいつもだ

昔はたくさんの人が美しく見えた
今はそれは、ありえない幸せ

昔は はっきりと天国が見えた
今はぼんやり予感するだけ

昔は虚無など考えなかった
今は虚無におびえる

子供だったころ
子供は遊びに熱中した
今は
あの熱中は
自分の仕事に追われるときだけ


ヴィム・ヴェンダース監督 映画「ベルリン・天使の歌」(カルチュア・パブリッシャーズ) ペーター・ハントケによるテキストより

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2004年11月24日

今日のことば

かろうじて認められるために
為すべきことの1パーセントを為しただけで、
己を完璧と思い込めるような、
自己批判の感覚が欠如した人間こそが悲劇的なのだ。

ジャンニ・レオーネ ライブ会場で配られたビラより

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2004年10月10日

今日のことば

「本が大事ですか?」
「そう言ったか?」
「心配じゃないんですか?人間への哀れみは?」
「私なりに哀れんでる。だが哀れみでは娘は救えん」

ジャン・ジャック・アノー監督 映画「薔薇の名前」(ワーナー・ホーム・ビデオ)より

投稿者 黒川鍵司 : 23:14 | コメント (0) | トラックバック

2004年9月28日

今日のことば

 意識的禁止が必要な唯一の理由は、意識的な意図と無意識の衝動の求めるものが違う点にある。無意識的な衝動を禁じる行為には、意識と無意識の好みに違いがあるという事実が表れている。この意識の禁止権を発動させずにすまそうと、人はアルコールや、精神安定剤や、その他もろもろの薬物を際限なく自らに注ぎ込む。

トール・ノーレットランダーシュ著/柴田裕之訳「ユーザーイリュージョン 意識という幻想」(紀伊国屋書) 304ページ

投稿者 黒川鍵司 : 21:21 | コメント (0) | トラックバック